サンセットサマービーチ

「海に行こう!」
 水着を来たエリス、アロハシャツに遮光眼鏡を装着した鴎外が洗濯物を畳んでいる佐登に向かって明るく声をかけた。佐登はきょとん、とした顔をして、鴎外の襯衣を一つ畳んで、積み上がっている洗濯物の山へと置いた。今からですか、とか言わないあたりが良く出来ているものの、海ですか、と苦笑がちだ。
「幸いして明日、明後日と私も暮もお休み!」
「そうですね。護衛の皆さんはお休みがなくなりますねぇ」
「うっ」
「リンタロウ!! 負けちゃ駄目よ!!」
 絶対海に行くんだからね!! とエリスが後押ししている。そうか、今回はエリスを味方につけたか、と佐登は鴎外を見ている。仕事終わりに珍しく何やらわくわくしているなぁ、と思ったら。エリスが水着の侭佐登に抱きついてくる。
「ねぇ、クレ、行きましょ。海よ?」
 まあ、海外の海に行くとか言っているわけじゃないし。横浜の海であるだろうし、と佐登は思う。
「もう宿泊亭も取ってあるのだよ〜」
「どうして、事前に相談してくれないんです?」
 護衛のこととか、桃子の動きとか、色々あるというのに。佐登はエリスの頭を撫でながら鴎外に非難がましい目を向ける。
「……どうせ、もう車の手配もお済みなのですね?」
「うん!」
「クレの水着もバッチリ用意しているわよ!」
 わかりました、と言って佐登はたたみ終わった洗濯物を持ち上げて一度寝室へと引き上げていった。水着まで用意されているとは、と思いつつ着いてきた鴎外が手伝って一緒にクローゼットの中に洗濯物を片付けていく。そして、鴎外がサマードレスを佐登へと差し出してきた。これを着てほしい、という意味らしい。では着替えてまいりますね、と受け取った後、佐登は一度自室へと引き上げていく。
(こうなったら、絶対に止まらないもの。あの人)
 着ていた私服から鴎外に手渡された深い紺色のサマードレスを着て、上からカーディガンを羽織る。後、自分になにか必要なものがあるとすれば、化粧品やら、下着やらといったところか。自室にしまってあるそれらを取り出して手頃な鞄へと詰め込む。適当に準備しても、最終的には宿泊亭で買えたりするだろうから、鴎外の突発的な旅行にはこの程度でしか準備しないのだ。洋服とか、その他必要なものは鴎外が事前に用意していることが多い。
「おまたせしました」
「やっぱり似合ってるよ、暮」
 かわいい、と言われながら抱きしめられ、口付けを落とされると流石に気恥ずかしい。頬を赤く染めた佐登を見て、鴎外がふふと楽しげに笑う。佐登の鞄も鴎外がするりと持っていってしまう。「あ、」と佐登が手で追いかけると鴎外がん? と笑って制してしまうので、佐登にはどうしようもない。荷物持ちは男の仕事だ、と以前鴎外に釘を刺されているのだ。
「早く行きましょ!」
「宿泊亭はその近辺ではとても有名なオーシャンビューのリゾートホテルだよ〜」
「それは、それは……」
 いつの間にかサマードレスへ様変わりしているエリスと、わくわくとしている鴎外に背中を押されて佐登は自宅から出た。自宅の外では、同じく夏らしい服装をしている中原と芥川、そして数名の部下たちが待機している。なるほど、彼らの慰安も込みかな、と気付いた佐登は鴎外たちにあっという間に車に乗せられてしまい、宿泊亭を目指すのだった。


 本当に神奈川ではそれなりに有名な宿泊亭であった。横浜内ではないのはまあ、仕方のないことかと佐登は軽くため息をつく。中原とか、芥川も同行しているが、本部の方は大丈夫だろうか、とふと考えていると宿泊の手続きを終えたらしい鴎外が広津を伴ってラウンジへ戻ってきた。
「どうしたの?」
「……あ、いえ。すごく素敵なので、気後れしてしまって」
