明日、君は結婚する

 からりと、乾いた空気が頬を撫でる。夜風にしては暖かな風で紅葉はふっと目を細めた。空には満天の星が出ているのが美しく、手に持っているホットカフェオレのマグカップを確りと持ちながら見上げているときい、と僅かな音が聞こえてきて、ベランダに誰かが出てきたことを察した。振り返るまでもなかった。気配だけでわかると振り返らずにいると、気付いているはずなのに振り返らないことに疑問をいだいたらしい彼から声がかかった。
「紅葉、」と聞こえた声には僅かに緊張が走っているような気がした。紅葉は静かに振り返ってみれば、やはりそこには綱吉が立っていた。彼は珍しく、黒いスーツに身を包んでいた。お仕着せに見える衣装で、つい紅葉は笑ってしまった。
「わ、笑わなくたっていいだろ!」
「似合ってないなぁって」
 顔を真赤にして怒るところは昔から変わっていない。優しい、優しい幼馴染。紅葉はそっと目を閉じるように細めながらくるりと回って、体を柵に預けて星を見上げた。たっぷりと入ったカフェオレを一口啜る。寝る前だから、と甘めに仕上げてくれたのはルッスーリアだ。早めに寝るんだよ、と声をかけてくれたのはマーモンだ。おやすみ、と何時もと変わらずにいたのはベルで。スクアーロとXANXUSには会っていない。彼等は明日の打ち合わせとか、任務のこととか色々あるのだ。此処一週間くらい、ずっと休みになっているのは紅葉ただ一人だけだ。
「ねえ、ツナ」
 紅葉は綱吉を呼ぶ。彼は紅葉の隣に来て、同じように星を見上げる。

「ちょっと、マリッジブルーみたい」

 そんなことをいう、幼馴染の顔は少しだけ困ったように笑っていた。綱吉はそんな紅葉の顔を眺めて、困ったように目を細めた。マリッジブルー、結婚前に、少しだけナイーブになっているのだろう。XANXUSとの結婚は紅葉が自ら決めたことだ。彼と共に生きたいと願った紅葉の気持ちだ。だけれど、十六歳の女の子が人生の重大な決定を、ボンゴレや綱吉、XANXUSを守るためにということのためだけで決断するには少しだけ重かったのかもしれない。
 いつだって強くて、かっこいい幼馴染だった紅葉。仕方ないな、とか、どうしようもない奴、といいつつも綱吉のことを見捨てず、ボンゴレ十代目になってもなお、紅葉は綱吉の重大な決断の時に傍にいてくれた。
 だが、紅葉がXANXUSとの結婚を、幹部に打診され、決断するまではわずか一日。誰にも相談しなかった。幹部たちの思惑は、紅葉にXANXUSを監視させたいのだというのを、綱吉はリボーンから聞いた。「なんで、そんなことを!」を綱吉は叫んでしまった。他にも十代目の守護者達が聞いていたのにもかかわらず。ただ、紅葉だけが冷淡にそれが求められていることだから、と綱吉に伝えるばかりだ。

 紅葉はXANXUSを愛している。とても大切に思っている。
 だが、それと同じぐらいに綱吉達十代目ファミリーを大事に思っている。

「……逃げちゃう?」
 漸く、絞り出した声は震えていた。
 その言葉を聞いて、紅葉がその翡翠の瞳を丸々と見開いて綱吉を映し出している。綱吉らしい、言葉だったのに。今、そんな言葉が飛び出してくるなんて思いもしなくて。そして、笑った。
「逃してくれるの?」
「……紅葉がそうしたいなら、いいよ」
 ――――一緒に、行ってあげるよ、と綱吉が泣きそうな笑顔を浮かべた。すると、紅葉はもう一口カフェオレを飲む。満天の星空を見上げて、何を思っているのか綱吉にはよくわからないままだった。好きな人と結婚する幸福を、誰かを守るための策略にすり替えられた紅葉の気持ちを綱吉はわからない。幸せになりたい、と望む大好きな幼馴染を救うことも今の綱吉に出来ないということがわかっているだけ。
 差し出された小さな手をそっと握ってみた。手は、剣を握って出来る独特な豆だらけ。痛くない? と聞いたら、もう慣れて感覚がない、と答えられたことがあった。
「XANXUSは、きっと紅葉を大事にしてくれるよ」
「そうかなぁ」
 あの人、気まぐれだからなぁ、と苦笑した紅葉がそっと握った手に力を込めた。
 XANXUSだから、きっと紅葉のことは大切にしてくれるという確信が綱吉にはある。大丈夫だよ、と綱吉が笑えば、泣きそうな顔をした紅葉が漸く笑った。小さな手が震えていた。一度、その顔が僅かにうつむいて、そして、綱吉を見据えていた。緑色の瞳は、これから結婚して幸せになる少女というよりも、どこか何かを決意した瞳をしていたことが綱吉には悲しく見えた。

「明日、結婚します。十代目」

 大地の守護者として。
 右京家の跡取りとして。
 ――――愛という感情を切り離して、この政略結婚を受け入れる。

「うん」

 XANXUSを守るためにも、この結婚が必要だとわかっている。それでも、僅かに夢見る少女でいてもいいなら、せめて、愛の言葉をあの人から聞きたかったなんて、贅沢だろうか。
「見守っていて、くださいますか」
 眼の前で、不安げに笑った幼馴染のためにも、明日は世界一幸せな花嫁でいようと、決めた。