見守る視線

 最近、生あたたかい視線を感じる。気がする。
 藍沢が周囲を見回しても不審な気配はないし、見慣れないものもない。気のせいだろうかと首を捻るものの、やはりなにかしらを感じるように思えて仕方がない。

「白石ちゃん、クマができてるよ。ちゃんと帰んなよ」
「はーい、ありがとうございます」

 ラウンド中に耳慣れた声に目をやれば、通路で白石と警備員が言葉を交わしているところで。別れる際にも手を振りあっていることから、なかなかに親しいのだろうと察した。

「白石」

 藍沢の呼びかけに振り返る彼女の顔には確かにクマがある。気づいてはいたが触れていいものかと思っていたのだ。昨日、いや一昨日も帰宅していないことを藍沢は知っていた。

「お前警備員と仲良いんだな」
「みんないいひとなんだよ。おじさんたちたまにみかんとか飴とか、冬だとカイロとかくれるの」
「孫か」

 並んで歩きながら思わず突っ込んだ藍沢に、白石は楽しげに笑う。きっと彼らもこういう顔が見たくてなにかしらを与えようとするのだろう。

「いつも心配してくれてね、医者の不養生だよってよく言われる」
「さっきも言われてたな。今日はまっすぐ帰って休めよ」

 聞いてたの、と見開かれた目は、すぐにあらぬ方向へと向く。帰る帰ると言いながら帰らないつもりであろうことは明らかだ。

「でも気になる患者さんが」
「堀田さんだろ、俺が見てる」
「でも」
「今日の当直は俺だ。信用ならないか?」

 こんな言い方をすれば食い下がれないとわかっていて口にする自分は卑怯だと、藍沢は知っている。
 しかし本来救命の患者とはそういうものだ。急変に備え、誰がいつ対応してもいいようにすべての患者の情報を頭に叩き込む。翔北救命に来た初っ端に、フェローだった彼らがシニアドクターから指示されたことでもある。当然藍沢が把握していないわけがないのだ。

 白石が諦めたように頷くのを、藍沢は満足気に見た。これでとりあえずは安心かと人知れず一息吐く。







 夜半、患者に変わりはないかと医局を出た藍沢に、かかる声があった。視線を投げれば、それが警備員であると知る。

「お疲れ様です、藍沢先生」

 そういえば。ここ最近で警備員に藍沢先生と呼ばれるようになったように記憶している。これまで交流もなくただ先生とだけ呼ばれていたはずが、個人の名で呼ばれるように。翔北で働くようになって九年目のここにきて唐突に。
 当然だろうか、藍沢にとっては相手の名前ひとつわからない。顔を見覚えている程度だ。

「藍沢先生、よかったらこれ飲んでよ」

 警備員の手には缶コーヒー。差し出され、戸惑いながらも受け取る。

「……どうも」
「白石ちゃんはさ、」

 その呼び方と話し方に、昼間白石と話していた人物であると知る。橘より年上そうな、藍沢たちの親世代くらいになるだろうか。

「白石ちゃん自分のことには無頓着そうだから、藍沢先生気にかけてやってくれよ。藤川くんもあんなだから尻に敷かれるタイプだし」

 その言葉に、白石とのやり取りを見ていたうえで声をかけてきたのだと知れる。この差し入れは、己が気にかける白石に休養するよう促した藍沢への労いといったところか。

「それはもちろん、あいつに倒れられたら救命は回りませんから」

 藍沢は淡々と事実を答えるが、警備員から返るのは物言いたげな眼差し。逃れるように軽く頭を下げた藍沢は、そのまま仕事へと戻る。
 それでも視線は追いかけてくるようで、素直じゃないと見抜かれていそうで居心地が悪かった。