 いつもながら慣れませんね、と言っている佐登に対して鴎外は微笑んでみせた。堂々としていれば善いのだよ、と言われ佐登は自然と背筋を伸ばす。従業員が穏やかな表情を浮かべて鴎外たちに近づいてくる。中原たちとは部屋が違うのは当然のことだが、では、と鴎外が中原たちに手を振っているのが見える。明日は十時ぐらいに、と確認を済ませた鴎外に連れ立って佐登は中原たちに一礼をして去っていく。
「あのね、今日はね。ロイヤルスイート取っちゃった。ゆっくりできるからね」
「……鴎外さん、あの」
 する、と腰に手を回される。薄いサマードレスの上からはっきりと分かる鴎外の手の感触に佐登は顔を赤らめた。
「なんなら食事も二人で取っていいと思うし」
 ちゅ、と耳に触れる鴎外の唇に佐登は頬に熱をもたせた。動揺が瞳に滲んでいるのが見えて、鴎外はくすりと笑う。昇降機が着いて、扉が開くとさっさと部屋を目指していく。鴎外の手に導かれて、ロイヤルスイートへ足を踏み入れると、部屋の窓ガラスからは夜の海が一望できる。
「……素敵です、」
 小走りで窓の方へ向かって海を眺めている佐登を見て、鴎外は微笑む。喜んでくれているのなら何より。ボーイの説明は鴎外がある程度聞いておいて、もういいよ、と言えば流石にスイートルームまでついてくるだけはあって教育が行き届いている。それではごゆっくりとお過ごしください、と言って部屋から出ていったボーイから荷物を受け取って鴎外は佐登を手招きする。きょとん、と首を傾げた佐登がとことこと鴎外の後ろをついていくと、寝室だった。
「……っ、」
「ダブルの部屋を用意してもらっちゃった」
 リビング側からの明かりが入っているだけの寝室は当然薄暗い。その状態で後ろから鴎外に抱きしめられると、そういう連想をしてしまう。ちゅ、と項に触れる鴎外の唇が妙に熱っぽく感じるのは気の所為ではないはず、だ。はむはむ、と項を甘噛されると、甘ったるい声が佐登の唇から零れ落ちた。
「はっ、あ……っ、や、鴎外さん……っ」
「ふふ。……ああ、そう云えば、暮。此処は室内露天風呂も着いているんだよ、素敵だね」
 赤い顔で睨みつけてくる佐登に鴎外は微笑んで見せる。ちゅう、と強めに吸い付けば、髪の毛である程度は隠れるだろう位置に赤い痕がはっきりと残っている。歯を立てても良かったかもしれない、などと不埒なことを考えていたのに気づかれてしまったのか、佐登の手が思い切り鴎外の手を抓った。
「いたたたた、」
「お風呂はいつもどおり一人で入ります」
 ふい、と顔を背け、そして鴎外の腕が緩んだ瞬間にすばやく脱出した佐登が鴎外を睨みつけている。
「夕食に遅れてしまいますよ」
「はいはい、じゃあ、先にご飯を食べようか」
 宿泊亭に来たら、普段食べないご飯を食べるのが楽しみなのだ、と佐登が前に話していたことを思い出す。鴎外とともに生活するようになって、月に二度ほどは横浜に無数存在する宿泊亭の何れかには泊まっているのだからそれなりに慣れそうものだが、と思いつつ、なかなか食べに行かない鉄板焼きのコースを予約しておいてよかったなと行きましょう、と促してくる佐登のわくわくした表情を見て思うのだった。

 じゅわ、と肉が焼ける音に佐登が目を輝かせている。
「夏休み、これでよろしかったのですか?」
 鴎外側の隣に腰掛けていた中原がにこにこと笑って楽しそうな鴎外へ声を掛ける。ある程度の構成員も巻き込んだ慰安旅行だ。まあ、佐登も楽しんでいるようだがもう少し期間をとって夏休みとしても良かっただろうに、と中原は思っている。
「勿論。私や暮が長らく空けているわけには行かないだろう」
 はい、中也くん、とワインの瓶を持ってにこりと微笑むと、中原は慌ててグラスを手に持った。すみません、と一言添えた言葉の後、一口ワインを飲んだ。さすがはここらでは一等のリゾートホテル。いいワインを揃えているな、と思った。勿論、自身のワインセラーに入っているものの方が好みも踏まえて揃えているから、断然そちらのほうがいいのだが。
「美味しい? 暮」
「おいしいです!」
