わたしには怖いものがある。
にょろりと長い生き物。カサカサとわざとらしく音を立てて這いずる虫。大きな音。

そして、寝起きの幸村精市。


スヤスヤ寝息を立てて、穏やかな表情で保健室のベッドで眠る精市。

時刻は放課後。
午後の古典の授業の途中で精市が体調不良を訴え、保健室に向かってから今まで彼は眠っているらしい。
彼が満足するまで寝かせていてもいいのだけれど、今日は成績審査会議があるので、速やかに生徒は下校せねばならない。

教室から彼の荷物も持って保健室にやってきたのだ。


白雪姫の王子もこれが眠っていたらキスするんだろうな。
それくらい精市はきれいな寝顔をしている。
でも、実際目覚めるのは絶世の美女でもなく、神の子でもなく、獅子か龍である。
できる限り起こしたくない。


しかし、起こして帰らねばならぬので、仰向けに眠る彼の胸を軽く叩く。


『起きて、精市。帰る時間だよ』
「ん……」


精市は眉間にシワを寄せる。
よかった、深い眠りのほうじゃないみたい。

何度も彼の名前を呼んで、叩いたり揺すったりしていると、薄く瞼が持ち上がった。


「名」


いつもより低く掠れた声で名前を呼ばれ、何事もなく目覚めたことにホッと胸を撫で下ろし、笑みが零れた。


『精市、平気?』
「無理」


布団の中から伸びてきた腕に抱き寄せられ、精市の体の上に雪崩れ込む。
腰に精市の腕が巻き付いたまま、わたしは上体を起こして、寝ぼけ眼の精市の顔を覗き込む。


『お家帰らなきゃ』
「嫌」
『駄々をこねないの』
「名がキスしてくれたら起きるかも」
『えー』


腰に回った腕に力がこもり、キスするまで起きないつもりでいるらしい。


『続きがしたいなら、お家に帰ってからね』


顔に落ちてきた髪を片方だけ耳にかけて、精市の唇に自身のそれを重ねた。
一秒にも満たない口付け精市の腕は約束通り緩み、ベッドに座り直した。

わたしの身体が離れると、精市も上体を起こした。


『おはよう』
「おはよう。さ、早く帰ろう。昼間に寝たから疲れないと眠れないから」
『じゃ、じゃあ、テニスして帰ったら?わたしはこれで』
「待ちなよ」


ベッドから身体を離し、締め切られたカーテンから荷物を持って逃げ出そうとしたとき、精市の手がわたしの二の腕を掴んだ。

振り返れば、大層ご機嫌な精市が微笑んでいた。
その微笑みの後ろにどう料理してやろうかと悪魔が微笑んでいた。

やばい、食われる。
いや、誘ったのは自分だけどさ。


「寝かせないよ」
『わ、わたしは昼間寝てないから』
「どうせ俺より先に寝るでしょ」


寝たらすなおになるからいいけど。と、あまりにも不吉すぎる独り言が聞こえた気がした。
いや、気がしたことにしておいてほしい。