手術は成功し、俺は変わらぬ日常を取り戻した。
よかったなと運命聞かされていた友人たちは笑った。いや、まだ気を抜けない。まだ15歳を迎えていない。


「名」
『はい』


黒猫の姿の名が植木の下から姿を現した。幸村家で飼われることはないが、今もこうやって庭で暮らしている。


「名や」


しゃくれた声の男の声が聞こえた。
人の姿となった名は俺の後ろに隠れた。声に警戒してキョロキョロと身を屈め辺りを見渡している。


「こっちじゃ」
「うわ!」
『ぬらりひょん様』


俺たちの背後に佇んでいた、煙管の爺さん。これが妖怪の長と言われるぬらりひょんか。知らない間に人の家に上がり込んで何をするわけでもない謎妖怪。


「禁忌を犯した名への罰が決まったぞ」


懐から取り出した紙。遠ざけたり近付けたり、老眼なのはその辺の爺さんと変わらないな。尚更彼の偉大さがわからない。


俺に運命を話したことの罰が決まったのか。
名はこの世から消えるか、あやかしとなるかのどちらかだと言っていた。どちらにせよ、俺の前に姿を現すことなんてできないと。

何故かそれが嫌だと思った。知らず知らずのうちに彼女を愛していた。


「えー、妖怪としての力の剥奪と、残りの寿命を60年とし人として生きること。以上じゃ」
『そんな』


突風が吹き抜けたと思えば、ぬらりひょんの姿は目の前から消していた。


「ああ、そうじゃ、精市や」


よろよろとまた姿を現したかと思ったら、突風に飛ばされただけだった。妖怪の長というのに、泣けるほど弱いな。


「名のことをよろしく頼むぞ。君の魂が彼女をこの世に縛り付けて、わしらにも解くことのできないくらいの強い願いに結ばれておるからな。
それにな、これは運命を覆した君への罰じゃからな。死ぬときは名も一緒に」


そう言って彼は姿を消した。今度は多分本当に帰った。


名は与えられた運命に涙を流していた。その体をそっと抱きしめる。
ぬらりひょんや罰を決めた妖怪たちは名に甘かったのだな。


『60年なんてあっという間すぎます』
「そうかな。人間の人生ってそんなものだけど」
『え?』


名は2000年も生き続け、短命の俺の命しか知らないが故に人間の寿命なんて知らないのだろう。


「俺の魂、最期まで見届けるんだろう?」
『でも、』
「俺は生きるよ。きっとね」


短命の運命は覆った。現代の医療技術にねじ曲げられる運命とはなんなのだろうか。
俺に残された60年の命。名に寄り添ってもらわないと。


「助けた時のお礼、まだもらってないな」
『もう、妖怪の力はありませんので、難しいです』


親指で名の涙を拭う。
赤く腫らした目には黒い瞳が揺れていた。そこに猫であったおもかげはない。


「あら、精市ってば名ちゃんを泣かして!」
「お兄ちゃん名ちゃんをまた虐めてるの?」


名の存在を猫のときですらあまり認識していなかった母と妹が泣いている彼女を見て駆け寄ってきた。何が起こっているというんだ。
名と顔を見れば、彼女も何が起こっているかうまく理解できていないようす。


「なぁに、一年も一緒に住んでいるのに忘れちゃったの?ご両親を亡くして身寄りのない名ちゃんを養女として迎え入れたじゃない」


初耳だ。
ということは、名は戸籍があったり、ごく当たり前に人間として生活していた世界に書き換わっているということか。
うーん、妖怪というか、ここまでくると俺たちだけが切り離された別の世界の存在のようだ。
ともかく、名と共に過ごすことのできる基盤のある世界なのだ。


「死ぬまで一緒だ、名」


彼女の左手の薬指に光った指輪。俺にも同じ物を。
すっかり人間に馴染んだ名は大きな瞳に涙を浮かべ笑った。
沢山の祝福を受け、俺にも名にも似た腕の中で眠る子。


俺の魂の終焉に。愛しい黒猫と続いていく未来に。