西条から突然命じられて向かった部屋からは聞き馴染んだ声がしていて、藍沢は一瞬足を止めた。用件は聞かされておらず首を捻りつつもノックをして踏み入ると、白石がテーブル越しに男女二人と対していて、どうやら広報担当者にインタビューをされているところのようだった。
「脳外科の藍沢ですが」
ひさしぶりに正面から見る白石が、その大きな両目を瞬かせて見上げる。コンサルで数日前に顔を合わせたばかりだが、毎回慌ただしいなかでのことで、こうして相対するのはどれくらいぶりなのだろうか。
「ああ、聞いてます。お待ちしてました」
じゃあ先に写真撮っちゃいましょうかと、インタビュアーをしていた男がにこやかに言い放って立ち上がる。なんの話かいまひとつ掴めずに藍沢が眉をひそめると、白石もまた椅子から腰を上げつつも困ったように首を傾げた。
そんな二人の様子を置き去りに、広報の二人はテキパキと机上を片付けカメラの調子を確かめていて、藍沢と白石はお互い怪訝な顔を見合わせる。
「じゃあお願いします」
……と言われても。
立ち尽くす二人を、広報もまた訝しげに見遣る。
「申し訳ありません、連絡の行き違いか何も聞かされずにこちらに寄越されたもので」
「あの、私も部長の代理としてインタビューを受けてくれと言われてただけなんですけど、写真……ですか」
西条や橘が伝達ミスをするとも思えない。何かある、そう思わせるに充分な状況が成り立っていた。
広報は驚いた顔を見せたが、すぐに笑みを浮かべなおす。何か合点がいったように頷くと、手元のノートをめくり指し示す。
――ハグの日企画。
嫌な予感とともに作為的なものを感じるのは果たして気のせいか。白石もまた戸惑いの表情を浮かべている。
「八月九日がハグの日ということで、ハグの効果について特集するとともに、他科との関わりも多い救命の先生に他科との連携についてインタビュー、それに伴い救命と他科のつながりを表現できるようなハグ写真をと、」
よくある〇〇の日というものか。こじつけとしか思えずとも世間的にはそういうのが好きなのだろう。藍沢には興味のないことだが、生活しているうえで目にする機会もたびたびある。毎日が何らかの日になってしまって何もない日などないのではないだろうか。
「橘先生に依頼させてもらってたんですけどね」
つまりこれは橘の差し金か。
広報の台詞に白石は口を微かに開閉する。何かを言いたくて、しかし言葉にならないのだろうと見えた。
「橘先生には、おっさん同士のハグなんて誰得なのか、女医とのハグも奥様とヨリを戻したばかりで気まずいからと、白石先生をご推薦いただいたんです」
「……なんで、私……」
ようやく出た声はか細く、困惑があらわれていた。
「白石先生だと誰が相手でも絵になるだろうと」
そう断じられた当人は頭を抱えてしまったが。
「藍沢先生は救命から脳外に移られたとお聞きしました。ふたつの科のつながりを表現するにはもってこいだろうと言われていましたけど」
他人事ではない状況に追い込まれた藍沢も、隣で静かにため息を落とす。抵抗しても無駄だろう。この社会、上の指示は絶対なのだから。
「……顔は見えないようにしてもらえますか」
藍沢はすでに諦めの境地であり、動揺する白石を不憫に思う余裕さえあって、代わりに提案を出す。
ただでさえインタビューは白石が受けているわけで、さらにスクラブから所属はわかるし、となると患者にはともかくそれが誰と誰であるかなど関係者には伏せようもない。藍沢にしてみれば誰にどう見られようと構わなくとも、他人の目を気にする彼女はそうはいかないだろうから、せめて。
「白石、諦めろ」
端的に告げれば、白石も仕方がないとわかっているのだろう、肩を落としながらも小さく頷いた。
広報に言われるままに向かい合い、さて。さっさと済ませてしまえば一瞬だ。しかし二人の距離を詰めようとした藍沢に、待ったをかけたのは白石だった。
「あの、藍沢先生……ちょっと心の準備っていうか切り替えっていうか、私のタイミングでもいい?」
眉を下げて問う白石は落ち着かなげで、藍沢は吐息をひとつ、頷く。できることなら簡単に済ませて仕事に戻りたいところだが、急ぎの仕事も手術の予定もない。
緊張に身をかたくしている白石は、異性とのスキンシップには耐性がなさそうだ。藍沢とて得意ではないが、むしろ他人との接触など白石よりよほど不得手な自信があるが、ハグ程度仕事のうちだからやれと言われればやるまでだ。
じっと向かい合って待つ。白石のタイミングとやらがやってくるのを。
目が合って、逸れる。深呼吸。仄かに赤らむ頬。この様子では白石からのハグなど無理そうだ。いい歳をして、まるで純情な少女のようだ。
広報を見遣れば、カメラは構えているもののいつでもどうぞという雰囲気。気長に待ってもいいか。時間がある限りは眼前で恥ずかしげにしている同期をこのまま見ているのもいいような気がしてくるから不思議だ。
どうせできはしないだろう。断念した頃合いを見てこちらから動くか。
そんな予想を、否、藍沢の予想や想定を時に軽々裏切るのが白石だということを、迂闊にも忘れていたのだ。
えいやっとばかりに抱きついてくる白石に、硬直したのは藍沢のほうで。カメラがシャッターを切る音が静かな室内に響いているだろうに、妙な動悸が耳奥で鳴るようで――
写真に顔が写らず助けられたのは、咄嗟の事態に思わず赤面をさらすことになりかけた藍沢だったかもしれない。