『柳君、柳君』
両手で本を抱えて、誰もいない廊下を駆けてくる名。
本来ならば注意すべきなのだろうけど、俺を見かけてニコニコと駆け寄ってくる名が可愛いので、何も言わない。
名はようやく手にした女の子である。
アプローチをしても小首を傾げるばかりで中々気付いてくれなかった。
さりげないアプローチではなく、弦一郎でさえも俺が名に好意を抱いていることに気付く程度。
俺が彼女に好意を抱いていると気付いたのが一年生の二学期。
それからさりげなく彼女に近付き、二年もかけてこの立ち位置を手に入れた。
もうすっかり同学年には「柳は姓が好き」が浸透していた。
もどかしい関係と思いながらも、部活を引退するまでストレートに気持ちを伝えないつもりでいた。
さすがに部活に勉強に生徒会に恋愛には自分でも無理だと察したからだ。
だけど桜が散ったある日、名から告白された。
顔を真っ赤にして、風に消えそうな声で好きと告げてくれた。
『柳君におすすめしてもらった本面白かった!』
ニコニコと笑って、胸に抱いていた本を差し出し、桃色の唇から本の感想がこぼれ落ちる。
ほのかに名の体温が残る本をカバンにしまう。
「帰るか」
『うん!』
歩く速度を落とし、名の歩幅に合わせる。
名の部活がある日はこうやって一緒に帰る。
と、言っても名は電車通学で俺は徒歩のため駅まで。
学校から駅までは30分ほど。
普段ならバスに乗るが、俺と一緒にいたいと名からの要望で、遠回りになるが徒歩で駅までの向かう。
部活でとてもデートなんてしてやれないため、この30分は至福のひとときである。
『あ、雨』
部活が終わった頃は降っていなかったのに、名を迎えにいって昇降口を出るまでに地面を濡らしていた。
鞄から黒の折り畳み傘を取り出す。
「傘はあるか?」
『んー、ない!』
いや、名は持っている。
「じゃあ、一緒に入るか」
嬉しそうにこくんと頷く。
広げた傘の中に、手も繋いだこともないのに密着されてドキリと胸が跳ねる。
それは名も同じなようで、小さい体をより小さくさせている。
「濡れてないか?」
『大丈夫。柳君は?」
「平気だ」
『そんなわけないでしょ』
「構わない。名はこの後電車にも乗るだろう」
『うー』
俺に何を言っても敵わない。
それを知っている名は唸ってから、素直に傘の中に収まる。
たわいのない話をしながら駅までの向かう。
一つの話題が終わった時に、名は立ち止まった。
「どうかしたか?」
緊張した面持ちの名。
俺が背が高い故に自然と上目遣いで見上げられて、ゴクリと唾を飲む。
『キスしてくれませんか?』
予想外の要望に驚き声を漏らす。
『ダメとか、まだ早いとかだったら待つよ?』
「願っても無い。しかし、まだ付き合って一月も経ってないが」
『あれ?そうだっけ。もうずっと柳君が好きで一緒にいたからわかんなくなっちゃってた……』
嬉しいことを言ってくれる。
名の頬を撫でれば、名は見上げて目を閉じた。
深呼吸を一つ。それから優しく唇を重ねた。
甘い香りがした。
『柳君、顔赤い』
「名もな」
額にキスしてやればより一層顔を赤くした。
仕返しとばかりに腕に抱きついてきた名。
この上ない幸せに息苦しくなる。
『もっと駅が遠ければいいのに』
「足りないか?」
『ほんの少しね。でも、』
ジッと俺を見上げる。
『一秒一秒がとっても愛おしく思えるよ』
目を細めて、熟れた桃のような頬を緩ませ笑った。
「俺は物足りないがな」
『えっ!?』
角を曲がれば、傘の中にいる名はそのままついてきた。
駅はあの道をまっすぐ。ここを曲がれば俺の家だ。
「雨宿りをしよう、俺の家でな」
『……うん』