 幸せそうに食べている佐登の表情は料理人としてもなかなか喜ばしいものだろうな、と鴎外は思いながら自分もワインを口に運ぶ。色とりどりな料理が並び、目の前の鉄板で調理してくれたそれも出るのだから、見ていても佐登は楽しいだろうと鴎外は思う。
「鴎外さんは食べないんですか?」
 佐登がきょとんとした瞳を鴎外に向ける。食べるよ、と言って漸くナイフとフォークに手を付ける。こう言うところで食事をするのは別になんとも思わなかったのだが、最近では少し物足りないと言うかなんというか。広津曰く、完全に胃袋を掴まれましたな、とのことで。まさしくそのとおりだとは思う。こうして旅行とか、色々な外食にも連れていくが、はやり佐登のご飯が食べたくなるのだ。
「私はこのサラダ好きです……」
「よかったねぇ」
 勿論、佐登が疲れるようなことがあってはならないので、こうやって定期的に外食に連れ出すのだが。夕食を楽しんだ後、中原がやっぱり酒で潰れたので早々に立原に預けると鴎外は佐登をバーラウンジへ誘った。簡易照明のみの落ち着いたバーラウンジのカウンター席に腰掛けると、ふたりとも適当に酒を頼む。鴎外は蒸留酒、佐登はカクテルだ。
「お待たせしました」
 二人の前に出されたグラスをそれぞれ手にとって、かつん、と一度合わせる。ピニャ・コラータと呼ばれるホワイトラム・パイナップルジュース・ココナッツミルクを使った夏らしいカクテルだ。上には、パイナップルとチェリーがあしらわれており、とても飲み口も軽い。カクテルと言ってもあまり種類を知らなかった佐登だが、鴎外に連れられて色々なところに行くからか、こういうのもつい覚えてしまう。リキュールなどが揃っていれば、自分でも作れるのではないだろうか、とふと思ってしまう。
「明日は海だから、程々にしようね」
「もともと私、深酒いたしません」
 知ってるでしょう、と言えば鴎外が優しく微笑んだ。もちろん、と鴎外が言うので、佐登はちらりと鴎外を盗み見る。寝不足にならないようにしないと、明日熱中症になってしまうかもしれないな、と思う。そう云えば、水着は鴎外が用意したと言っていたが、どういう水着なのだろう。そんな、派手ではないと信じたいが。
「おや、秘書官、社長」
 こちらでしたか、と声が聞こえ振り返ってみれば、広津親子である。彼らも楽な服装をしており、桃子はハイネックのノースリーヴの襯衣にショートパンツという普段は見慣れない服装をしていて、佐登はほうと見惚れた。背丈があり、足も長いのでとても良く似合っている。これならば、引く手あまただろうが、何分にせよ本人がそういうことにまるきり興味が無いのも問題なのかもしれない。抑、彼女に勝てる男性がこの世に稀、という状況なのがこれまた。
 お隣よろしいですか? と聞かれて、佐登は勿論と頷いた。
「私はホワイト・レディを」
 桃子は手慣れた様子で注文した。彼らも一応護衛の名目がついているがもう自由時間なのだろう。桃子が飲酒をしているところを見るのは佐登としては楽しみだった。
「強いんですか?」
「そこそこです。秘書官はお強いのですよね?」
「さぁ、どうでしょう。深酒しないからかもしれませんよ、」
 佐登は苦笑しながら、グラスを持って一口。爽やかな甘さがなんとも言えない。鴎外側に腰掛けた広津が同じように蒸留酒を頼んでいるのを確認した。彼らが両端に分かれて座ったのは、矢張り護衛するための利便性だろう。なんとなく、判ってはいるので、佐登はあえて聞いたりはしない。出されたオリーヴをひとかじりしつつ、桃子たちと話しながらお酒を楽しんだ。
「桃子ちゃんも明日は水着ですか?」
「海ですからね! とはいっても、私の植物は海水に弱いのばかりなので、海には浸かりませんが」
「ええ、」
「しなびてしまいます」
「……それはまた」
