「危ない!」
『きゃっ!』
球技大会の男子バレーの試合中、俺の打ったスパイクが思いの外跳ね上がり、応援している女子の顔に当たった。
彼女はそのまま床に倒れこみ、体育館が騒然とした。
弾き飛んだ彼女のかけていた眼鏡のフレームが歪んでいる。かなりの威力だった。
「姓!」
コートから飛び出して、彼女を抱え上げる。
気絶してしまっている。少し頬も腫れている。
背中に冷や汗が伝う。なんてことをしてしまったんだ。
「姓を保健室に連れて行きます」
「あ、ああ」
驚くほど軽い姓を揺す振りすぎないように優しく、だけど駆け足で保健室に運び込み、そっと空いているベッドに寝かせた。
彼女の髪が白いシーツに広がる。
どこか怯えた目をして、淡雪のように教室の片隅に佇む、物静かな彼女。
まぶたを降ろし、苦しげに眠る彼女は白雪姫を彷彿とさせた。
『んっ……』
薄く開いたまぶた。よかった、とりあえずは無事みたい。ほっと胸を撫で下ろす。
「起き上がらないで。頬も腫れているから湿布も貼る」
『あ、ありがとうございます』
肩まで布団を掛けて、無理矢理ベッドに寝かしつける。
なんでこんな時に先生は席を外しているんだ。
勝手に戸棚から湿布を取り出し適当なサイズに切ってから彼女の頬に貼り付けた。
「早退して病院に行くんだよ。保健室の先生を呼んでくる」
『あれ、先生じゃない?』
彼女は首をかしげた。
姓は分厚いレンズの眼鏡をしていたっけ。俺の姿がよく見えていないのか。
「一応、クラスメイトなんだけど。幸村。わかる?」
『えっ!?』
姓は体を起こし、後退る。いつもの怯えた顔だ。頭が痛むのか体を丸めた。
『さ、触らないでっ!』
俺が手を伸ばせば、掻き寄せた掛け布団に包まってしまった。
彼女に何か悪いことをしてしまったのだろうか。これほど拒絶されてしまうとさすがに傷付く。
わざと足音を立てて、保健室を出る。先生を呼んでくると、一言声をかけ、もう一度保健室に足を運ぶことはなかった。
『ぁ、ゆっ、ゆき、幸村、くん、きき昨日はあ、ありがとっ』
朝一番、姓に声をかけられた。
早退した後、眼鏡も買い直したらしく青いフレームの眼鏡をかけていた。
「こちらこそごめん。俺が打ったスパイクに当たったんだ。それと、君に何かしてしまったかい?」
今だって目を合わせてはくれないし、今にも逃げ出したいと足が落ち着いていない。
俺は姓の桜のような華やかさと儚さに惹かれていた。だから見つめるぐらいのことはしていた。
その視線が不快だったとあれば謝るし、見つめないように努力する。
「幸村、そこまでにしてやってよ。名、男の人が怖いんだよ」
友人に背中を押され、自分の席へ戻っていった姓。
「血相を変えて名をお姫様抱っこで保健室に運んだのは吃驚したな。……名のこと好きなんでしょ?」
「うるさいなぁ」
フイと彼女から顔を背けた。
あの怯えた目はそういうことだったのか。
よく見えていないあの時は俺を認識できていなかったから、普通に接してくれたのか。
拒絶された傷は少し癒えたけれど、男として認識されなかったのはほんの少しがっかりする。
「無理しなくていいからね」
『大丈夫。大丈夫だから』
姓と日直が重なったある日。
返却のノートとプリントを持っていくように頼まれ、二人で並んで廊下を歩く。
俺はノートを持ち、比較的軽いプリントを姓が持っている。
何度かこういう機会があって、姓は吃ることなく話せるようになってきていた。
「無理して答えなくていいから、耳だけ貸して。男性恐怖症なのに共学で平気?……そう」
左右に振られた首。
『立海入ってからなの。何度か痴漢されて、そんな人ばっかりじゃないって思っててもやっぱり怖いの』
痴漢をする奴は何かしても強く言ってこない人を選ぶと聞いていたけど、姓を狙うなんて許せない。
ノートが入ったダンボールを持つ手に力が入る。
「どうして俺に話してくれたの?」
『あれ、覚えてない?幸村くんが痴漢から助けてくれたの』
そんなこともあった気がする。あれは姓だったのか。
『だからほんの少しだけ男の人を見直したの』
初めて俺に向けられた笑顔。胸が高鳴り、唾を飲み込む。
『幸村くんが特別なのかもしれないけどね』
「えっ、それは」
『チャイム鳴るよ』
「待って、姓!」
小走りで俺より先に行く姓。両手がふさがっているために、手を掴むこともできず、追いかけることもできず、ただただその後ろ姿を見送った。
姓、君はずるい奴だな。