ひさしぶりの休日。天気もいいし溜まった洗濯をして、掃除機をかけて、普段できていない日用品を買い込んで。ドラッグストアも回ったし、スーパーにも来られたし。なんとか今日中にしておきたいことは片付けられそうかなと、ベンチで一息。
できたて熱々のたこ焼きのパックを開ける。湯気がふわりと立ちのぼり、ソースの香りが鼻をくすぐる。
朝昼兼用で軽く家で食べてはきたものの、小腹が空いたところに漂うこのソースの香りには抗えなかったのだ。スーパー前の露店販売、油断ならない。
「いただきます」
一口かじると、とろりと中身が流れ出す。慌てて全部口に放り込み、生地の熱さに悶えながらその旨味とタコの食感を楽しむ。
毎日追われるように働いて、走り回って生きている。仕事のことを頭の片隅から消してしまえるはずもないが、それでもこうやって過ごせるひと時は穏やかだ。
「美味そうに食うな、お前」
ひとつ、ふたつと食べ進めたところでかけられた声に、白石は頭上へと視線を向けた。
「あれ、藍沢先生。偶然だね」
「買い物か?」
「うん。なかなかまとまった時間取れないから、今日こそはと思って」
見遣れば藍沢の手にも袋が下げられている。自分とは違って大きくも重そうでもない。何を買ったんだろう……と考えかけ、プライバシーだと思い直す。
「この暑い中でたこ焼きか」
「美味しいよー。藍沢先生も買えばいいのに」
「いや、いい」
「えーっ、このソースと生地とタコのバランス! 美味しいのに」
買わないと言いつつも、視線はたこ焼きに注がれている。素直じゃないなぁ。
爪楊枝を刺したたこ焼きを掲げて見せる。
「食べる?」
「……もらう」
やっぱり食べたかったんだ。とパックを手渡そうと思ったら。
藍沢の手が伸びてきて、手首を掴まれる。え、と思う間もなく、刺さったたこ焼きは藍沢の口へ。吐息さえ触れ合いそうな距離感。藍沢先生ってまさに整った顔立ちだよね、なんて場違いなことを思いながら。
「……美味いな」
唇についたソースを舐めとる仕草まで、間近で。
心臓が、不自然な拍動を刻んだ、気がした。
「白石?」
藍沢の呼びかけに、唐突に、自分の口まわりにもソースや、まさか青のりなんて付いていないかと心配になる。今まで散々食事をともにしたり寝惚け顔やほとんどすっぴん状態も見られていて、それくらいのことは今更なのに。
「どうした? 食べないのか?」
「えっと……藍沢先生食べられそうならあげる」
不審そうな目で見られ、落ち着かない。さっきまであんなに美味しかったのに。
お手洗いで鏡見たいなぁ、でも突然立ち去るのも変だよね、なんて思いがぐるぐる。今日はメイクポーチも持ってきていないから鏡の持ち合わせもない。ペットボトルのドリンクで喉を潤すふりをして、歯に何かついているなら流れてくれることを願った。
ベンチの隣に座った藍沢は平然とした顔でパックを手に残りを平らげる。
「その荷物買い込みすぎじゃないか?」
「あー、うん、張り切りすぎちゃって。つい、ね」
「車だろ。そこまで運ぶの手伝う」
「えっ、いいよ! 藍沢先生だって荷物あるんだし!」
「自分の荷物量見て言ってるのか?」
呆れをありありと浮かべた表情でため息を吐かれる。自分でも思ったのだ、いくらまとめ買いとはいっても限度というものがあるだろうと。藍沢の買い物とは比べるべくもない、膨れ上がった大袋がみっつ。
「……なんとか持てると思うの」
「変なところで無理をするな。腕でも傷めたら仕事に差し支えるぞ」
そこまで言われてしまえば拒めない。確かにどこか負傷することになれば一大事になってしまう。
じゃあ、と一袋を任せることにし、二人は駐車場を歩き出した。
まだ高い日差しを受けたアスファルトが熱を放出しては、上からも下からも焼けるような暑さを与えてくる。飲み物だって飲んだところだというのに、今年は例年にも増して暑い気がする。
「この暑さじゃ熱中症で次々倒れるのもわかるな」
「そうだね。毎年今までより暑いかもって思うけど、今年は各地で記録更新してるって言うし、この気温はお年寄りとかこどもには酷だよね」
白石も念のためにと経口補水液を用意している。飲む点滴だ。実を言うと今日の買い物にも含まれている。このスーパーに立ち寄る前のドラッグストアで購入したため、すでに車内なのだが。
「……白石。肩。落ちてる」
言われて気づけば、左肩からカーディガンがずり落ちていた。
「そっちも持つから直せ」
「あ、ごめん」
へらりと笑うと眉根を寄せられ、そそくさと羽織り直す。この瞬間預けただけのつもりだった袋も、白石から遠いほうの手にまとめてぶら下げられて返してはもらえず、仕方なく再び歩き出す。
ジリジリと焼けていく気配に、ああ帰ったらすぐにお風呂に入って肌の手入れをしようと決める。普段そう手をかけられているわけではないものの、もういい歳だ、もうちょっとどうにかしないと劣化する一方になってしまう。二十歳を越えたら下り坂と言うのだから。
と、突然の振動。ハッとすると藍沢の低い声が耳を打つ。
「馬鹿、救命のお前が搬送されるつもりか」
どうやら駐車スペースを出入りする自動車に気づかず接触するところだったようだ。身体中の暑さに一気に冷たさが混じる。腕を引いてくれなかったらと、まさかを思うと心臓がぎゅっと縮む。こんなところでそうスピードを出しているはずはないが、万が一ということは存外よくあると知っている。
「帰ったらすぐに休めよ。持てるかも計算せずに買い込んだり、ボーッとしすぎだろう」
「……ストレスの衝動買いみたいなものかな」
放されて、腕を掴まれていたことに思い至った。
「藍沢先生、あの、いろいろありがと」
返されるのは深いため息で、少しばかり気持ちが沈む。
天気はいいし、やりたいこともできて、たこ焼きは美味しくて、今日はいい日だと思っていたのに。
自分の自動車までたどり着くと、藍沢の手も借りて荷物を放り込んでいく。運転席に乗り込むと、藍沢が顔を寄せてきた。
「……大丈夫か? 事故するなよ」
「大丈夫だよ。一人じゃなかったからちょっと気が抜けてただけ」
「荷物。部屋まで無理せずに往復して運べよ」
こどもに言い聞かせるみたいに言うものだから、なんだかおかしくなってくる。
「わかった。身体傷めないように気をつけるから。もしも何かあったら明日手当てしてね」
「……何かあったらすぐに呼べ。行くから」
台詞がいちいち過保護で笑ってしまう。仏頂面で冷徹と思われがちな彼は、本当はこんなにも他人を気遣う性質を持っている。
エンジンをかけてその場を離れながら、やっぱり今日はいい日なのかもしれないなと思った。