 意外な弱点だ。凝固土にですら咲かせることのできるその植物が意外なところで、大層な弱点を持っていた。まあ、確かに大抵の陸上の植物は淡水でなければ育たないと言うし。塩気を浴びてしまうと、枯れてしまうなんて言うのは聞いたことがある。蔦系の植物も多いから、枯れやすいのだろう。桃子が苦笑している。
「然しちゃんと秘書官はお守りいたします!」
「あ、いえ、ちゃんと休暇を堪能してくださいね」
 勿論、いざとなれば彼らが動くのは判っているが、それまではせめて休暇を堪能してもらいたいものだ。佐登がそういうと桃子が苦笑した。すると、鴎外が佐登の肩をたたいた。どうやら、いつの間にか話し込んでいたらしい。そろそろ戻ろうか、と言われ、佐登は頷いた。チップも含めて、鴎外がお金を支払うと、広津達とはそこで別れた。

 部屋に戻ってくるとすでにずいぶんと遅い時間だった。寝不足には注意しなくては、とか思っていた先程までの自分はどこへ言ったのやら。早くお風呂に入ろう、と準備していると鴎外がにこりと笑っている。
「……い、っしょには入りませんよ?」
「ええ? もうこんな時間だし、どっちかを待ってたら遅くなっちゃうよ」
 明日は海だよ、と言われ、うっ、と佐登は言葉をつまらせた。確かに話し込んでいたのは、自分だし、遅くなってしまったのは事実だし、と佐登はぐるぐると考えた末に決断を下した。
「今日、だけですからね」
「わかっているとも」
 鴎外の満面の笑みに、負けた気がするのはどうしてだろう。
 ――――客室露天風呂はずいぶんと広く、海が見えるのはなかなかだ。佐登は足をお湯に浸けて、一度目を細めた。温度も丁度いい。ざぶざぶと進んで行くと、端へと行く。湯に肩までつかっていると、ガラガラと後ろの戸が開く。びく、と肩を震わせて、できるだけ後ろは見ないようにする。
「ああ、いい景色だね」
 鴎外の声がきこえてきて、佐登は更に端に寄ろうとするが、その前に鴎外に「どこに行くのかな、」と言われてしまい動きを止める。普段だって一緒に入ることはないのに、こうやって一緒に入るのはどうしても意識してしまう。今考えてみれば、全て鴎外の手のひらなのだろうな、とか思うと、あそこで広津親子がバーラウンジに来て、桃子と自分が話し込んだのもある意味計算の内だったのでは、などと勘ぐってしまう。
「暮、もう一寸こっちにくればいいのに」
「い、いいい、いいです」
 ぶんぶんと頭を振ると僅かに湿気った髪が揺れた。できるだけ鴎外の方を見ないようにしていると、くす、と楽しげな声が落ちてくる。いつの間にかエリス嬢の気配がないのは、鴎外が意図的に消しているからだろう。おそらく明日のビーチまで、エリス嬢は出てこない。
「暮、」と名前を呼ばれる。びく、と肩を震わせて、恐る恐る視線をそちらに向けてみれば、鴎外がにこりと笑って腕を伸ばしている。「おいで」
 極めて強制力の高い声だった。逆らえない。佐登は少し距離を空けていた場所からゆっくりと近づいていく。鴎外が縁に背中を預けて、両腕を広げているので、此処へこいということだ。手前側でぴたり、と動きを止めて鴎外を伺ってみると、楽しげに笑った鴎外に腕を引かれて、膝の間に収められた。素肌で密着するせいか、心臓が煩い。
「暮の心臓の音、凄いよ」
「わ、わざわざわかってること言わないでください……っ」
 酒で顔が赤いのか、風呂で温まって顔が赤いのか。それとも。まあ、おそらく最後が正解だな、思いながら先程痕を残した首に再度、濃く残るように口付けた。ひあ、と短い声を上げた佐登が手で口を覆っているのが見える。白い柔肌を手でなぞって堪能すると、恨みがましい目で鴎外を振り返った。きゅ、と唇を噛み締めているのは、意地でも声を出さないためだろう。
「ちょっとだけ、ね?」
「ふ……っ、ん、明日、海だって自分で言ったんじゃないですか……っ」
 知りませんよ、寝坊しても、と佐登が言うと、鴎外がうっそりと笑った。

「ちゃんと起こしてあげるから、大丈夫」