「家まで送っていいかな?」


ダメと顔に書いてもなんだか付いてきそうだったから、わたしはため息を吐いて了承した。


当たり前のように手を握られ、幸村はにこにこと笑っている。
わたしの普段の歩みよりも数段遅く、駅までの道のりが倍近く遅くなる。


『で、何か話したいことがあるんだよね?』
「そうだよ。なんでバレちゃうかな」


幸村は恥ずかしそうな、寂しそうな、嬉しそうな複雑な横顔を見せた。


「プロ目指すよ。真田もだけど」
『うん。幸村なら緊張せずにプレーできれば問題ないよ』


真面目な横顔はわたしの励ましなんて必要ないくらいに堂々としていて、わたしといつもいる幸村の片鱗はなかった。
わたしも、わたしにできる範囲で彼を応援したい。喜びも悲しみもテニスが全てで、わたしがどこかに入る隙間なんてないだろうけど。


だからさ、そう言って玄関先まで送ってくれた幸村はわたしを真っ直ぐに見つめた。


「俺、頑張るから。もう一度キスしてほしい」


わたしはテニスと向き合う幸村の顔を知らない。きっと相手を睨みつける顔はこの顔なのだろう。

わたし達の間に夏を忘れた突風が吹き抜けた。


『……わかったよ。するからには合格してね』
「勿論。今まで培ってきたものと、名からのエールが俺の自信だよ」
『何よそれ。もう……』


幸村が少し屈んで、右の頬を突き出した。

夕暮れの住宅街。高校生が初々しく、こっそりと可愛いことをしていると思う。

左頬に添えた指をそっと離した。
幸村は目を細めて、唇は綺麗に弧を描いていた。


「かっ、母さん!名が!名がっ!?」
「え?……あら、幸村くんじゃない!こんばんは」


そうだったなぁ。今日はプレミアムなフライデーでお父さん帰ってくる時間早い日なんだよなぁ。
幸村はきょとんとしていて、わたしは顔に手を当てた。


「はじめまして、幸村精市と申します」
「これはご丁寧に。名の父です」


お父さんも幸村も動揺して、深々と頭を下げた。そのまま握手までしちゃって。


「して、うちの娘とどういう関係かな?」
「婚約者です」


涼しい顔してうちの親に向かって何を言ってるんだ。せめて恋人だとか、ああ幸村は嘘をついたりしない。

お父さんの顔が笑顔のまま凍りついた。お母さんもそこまでの関係だとは思っていなかったのか玄関で唖然としている。


特にわたしの父は娘が可愛いだとか、構ってみたりする人ではない。どちらかといえば、母の方が構いたがりである。
だから、父の口から娘はやらんなんて物語のようなセリフが出てくるとは到底思えないのだけど。


「うちの娘はやらん!こんな花嫁修業もできてない箱入り娘を君のようなできた男には渡せん!」


前々から父は着眼点が違う人で、開発部の部長をしているすごい人だと思っていたけど、こんな時でもそれを発揮させるか。
思わずわたしも母も幸村もずっこけてしまった。


『ごめんね、変な親で』
「可笑しくていいご両親だと思うよ」


両親を家に押し戻して、また幸村と二人きりになった。こうでもしないと、うちの親が幸村をいつまでも引き留めそうだった。


「今度はもっとゆっくりお話したいな」


なんて事を。意気投合なんてされたらわたしは逃げられないじゃないか。
そうでなくても親二人して幸村を夕食に誘いそうなのに。


「名、おやすみ」
『ばっ!』


そっとわたしのおでこに唇を押し付けて、幸村は颯爽と夕暮れの住宅街を駆けていった。
振り返り満面の笑みを浮かべた幸村に馬鹿と声の限り投げつけた。