寄り添いたい背中
その背中を見つけたのは偶然だった。
午前午後と合わせて三回、ヘリが飛んだ。日没まで多少の時間が残っているため、まだもう一度くらい要請の入る可能性はある。
そんななかで、外へと出ていく白石を見かける。ヘリポートだろう。自分も彼女も、なにかあるとヘリを眺めて物思いにふけるのは、最早習慣のようなものになっていた。
自販機で二本買った缶を手に追うと、ヘリポートまで行かないフェンスのこちら側、格納庫が建ち並ぶ間に身を隠すようにして座り込むところだった。
「……お疲れ」
声をかけると跳ねる肩。
追ってきてはいけなかっただろうか。
「…………おつかれ」
返る声は弱く、やはり放っておいてほしいのだろうと察した藍沢は、しかしその場を離れることはなく。
手でもてあそんでるだけでは何の役にも立たない缶コーヒーを、その顔を見ないように彼女の傍に置いた。
藍沢は壁に背を預けて自分の缶のプルタブを上げる。軽やかな音とともに空気が抜け、口元に運べば香ばしいにおいが鼻をくすぐった。
――見ないようにしていた。それでも肩が震えるのがわからないほど視界に入っていなかったわけではない。
「…………ごめん、」
藍沢が立ち去らないからだろう、隠すすべもなく、立てた膝に顔を伏せ、明らかに震える声で白石が小さく小さく声を漏らす。
時々不意に抱えきれなくなる、あふれそうになるのだと。
ああ。ああ確かに。
今週に入ってからだけですでに四人、今日もまた一人、救えなかった。今月に入ってからを数え上げると、もっとずっと多い。
それ以上の人数を助けられた。それでも、記憶に、心に残るのは、救えなかったひとたちだ。
「出来ることをやった。全力だった。俺たちは」
藍沢の目はただただ自分の右手を見つめる。
今月のそれがいつもより多すぎるというわけではない。そういう問題でもないんだろう。
真面目すぎるほどに真面目で、元来やさしすぎる彼女は、抱えて抱えて、抱えきれなくなって、蹲るのだ。
「俺は救えなかった患者を覚えていたいと思う。でもお前はなんでも抱え込もうとするから、覚えすぎているくらい覚えているんだろうから、少しくらい、考えないようにしてもいいんじゃないか」
忘れようとしても、彼女のことだ、どうせ記憶の底に刻んでしまって消し去ることなどできないのだろうから。……こんなとき、その記憶力のよさが厄介だと思う。
「お前が忘れても俺が覚えておく」
忘れられないのだろうとわかっていて、そんなことしか言えない自分がもどかしい。こんなに近くにいるのに、慰めの言葉ひとつ器用に出てきてはくれない。病状や処置についてならいくらでも知識は出てくるというのに。手を伸ばしたいその心を掬い上げる術がわからない。
藍沢には小さな、華奢な背中が震えるのを見ていることしかできず、左手に提げたままだったコーヒーを喉に流し込む。
「…………藍沢先生には、情けないとこばっかり見せちゃって、ほんとごめんね」
涙の余韻のある声で言う白石は、ひとまず落ち着いたのか缶コーヒーを手に取った。
「俺もお前には妙なところを見せてるんだ、お互い様だろ」
あえて見逃さずに追ってきたくせに、お互い様も何もあったものではないのだが。藍沢は自分の台詞に自嘲するが、白石は気づかない。
「いつも迷惑かけてる。ごめん」
「迷惑なんて思うな。お前の言う迷惑なんて迷惑じゃない」
「……ありがと」
ため息を落とし落ち込む白石は、苦味を滲ませた声で微かに笑って腰を上げる。
彼女には伝わらない。藍沢の言葉が、ただやさしさや慰めからくるものではないことが。誰かが誰かに掛ける言葉ではなく、藍沢が白石に掛けている言葉なのだということが。
「……頼むから」
まだ振り返らない背中。
自分でも思いがけず、絞り出すような声がこぼれた。
「心配させてくれ」
寄り添わせて欲しいだけなのに。
それさえ拒まれてしまったならどうすればいい。
伸ばせない手を握り込む。
もし、もしも、これが特別な関係ならもっと安心させるやりようは他にあったのでは。不意に浮かぶそんな思考を振り切って、藍沢はただその隣に並ぶ。
いつの間にか、夕日がへリポートを照らしていた。