親鳥は籠のなか 3

 ホットラインに駆けずり回り、夕方近くになってからの昼食。先にフェローに食わせてやってと送り出された白石の目の前、食堂のテーブルには思い思いのトレーが並ぶ。
 見るともなしに見れば、葛西は牛丼、真坂は鯖の味噌煮と温野菜の定食だ。同期で食事をすると毎回似たような光景になるが、こんなところにも個性が出るものだと不意に感じる。

「聞いていいのか迷ってたんですけど、白石先生のお父さんってあの白石教授なんですよね?」

 そう口を開いたのは真坂だった。鯖の身を箸で器用にほぐしながら、まっすぐに問いかける。
 白石は小さく笑う。大学時代から研修医、フェローの頃と、以前はよく投げかけられた、しかし今ではひさしぶりに耳にする質問だった。

「ええ。白石博文は私の父親」
「数年前から全国で講演を行われていたと記憶してるんですけど、最近は聞かないですよね。また現場中心に戻られたんですか?」
「さあ。父にも考えがあるんじゃないかな。私はほら、離れて暮らしてるから」

 冷静に答えながらも白石が思い浮かべるのは、直近で顔を合わせた際の父親の姿。会うたびに痩せて衰えていく様子は、いつだって頭の片隅からは離れることはない。

「なんだ、白石先生にお聞きしたら最近のご様子とかわかるかと思ったのに」
「じゃあ先生は、お父さんの背中を見て憧れて的な?」

 牛丼を頬張りながら、葛西は屈託がない。

「それは、確かにあると思う」
「高名な親を持つといろいろ苦労しませんでした?」
「いろんなこと言われたりはしたけど。でもあれが辛かったとかこれが嫌だったみたいなことは特に浮かばないかな」

 幼い頃から色眼鏡では見られていた。医者の娘、教授の娘、お嬢様だから、など。当時はそう疑問に思うこともなかった、当たり前の環境だったから。
 それでも振り返ると思う。真面目であるべき、優秀であるべき、そんなふうに良くも悪くも周囲の顔色をうかがう性格はあの頃形成されたものなのかもしれない。

「もちろん勉強漬けだったから、世間一般で言うような青春時代は送れなかったけどね」

 それでも恵まれていたのだと理解している。医師になりたいと思っても、学力はもちろん、環境が許さないこともある。経済面であったり、身近な人間の応援であったり。
 白石にはすべてが揃っていた。過去、なんとなくこうなった、なんて口走ってしまったのは軽率だったと思う。

「えーっ、白石先生美人なのにもったいない!」
「……俺らだって青春なんかあってないようなもんだろ」
「それはそれ、これはこれ!」
「なんだよそれ」

 言い合いながらも進む食事はにぎやかで和やか。そんななかPHSが鳴り、揃って手を止めて立ち上がる。本日三度目のフライトだ。

*

 三井と葛西がドクターヘリで現場へと飛び、患者が乗せられた白車が受け入れ先の病院に向かうのを見送って、さらに帰還途中のヘリ要請に応えている間に、翔北では白石による治療が行われていた。
 急性喉頭蓋炎。前夜の診察では扁桃炎と思われていた患者が再び来院、気道狭窄がみられたため窒息を避けるべく気道確保の処置とともに抗生剤を投与、入院となった。

「……申し訳ありませんでした!」

 前夜の診察を受け持った真坂が深々と頭を下げる。部長室で腰掛ける橘は変わらぬ表情で部下を見つめていた。

「どうして謝る。お前は何か失敗でもやらかしたのか?」
「いえそれは、きちんと診断を行ったつもりでした」
「そうだ。昨夜のCTを見たが、あの段階で喉頭蓋炎と判断するのはむずかしかっただろう。今回のことは診断ミスとは言い難い。もう少し遅ければ危なかっただろうが、幸いにして再来院してくれ命に別状はなかったんだ、そう気に病むな」
「ですが……」
「まああの奥さんの目つきは怖かったけどなあ。あとでもう一度説明しておけばいい」

 なあ、と同意を求められた白石は頷いて返す。
 今日受け持ったこともあり担当は白石になる。処置の際にも説明は行ったが、夫人の顔を見れば、なぜ昨日のうちにその診断に至らなかったのかという感情がありありと浮かんでいた。

「俺が説明したほうが、」
「大丈夫よ。真坂先生はちょっと休憩挟もうか」

 患者家族の視線に動揺しているのを察した橘に呼び出された真坂だが、あっさりと諭されるばかり。
 医局を出て自販機で二人分の飲み物を買った白石は、それを手に真坂をベンチソファに促す。手渡したスポーツドリンクはいつも真坂が好んで飲んでいるもので、その目がちらりと立ったままの白石を見上げる。

「私にも覚えがあるの」

 ぽつりとこぼれたのは、数年前のこと。白石がフェロー三年目のことだったか。

「ノロウイルスだと診断した患者さんが急変してね。緋山先生が気づいてくれて、助けられた」

 誰よりもヘリに乗り、誰よりも手術に入り、誰よりも当直もこなそうとして、集中力に欠け判断力が鈍ったのだろうと、責められることはなかったが誰よりもそれを許せなかったのは自分だった。

「あのときは悔しかった。上級医の先生たちからはフォローされたけど、もっとしっかりしていれば……って」

 気遣われたことが一層堪えた。それでも白石は、彼らがただ気休めだけでそんな言葉をかけてくれたわけではないと理解している。
 目を伏せて話す白石の声に耳を傾ける真坂は、手のなかでペットボトルを転がして見つめた。

「同情から慰めてるわけでも庇ってるわけでもないのよ。後医は名医って言うじゃない。病状はその場その場で判断するしかない、でも進行しないと判別がつきにくいこともある。……なんて、あなたも医者の子だったわね」

 分かりきったことを言ってごめん。そう微笑んだ白石を、ゆっくりと持ち上がった真坂の視線が捉えた。真坂もまた、小さく笑う。

「私がフェローだった頃はいろんな不安があったから。真坂先生はしっかりしてるけど、気になることがあったら何でも言ってね」

 やわらかに微笑む白石はまるで母親のような顔をしていて、本心から告げていることが窺えるのだった。