「名〜おいで〜」
『いや』
「おいで〜」
『むり』
「来い」
『……はい』


犬猫を呼ぶようにわたしを幸村くんの座るベッドへ招く。
幸村くんが自分の隣を叩くからそこに座れと言うことだな。恐れ多い。でもここで座らないと機嫌を損ね、何をされるかわからない。
おずおずとそこに腰掛けると、幸村くんは満足そうに笑った。


幸村くんとなんでこんな関係になったのか。それはたまたま美化委員が一緒になってしまったところまで遡る。
最低男女一人ずつクラスから各委員を出すルールさえなければ、こうもならなかったのに。
お互い、昨年度も参加していたために、自主的に挙手しあっさり決まってしまった。
花壇の手入れや、水道のレモン石鹸の残量確認や、各特別教室の掃除をして行動を共にすることが多い。それなりに仲良くなるのも時間の問題だった。

しかし、だ。急に幸村くんとの距離が近くなった。
彼に「花は好きかい?」と聞かれ、わたしはそれに頷いた。それが全て。
姓さんはピンクのバラが似合うね。その髪をこのマーガレットで飾り付けたいよ。この花の花言葉を知ってるかい?君を見つめるだよ。
と、まぁこんな感じで委員会以外でも頻繁に話しかけられるようになってしまった。


それからというもの、幸村くんに自分本位にわたしを振り回す。カラオケに行くよ。日曜に買い物に行くから付き合って。駅前のケーキ屋に一人で行きづらいから付いてきて。テニス部で行けよー!って心の中で思っていても、幸村くんに手を掴まれれば逃げられない。
ここ最近は家にまで連れ込まれる。もうわたしは幸村くんの私物なのだ。


「ふふっ、名」
『あの、近くないですか?』
「電車ならこのくらい普通だろ?それに気心の知れた仲じゃないか」


いや、わたしは幸村くんのことよく知らないんだけど。関わっていくうちに化けの皮が剥がれてきて、暴君の如き振る舞いをみせるけど。

グイグイの体を倒し顔を近づけてくる幸村くんから逃げるように体を反らせる。彼はベッドに手をついてなおも顔を近づけてくるため、わたしは必然的にベッドに倒れこんだ。


「男のベッドに寝転がるなんて、ねぇ」


幸村くんが口を動かすたびに鼻先に声がかかる。
わたしは一切そんなつもりはない。多分幸村くんもわかっててからかっている。
わたしの顔の傍に肘をついて、更々わたしから退こうとしない。
鼻と鼻がくっつきそうなくらい間近に幸村くんの顔がある。瞳を左右に揺らしたって、彼の髪のカーテンで視界は暗く狭い。
一方幸村くんはただ一点、わたしの目を見ている。


『どいてよ、幸村くん』


無言のままの彼の胸を押し返すがびくりとも動かない。
なんでこんなことになってるんだろう。泣きたくなってきた。


「名、かわいいよ」
『ヒッ!』


幸村くんはわたしの鼻先に唇を寄せてから体を起こした。た、助かった。
生々しく鼻先に残る唇の感触。そこを手で覆い幸村くんを睨みつける。いつも通り穏やかに微笑んでいてムカついた。


『幸村くんはわたしの何なのさ』


体を起こし、制服にシワが残らないように座り直す。


「彼氏」
『は?』
「彼氏」


大丈夫か、幸村くん。きっぱりと即答され、わたしは混乱する。わたしは幸村くんを彼氏にした記憶はない。
呆気にとられた顔をしているのか幸村くんは声を上げて笑い始めた。


「名の彼氏になれたらいいね」


ひとしきり笑ったあと、目尻に浮いた涙を指で拭い微笑む幸村くんは自嘲めいた言葉を口にした。


「俺を彼氏にする予定はない?」
『今のところは』
「検討はしてくれるんだ」
『幸村くんの気の迷いだもの』
「どれだけ本気か見せてあげようか?」


幸村くんは何か企てたような笑みを浮かべた。
おっと、嫌な予感がするぞ。腕に浮き上がった鳥肌を摩る。

それからの毎日は下駄箱にラブレターが入っていたり、隙をみては話しかけて来たり、無理矢理手を繋がれ登下校する日々。
周りからは、あいつら元々仲よかったからついに付き合ったんだなと思われる始末。
わたしの下駄箱に嫌がらせでもしようとした女子が幸村くんのラブレターを見て悲しげに去って行った時もあった。その時の内容が内容だったから……。思い出したくもない。


幸村くんに押されに押されているけど、まだ背中に壁が来ていないのでまだまだ後退できる。多分、彼の気が逸れるまで、わたしに限界が来るまでこの攻防は続く。
次は美化委員になるのはやめておこう。選挙管理委員会とかいいんじゃないかな。うん、それがいい。


「名が俺から離れられると思ってるのかい?」
『出たな、魔王幸村』


気付けば背後に立っていた幸村くんから距離を取る。
時々重いセリフを吐くから本当に怖い。本当に逃す気がゼロだし、広い城内でムスカに追いかけられるシータはこんな気分だったのだろうか。


「俺もね我慢の限界ってものがあってね」
『諦めてくれるの?』
「名を俺の部屋に監禁して可愛がってあげる」


目が据わってるよ、幸村くん。次、家に引き込まれる時は自宅に帰られない覚悟をしないとなのか。クッパもそこまで邪な考え持ってピーチ姫を攫わないよ。


「ふふっ……名」
『わかった!折れます!付き合うから、罪は重ねないで!』


壁に当たることなく後退していたけれど、待ち構えていたのは底の見えない谷底だったようだ。寧ろ、そこから手繰り寄せられていたのかもしれない。


「俺の名だ。ようやく手に入った」
『やっぱ無し。別れよう』
「え?来世も一緒がいい?」


都合のいい耳だな!聴覚奪われているのはあなただよ!
来世まで幸村くんが飽きるまで付きまとわれるんだろうな。とほほ。