「名、いいバイトがあるんだけど、乗らないかい?」


幸村からの甘いお誘いだった。
お金欲しさに即オッケーを出してしまったことに後悔をしている。
1日1万5千円の4日間。どう考えたっておかしい話なのにね。


高校二年生の夏の朝の話。
放課後に一緒に帰りながら、バイトの説明をするとお互い授業へ向かった。


「バイトの話なんだけど、住み込みで俺の世話をしてほしいんだ」
『お断りします』
「一度飲んだよね?」
『即採用だったんですか』
「名が断るとは思ってなかったからね」


断ると思ってなかったって。
ふふっ、なんて穏やかに笑うけど考えてること真っ黒じゃん。

聞けば、その4日間家族はお盆の里帰りをするらしい。幸村は残酷なことに部活でお留守番。
仕方ないよね、レギュラーなんだもんね。
まぁ、ちょっと前に幸村の前で夏休みに短期バイトしたいみたいな話してたから、上手いように釣られてしまったのだけど。

しかし、住み込みかぁ。


『幸村って日中部活でしょ?他人が居ていいの?』
「他人って間柄じゃないだろ。母さんも名に困ったら来てもらえって言ってたぐらいだし」
『暴力的なまでに幸村家は幼馴染を利用しますね』


要は炊事洗濯掃除をわたしにお願いしたいってことね。
そうしてほしいならバイトなんて回りくどく言わなくてもいいのに。

それ以外の時間は好きなようにしていいとのこと。自由だ。


『小学生のときみたいだねぇ、お泊まりなんて』
「そうだね。あの頃はお風呂とかも一緒だったのに」


昔は夏休みや春休みはお互いの家に泊まっていたのに。
中学で幸村が私立に行ってしまって部活に明け暮れる日々と、学校で会えないことで微妙にできてしまった異性への意識のせいで遊ぶことすら少なくなってしまった。

高校でわたしが立海に飛び込み、毎日会うように戻ったけれど、もう《せーちゃん》と呼ぶのは恥ずかしくて《幸村》と呼ぶようになった。
相変わらず幸村はわたしのことを《名》と呼んでくれるのに。


「じゃ、名よろしくね」
『うん。お母さんに伝えとく』


帰りが一緒になれば、わたしの自宅のマンション前まで幸村は送ってくれる。
というより、駅から幸村の家までの道のりにわたしの家があるだけだ。


「あ、そうそう。なんでお金が必要なの?」
『舞台観に行きたいの。11月公演のリア王』
「名ってそんなのに興味あったんだ」
『中学の芸術鑑賞でお遊戯じゃないロメオとジュリエットを見てね』


目をまん丸くして感心する幸村。
アニメばっかり観てた小学生の頃とは違うのよ。

はしゃぎまわって膝に作ってたかさぶたもできなくなったし、傷跡だって消えちゃうくらい月日が経ったのよ、せーちゃん。
埋まらないかな、中学3年間の隙間。