「せーいちくんのせい!」
日暮れ前の住宅街に小型犬が吠えたような高い叫びに顔を上げた。
前を歩く男女の男の人は見覚えがある。隣の家の幸村さんだ。彼より頭一つ小さい女の子が仲良さげ歩幅を合わせて歩いている。
長く伸びた二人の影を踏まないように、行く先はきっと同じだから追いつかず離れて後ろを歩いた。
でもどうしよう。このままじゃ、エレベーターホールか階段で上がったとしても玄関先で鉢合わせしてしまう。
幸村さんとは気まずくなるような親密な関係でもないけど、ほかの女性と親しげにしている間に割り込むほどわたしに勇気はない。
幸村さんたちがマンションの自動ドアを潜ったのを見届けてから、わざとそこを通り過ぎてコンビニへ向かった。
「あれ、名」
「どうかしたの?」
「いや、お隣さんが向こう行っちゃったからどうしたのかなって」
「ふぅん。買い忘れじゃないかな」
コンビニというものは常に魅力に溢れている。意外と柔軟剤が安かったり、店内で作ったお惣菜があったり。ぐっと財布の紐を縛り、自宅へ戻った。
今日の晩御飯はどうしよう。鶏肉のソテーかな。
なんだか今日は簡単なものが食べたい気分で、冷蔵庫にある食材からできるズボラご飯を考えていたらインターフォンが鳴った。
のぞき窓を見れば幸村さんが立っていて、すぐに玄関を開けた。
ちょっと頼みたいことがあって。そう恥ずかしそうに告げた幸村さんの後ろをついていく。もちろん、自宅の戸締りはきちんとして。
『……凄惨だね』
「収拾つかないみたいなんだ。お昼ご飯奢るから何とかできないかい?」
「ご、ごめんなさい」
土まみれのシンクに、歪に切られた野菜。吹きこぼれた跡のある鍋とコンロ。
エプロンを着た女の子が俯いて絆創膏がたくさん貼ってある手で布巾を握りしめていた。
ザラついた床ももしかしたら塩でも零したのだろうか。
よし。わたしは腕まくりをして、幸村さんのキッチンをお借りする。
『ポトフの予定でした?』
「そ、そうなんです!」
『時間もないので、カレーにしちゃいますね』
いつもの手順で野菜や肉を炒め、カレー粉を入れて煮込む。その間にシンクや床掃除も済ませ、お米を炊いていないことに気付き、米を研ぐ。
こんなことしてたら自分の晩御飯は冷食パスタだなぁ。
「神だ!女神様だ!ありがとうございます」
女の子は深々とお辞儀をし、幸村さんも頭を下げた。
元々ポトフの予定だったおかげもあり、元々煮込まれていた野菜のブイヨンや後から炒めた野菜を入れたため、野菜たっぷりの美味しいカレーができた。
「次からはちゃんとレシピを控えてくること。あと、簡単なものから。いいね?」
「はぁい……」
『なんだか幸村さん、お兄さんみたいですね』
「ふふ、これの兄だからね。一応」
「これって何よ!」
妹ちゃんが幸村さんの頬をつねって、幸村さんが上から妹ちゃんの頭を押さえつけて、狭い場所で喧嘩されたら怪我をしてしまう。
慌てて仲裁に入り、妹ちゃんはわたしの背中に回り睨み合う。二人とも大人気ない。
『仲良くご飯食べてくださいよ。わたしは帰りますね』
「えっ、帰るの?」
二人が声を合わせて、キョトン顔を添えてわたしを引き止めた。
わたしも一緒に食べる予定だったの?
二人して美味しい美味しいとベタ褒めされながら食べるカレーは絶品だった。
「今度料理を教えてください!」
「俺からも頼むよ。名なら母さんみたいに何でもちょっかい出さないだろうし」
『簡単なご飯からね』
幸村さんの妹ちゃん、いきなり食べたいものから作り出しそうなのがここ数時間でわかった。
狭いワンルームのキッチンでの料理の作り方も教えてあげよう。いつ大怪我するかわからないや。