サンセットサマービーチ(後編)

 燦々と輝く夏の日差しに鴎外はパラソルの下から目を細めた。青い、輝く海を見ながらふっと肩をすくめて笑い、読んでいた本を閉じてテーブルの上に置いた。先程から待ち人をしているのだが、一向に来ようとしない。エリスも着いているので心配はしていないのだが、恥ずかしがってでてこない、というのが正解だろうか。結構似合うものを用意したのだけれどなぁ、と用意されいるサマージュースを口にしていると、ひたり、と後ろから誰かが来るのがわかった。気配でわかる。――――ああ、なるほど。と思って、鴎外はあえて何も言わず、何もせず、ひたりと、自分の目元に中てられる手の感触に目を細めた。
「だ、だぁれだ」
 動揺した声が可愛らしい。
「暮だね、」と言って思い切り手をひけば、わ、と驚いた声が聞こえて、佐登の体がなだれ込んできた。白いワンピースタイプの水着である。背中側の紐が幾重に交差しており、ワンピースタイプとは言え、子供っぽさを感じさせない意匠である。普段は降ろされたままの髪は揃いのシュシュでゆるく結ばれていた。日差しよけにかぶっていた麦わら帽子がぱさ、と音を立てて砂浜の上に落ちた。
「嗚呼、やっぱり似合ってるじゃないか」
「……うっ、あの、その」
「うん、かわいい」
 昨晩の痕がはっきりと残っている項を晒しているが、おそらく佐登は気付いていないのだろう。これはこれでいい牽制になるから放っておこうと、鴎外は思ってあえて指摘しない。すると後ろからエリスもやってきて、あー、と大声を上げる。
「リンタロウ! クレ返して!!」
「エリスちゃ〜ん! 水着とってもかわいいよ〜!」
 べり、と剥がされるかのように佐登は軽々とエリスの手元へ戻ってしまう。ぎゅう、と抱きつかれて佐登は苦笑するもののいつもとは違って、一つにくくっている髪を撫でる。鴎外がデレデレとしているのを冷たい眼差しで見つめた後に佐登を見上げた。
「クレ、日焼け止め塗りましょ!」
「そうですね」
「私、やってあげるわ!」
「え?」
 鴎外の隣のベンチに寝かされた佐登は困惑する。否、抑エリスに力で勝てないのだからこの状況はある意味仕方ないのだが、恥ずかしい。エリス嬢、と声をかけてみるも、彼女はまるで天使のごとく美しいほほ笑みを浮かべてなぁに、というだけだ。佐登の持ってきた鞄の中から日焼け止めを探り当てると、エリスはこれ? と首を傾げて聞いてくる。佐登がこくこくと頷くと瓶を開けて、その手に白い液体を取った。
「さぁ、クレ!」
「……お願いします」
 こうなっては譲らないのは鴎外と一緒である。隣で鴎外が微笑ましそうに見ているのがなんとも気になるところではあるが、佐登は致し方ない、と思って体から力を抜いた。エリスの小さな手に乗った、日焼け止めがひたり、と肌の上に置かれると妙に冷たく感じて、ん、と僅かに声が上がった。するり、と首筋を撫でた手が胸元へ降りて行くのを眺めていくと、いささか妙な気分になるのは仕方のないことだった。鴎外にまじまじと見られているのも問題なのかもしれない。
「あ、エリス嬢、そこは……」
「まんべんなく塗っておかないと、後で痛いのクレよ?」
「そ、そうなんですが、その」
 際どいところに伸びた手をつい反射的に掴んでしまった。そこは自分で出来ますから、と言えばエリスが少し不服そうにしたもののそう、と言ってあっさりと手を引いた。それよりも背中側お願いしていいですか、と佐登が言えばエリスはわかった、と答えて佐登に背中を向かせた。丁度鴎外と目が合うのだが致し方ない。恥ずかしそうに目線をそらせば、鴎外がふっと口元に笑みを浮かべた。
「ん、クレ、終わったわ」
 エリスのなめらかな手が離れていき、佐登は振り返った。
「有難うございます」
「どういたしまして! さ、行きましょ!」
 今度はエリスに手を引かれ、海辺の方へと走っていく。鴎外の方を振り返ってみれば、先程佐登が落とした帽子をしっかりと持っており、穏やかに微笑みながら手を振っていた。楽しんでおいで、と表情が言っているので、佐登は軽く手を上げて、エリスの後を追いかけていく。

