『あ、あれ?』


音もなく部屋の中が真っ暗になった。
ブレーカーでも落ちたのかな。でも、テレビ見てただけだし……。


「名、大丈夫?」


壁をノックされたあと、ベランダの方から幸村さんの声がした。

携帯電話の薄明かりと手探りでベランダの方へ向かう。
これからはもしものために枕元に懐中電灯を用意しておかないと。


カーテンを引くと、煌々と照らしているパーキングエリアの看板も、街灯も消えていて、この一帯が停電を起こしていることを目の当たりにした。

状況を知らない一台の車がマンションの前の通りを横切り、信号のない大通りを右折していった。


わたしが戸を引くと、先にベランダに出ていた幸村さんが薄い壁を越して、手を振っていた。


「すごいね、一帯が停電だ」
『送電線が切れたのかな。ちょっと異様ですね』
「そうだね。多分街灯くらいは予備電源でつくと思うけど。ほら」


ちかちかと点滅しながら足元のアスファルトを点々と街灯が照らし始めた。
少しだけいつもに戻ったようで、安心した。


「夜の停電はちょっと怖いね」
『それなんですよ。無理やり寝ちゃおう!って思っても、何かの予兆だと怖いし』
「一人だとネガティブになるしね。このまま戻るまで話していようか」


12時を回る手前、停電に気付いていない人もいるのか、それほど騒ぐ人もおらず、静まり返っているのが異様というか、別世界にいるように感じた。

100年、もっと前はこれが当たり前の夜だったと思うと、夜は危険なんておばあちゃんが言っていたこともなんとなくわかる。
変質者や凶悪犯の危険だと思っていたけど、溝に足を取られたり、電柱にぶつかったりするほうが今はよっぽど危険だ。

遠くから救急車とパトカーのサイレンが聞こえてきた。早速どこかで事故があったらしい。
バイトの帰りだったら、この異様な街を一人で歩いてたんだと思うと怖くなってきた。


「暗くなるともう少し星が見えると思ったんだけど、そんなにだね」
『でも、月がずっと明るく思えます』


月が主役の夜を初めて見たかもしれない。

どこにいても近い人口の光に邪魔をされて、どこか薄く霞んだ夜なのに白んだ空しか知らなかった。
冬には辛うじてシリウスと、影の薄いオリオン座は見えていた。
私にとって夜はネオンや蛍光灯の足元の明るい昼間だった。


『幸村さん、星が好きなんですか?』
「好きというほどではないけど、子供の頃に軽井沢で見た星空がすごくてね、これだけ暗い夜だとそれを思い出すんだ」
『いいですねぇ』


幸村さんの声は弾んでいて、とても楽しかった思い出だったのが伺える。
いいなぁ。林間学習も雨でとてもそれらしいことは楽しめなかったなぁ。


「今度プラネタリウムでもどう?」
『観たいです!でも、椅子がふかふかで寝ちゃうんですよね』
「俺、あんまり行ったことないからよくわからないんだよね」
『勿体ないですよ。寝てください』
「何しに行くかわからなくなってるよ」


そうこう話しているうちに停電が復旧したのか、冷蔵庫が唸りを上げた。
コインパーキングや看板、玄関の明かりがまばらに灯り始め、いつもの夜に戻っていく。


『あー、よかった!これで安心して眠れる』
「俺はレポートの打ち込みの続きをしなくちゃ」
『で、データ大丈夫ですか?』


停電が起こった時、怒りにも落胆にも聞こえた悲鳴は、どこかの誰かがデータが消えた叫びだったのかもしれない。

幸村さんはノートパソコンだから大丈夫だと笑った。
同じ学生の身、わたしもホッと胸をなでおろした。


『あ、明日一限だから寝なくちゃ。幸村さん、おやすみなさい』
「おやすみ。プラネタリウムに行くこと、忘れないでね」


ガラス戸を締めてカーテンを引く。
停電になったまま、電源が落ちていた照明を点けると、それまでが些細な出来事であったかのようにいつも通りだった。


幸村さんと遊ぶ約束をしてしまった。まだいつかは決まってないけど。

ベッドになだれ込み、シミひとつない天井を見上げる。

幸村さんと歩くとき、なんだか友達と遊ぶ感覚ではなくなる。
隣同士だからどこか気をつかう部分があるからだろうか。それとも、イケメンと歩く緊張や下心からだろうか。
さりげなく、妹ちゃんや切原くんが付いてきてくれればいいのに。


つけたばかりの照明を切ってわたしは眠りについた。