いつか帰るその日まで
「お、藍沢はっけーん」
仕事終わり、通い慣れた店で一人グラスを傾けていた藍沢のもとへ、見知った姿が注文もそこそこに遠慮なく隣に腰を下ろした。
静かに過ごしたくて奥まったソファを陣取っていたというのに、さわがしさの塊のようなものがやってくるとは。
「藤川」
名前を口にすれば、お疲れーと気の抜けた声で労われる。同期四人で揃って飲んだこともあったが、こうしてここで二人顔を合わせるのは初めてのこと。
「あいつどうしてるかなっつってたら、白石がここに来ればもしかしたらいるんじゃないかって。ひさしぶりに話そうぜ!」
話そうと言われても、藍沢から振るような話題はないのだが。藤川はそんな反応の鈍さなどお構い無しに口を開く。
「白石ともたまに居合わせんの? 俺はさ、なかなか上がり時間とか休みとか合わなくなっちゃって」
「緋山もいなくなって仕事を回そうと思ったらそうなるだろうな。出来る人間が同時に不在になるのは痛手だ、別々のシフトに入れるのは仕方ない」
「お。なに、俺たちのこと出来るやつって?」
何の気なしに口にした言葉に、藤川はさもうれしそうに食いつく。出会ったときから変わらないお調子者だが、今ではそれも悪くないと思えるから不思議だ。
「それより藤川、お前頻繁に連絡してきすぎだ」
運ばれたグラスに口をつける藤川を横目に、そういえばと思い出す。救命を離れて早数年。藍沢にとっても古巣は愛着のある場所で気にかかるものではあったが、自分から積極的に関わるはずもなく。
そんななか、藤川からの連絡は途絶えない。フェローを受け入れたこと、森本や緋山が救命を離れたこと、橘と三井が復縁したらしいこと、白石がスタッフリーダーになったこと、頑張りすぎるくらい頑張っていて時に見ていられないこと、誰が何を話していた、冴島がかわいいなど様々に。
「えー、いいだろ? 俺たちの仲じゃん」
「連絡してくるのはいいが返事はしないからな」
「そこは期待してねーよ。今更」
藤川は呆れたように笑う。確かに返事などほとんど返さないままにここまで来た、今更すぎたか。
「そうだ、コンサルいっつもありがとな。お前は救命の勝手もわかってるからやりやすいし」
酒の合間にピスタチオをつまむ。
「っていうのは俺らの甘えだな。誰が来ても同じように対処しなくちゃいけねーんだけど。でも、どうもお前がいてくれると心強いってかさ。ははっ、俺なに言ってんだろ」
酔いがまわりはじめたのか、道を別れた仲間と酌み交わす久々の酒に多少の高揚があるのか、藤川の舌はまわる。お前はすごいやつだよ、などと繰り返されるのは居た堪れない。
藍沢はグラスを呷り、揺らしておかわりを要求しながらピスタチオの殻を指先でもてあそぶ。
「……最近はどうだ」
「まあ、人手不足は変わらないけどな。フェローや応援で来る人間もなかなか居着いてくれないし」
コンサルで訪れるたび慌ただしく駆けずり回る彼らの現状を見ているだけに、居着かなかった人間の一人である身としては少々耳が痛い。それでも救命が機能しているのは彼らの努力の賜物だ。
「白石も頑張ってるけど」
「そうか。無理はしてないか?」
「もし今日お前に会えても変なこと言うなって釘刺されてっから」
「そう話してる時点で『変なこと』の内容は推して知るべしだな」
「ま、そういうこと」
白石に口止めされたと言いながらも藤川には隠すつもりはないようで、藍沢の言葉に苦笑をもらす。
すでにある程度互いの人となりを把握している相手に、そんなことを隠し立てしたところで意味などないのだと白石本人は気づかないものなのか。相変わらずしっかりしているようでいてどこか抜けている様子が目に浮かび、笑えるような何かもどかしいような気持ちに陥った。
「あいつ真面目なうえに頑固だろ? こうと決めたら譲らないもんだから、周りはどうかなーって様子見ようと思ってても、あいつは一人でも走り出そうとするんだよ。フォローする身にもなれってんだよな」
藍沢が届いた新たなグラスを傾ける様を眺める藤川は不機嫌な顔を作りながらも口元は笑っていて、口では愚痴をこぼしているのにそれだけが本心というわけではないと見て取れる。
「そういうわりには楽しそうだな」
「まあな。あいつがそうやって押し通そうとすることって、結局のとこ間違ってないんだよ」
そう言って笑う藤川は藍沢が彼らから離れてからの年月を感じさせて、胸中が、わずかに揺らぐ。知らない彼らを見せられて、思い知る、そのつながりに自分はいないのだと。
「自分のいない救命の話聞いてさみしくなったか? いつでも戻ってきていいんだぞー?」
「いずれな。今は脳外が楽しくなってきたところだ」
「そうか? お前が戻ってきたら助かるし、白石も喜ぶと思うんだけどなあ」
そう言われるだけで気持ちが引き上げられる心地なのはやはり酔っているのか。瞼を閉じれば、そこに浮かぶのは――
いつか、あのひたむきな頑張り屋を支えられる自分になったそのときは。