 海は夏であるのにもかかわらず、思ったより冷たく感じた。足だけ浸らせた佐登がゆるゆると微笑んでいく。日差しは夏らしく暑いが、足元が冷たく心地良い。足で水をはねさせると、きらきらと水が光るのが美しくて、つい目を細めてしまう。
「クレー、えい!」
「きゃっ、」
 エリスが手で持ち上げた水が佐登に思い切りかかってしまう。思わず身を引いたがすでに遅い。
「もう、エリス嬢。仕返しです!」
「きゃあっ」
 佐登も身を屈ませて水を持ち上げると、エリスに向かって思い切りかけた。それからしばらく水の掛け合いをして遊ぶわけだが、それをパラソルの下で眺めていた鴎外がだらしのない笑みを浮かべていた。
「……眼福だねぇ」
 愛しい手奈児と、愛しい恋人。夏の日差しを浴びて、海で戯れる様のなんと美しいことか。ついつい頬が緩んでしまう。エリスの暑いから海に行きたい、という希望に応えてよかった。見ているだけで保養になる。日頃の疲れも全て忘れて楽しんでいられる。
「首領、お飲み物はございますか」
「嗚呼、広津さん。ありがとう、でもまだ大丈夫……否、二つ、もらってもいいかい? エリスちゃんと、暮の。暮のはパイナップルジュースにしてあげてくれるといいなぁ」
「かしこまりました」
 広津も休めばよいのだが、どうにも難しいのだろう。若い者たちが存分に楽しんでいるので、せめて自分くらいはこうしていようと思っているのか。桃子も似た考えなのか、立原や銀、樋口たちとビーチバレーをしていながらも、時折視線は佐登の方へ向いている。心配しなくても鴎外がいるし、何よりエリスがあれだけぴったりとついているのだから、よほどのことがない限り今日は大丈夫だ。
 すると、水を含んだ砂に足を取られたのか、佐登が転んでしまうのが見えた。エリスも佐登も楽しげに笑っているようなので、大丈夫そうだ。
「……夏もいいねぇ」
 鴎外のつぶやきは、誰にも聞かれないまま、夏の砂浜に解けて消えていく。



 佐登が戻ってきた頃には、髪も体も相当濡れていた。エリスに付き合ってさぞや水遊びを楽しんだことだろう。
「おかえり」
「ただいま戻りました。海、気持ちよかったですよ? 首領は?」
「私はここで存分に楽しんだからね」
 はい、といいながらタオルを手渡す。シュシュを解いて、髪を下ろすと軽く髪にタオルを掛けた後は、自分よりも先にエリスへタオルで丁寧に拭いていてあげていた。
「ふたりとも、飲み物をどうぞ」
 鴎外に勧められて、エリスもベンチに腰掛けている。佐登は穏やかに微笑みながら、鴎外の隣に腰掛けて手渡されたトロピカルジュースを啜った。たっぷりと水遊びをした後なので、冷たいジュースがとても心地が良い。酸味のあるパイナップルの味が強いジュースだ。嬉しそうににこにこと笑っていると、鴎外が穏やかに微笑んで、おいしい? と聞いてくる。その声に、あまりにも子供っぽくはしゃぎすぎただろうか、と佇まいを直すと鴎外が苦笑した。
「楽しんでていいんだよ?」
「い、いや、でも……あまりにも子供っぽかった、かと」
 頬を赤らめた佐登が軽くうつむいてしまうので、鴎外はそっと手を伸ばす。まだどことなく濡れている気がする髪を払って、頬に手を添えて、顔が上を向くように促した。藍色の瞳が困惑と緊張と、羞恥の色をともしていて、薄っすらと涙すら浮かべているのが愛らしい。
 そのまま、唇を塞ぐ。ん、と溢れる吐息に震える唇。触れるだけの短い口付けから、鴎外の舌が佐登の唇を割って口内へ入り、逃げようとする舌を絡め取る。相変わらず、深い口付けに慣れない佐登の初々しさが愛らしく、鴎外としては好ましい。無垢で、無知である方が鴎外としては好みなのだ。――――もとが、幼女趣味であることもあってか。
「……はっ、」
「ん、暮、どうしようか」
 鴎外が妖しく微笑んでいる。言いたいことはわかる。このまま、海でまた遊ぶか、それとも鴎外と宿泊亭の部屋に戻って過ごす、か。判断を委ねられるとすごく困ってしまう。戻って過ごした場合は、おそらく夕食時まで佐登は起き上がれないだろうな、と思う。
「……ずるい、」
「そうかな。私は暮が決めたのなら、どっちでもいいよ?」
 にこにこと笑う鴎外に抱きしめられてしまう。完全に逃げ場がなかった。
「……部屋に、戻ります」
「そう。わかったよ」
 鴎外が穏やかに笑って佐登と一緒に立ち上がると腰を抱いた。
「一寸、リンタロウ!」
「ごめんね。暮も少し疲れちゃったんだって」
 エリスが不満そうな顔をして見上げてきているのを、苦笑がちに返した。佐登の肩に上着をかけてやって、広津に部屋に戻っていることを伝えると彼は何も言わずに鴎外と佐登を見送った。


 部屋は静まっている。すでに部屋の清掃が済んでいるのだろう、きれいに整えられたシーツがそこにある。水着の上からワンピースを着ただけの佐登に入浴を勧めて、鴎外は寝室のカーテンを締めた。
(あんまり明るいと、嫌がるからね)