離れていても、母親だもの
「お母さん!?」
翔北病院にたどり着き、さあ救命センターはどこかしらと見回したところで声がした。身体ごと振り向くと懐かしいとさえ感じる顔。
「ひさしぶりね、恵」
一人娘は驚きを顔いっぱいに浮かべて足早に歩み寄ってくる。青いユニフォームはこの病院の救命医の服装なのだと聞いている。ジャケットを着込んだ大人びた顔つきに、もう随分と顔を合わせていなかったように思えた。
「どうしてこんなところにいるの!?」
「だってあなた、帰ってこないどころか連絡さえなかなかくれないんだもの」
「それは……ごめん」
気まずそうにうつむく表情は昔とそう変わりがなくてほっとする。その手を取ると、小さな笑顔が浮かんだ。
「たまには電話だけでもくれないと、お母さん心配してるのよ。立派にやってるんだろうとは思っててもね」
危険を伴う仕事だと理解はしているつもりで、それでも一人娘だ、心配にならないわけがない。親からしてみればいつまで経ってもかわいいこども、それも女の子なのだから。
困ったように笑う娘が口を開こうとした瞬間。首から提げたPHSが鳴り出した。
「はい白石」
表情が切り替わる。医師の顔へ。
すでに母親の存在など見えなくなってしまったように話しながらも歩き出して、
「白石」
後方から現れた青いスクラブの青年の呼びかけに振り返る。
すれ違いざま目礼をしてきた彼は、娘とともに駆けて行く。「代わるか?」「大丈夫」短いやり取りが遠ざかる背中から聞こえた。わかったとばかりに肩を叩いて走り去る彼らは、とても息が合って見えた。
――ああ、ここには私の知らないあなたの世界があるのね。
凛とした姿にはもう、どこにもこどもだった頃の様子は見られない。寂しくもうれしくもある複雑な気持ちが駆け抜けていった。
「お母さん、まだいたの!?」
窓から夕日が差し込みだした頃、再び見つけた娘のもとへ向かう。忙しそうにしていたなら黙って帰ろうかとも思いながら、もう一目見ておきたくて待っていたのだ。
「お仕事中ごめんなさいね」
「いえ」
娘の隣には昼間見た青年が並んでいて、律儀に頭を下げてくる。
「娘がお世話になっています」
「先ほどは失礼しました。こちらこそ恵さんにお世話になっています」
落ち着き払って挨拶をしてくれる青年とは打って変わって、そわそわとした娘の様子がおかしい。離れていても母親だもの、感じるものがある。
「お母さん、私まだ仕事だから相手していられないんだけど」
それはもちろんわかっている。夫も医師だ、優先順位は心得ている。それでも一目と思ったのは……
「突然呼び出されて飛んでいくところを見たんだ、心配だったんだろう」
「そうよ。あなたにとってはいつもの仕事なんだろうけど、お母さん目の当たりにしたのは初めてなんだから」
娘よりも理解を示してくれる青年の言葉に大きく頷いて手を取る。着ているのは同じような青でもスクラブではなくジャケット。つまり、娘は今日ヘリで飛んでいたのだ。
辞めろなんて言わない。言えない。それでも目の前で事故現場へと向かう我が子の姿は心臓に悪い。
わかっているのかいないのか、顔を曇らせる娘に青年が口を開く。
「もう落ち着いたんだ、食事にでも行ってきたらどうだ」
「でも」
「何かあったらすぐ呼び戻すんだ。それまで行ってこい」
言い切られ、ためらいつつも娘は頷いた。
「……わかった。ごめん、お願いね」
「ああ」
会いたい思いでここまでやって来たものの、働き詰めの娘との時間が得られるとまでは考えていなかった。彼の心遣いがうれしい。
「あ、白石ー」
髪をひとつに結んだ、娘と変わらないくらいの女の子が声を上げる。それを青年は制した。
「緋山。白石は休憩だ」
「……ああ」
彼女もこちらに気づき、頭を下げてくる。
「ごめん緋山先生、なに?」
「いいよ、行っといで。じゃあさ、藍沢代わりに灰谷の面倒見といてよ。あたしもちょっと呼ばれてて、まあすぐ戻るつもりだし待たせといてもいいんだけど」
「灰谷だな」
娘が拝むように手を合わせ、二人は気にするなとばかりに笑って追い払う仕草をしてみせる。
ここは確かにこの子の居場所なのね。支えあっているのだろう様子が垣間見える。
心配は尽きなくとも、彼らとならば、きっと。