深夜1時を過ぎた金曜の夜。もう土曜か。
真夜中に鳴ったインターフォン。非常識極まりない。どうせ酔っ払ってが部屋を間違えてインターフォンを押したんだろう。きっとそうだ。

布団から体を出すことなく、もう一度目を閉じたが、寝込みを襲おうとした何者かだったらどうしよう。
もう一度控えめに慣らされたインターフォン。

一人暮らしだ。
怖くなり、携帯を握りしめて、そっとベッドから抜け出し音を立てないように気配を消して、覗き窓から外を見る。


『樺地くん?』
「……跡部様がお呼びです」
『景吾が?』


わたしの肩に手触りの良いストールをかけ、そのまま樺地くんにエスコートされ黒塗りの高級車に乗り込む。
最初は驚きの隠せなかった跡部家の私物だが、最近は彼らのイメージのためのものでもあると知った。

それだからこそ、今、寝巻き姿で高級車に乗っていることがどうにもこうにも可笑しいのだ。
深夜とはいえ、金曜の夜はそれなりに街の中には人がいる。窓から見えるかもしれない所だけでもと、ストールで体を包んだ。庶民の見栄である。


『景吾、寂しくなったって?』


景吾は王様で人の上に立ち、人を使い、一番偉そうに構えているのだが、他人というものにはとても敏感である。
体調や心理不安、向き不向きなどなどよく人を見ているし、常識もきちんと備えているため、夜中に呼び出しだなんてありえないのだ。


助手席の樺地くんは何も答えない。恐らく景吾の身体に異常があるわけでもないだろうし、ただ呼んでこいと言われただけだろう。

どうしちゃったのかしらね。そう呟いて、だんだん都心から離れた一等地へ車は進んだ。


『パジャマで入っていいのかしら』
「……お着替え、ご用意しております」
『ありがとう」


跡部家の屋敷に着き、明るみに晒された寝巻きはとんでもなく恥ずかしくて、メイドさんに鼻で笑われるのではないかと顔が青い。

まあ、そんなことは取り越し苦労でしかない。
用意されたワンピースに着替える。これなら景吾の前でも恥ずかしくない。ああ、でもその寝巻きはアイロンもかけられて返ってくるのだろうなと思うとゾッとした。

もう一度ストールを羽織り直して、樺地くんに案内してもらう。もう一人で向かえるくらいにはなったんだけどね。


『……景吾、来たよ』


控えめにノックし、中から耳触りの良い声が返ってきたことを確認してから、両開きの扉の片方を開けた。


「よく来たな。夜中に呼んですまない」
『連絡くらい入れてよ。ちょっと怖かった』


悪かったとわたしの額にキスをして、景吾はわたしの手を引いてバルコニーに出た。

午前2時を回ったんだと思う。梅雨が明け、夏の始まりの湿ったまだ冷える夜風が吹き抜けた。


「棚機だ」
『たなばた?だったら7日の夜じゃない?』
「いや、午前だ」
『へぇ。知らなかった』


長らくたなばたは7日の日暮れ以降だと思っていた。それまでに短冊を書いて吊るして、大して見えない天の川を見上げるだけだと思っていた。


「街が寝静まって今の方が星がよく見えるはずだ」
『ほんとだ。でも目が良くないから……あの筋が天の川?』
「ああ。今度は目を凝らさなくても星が見える場所に連れてってやる」


景吾なら嘘偽りなく連れて行ってくれるのだろう。国内かもしれないし、国外かもしれないし、超高精度のプラネタリウムを建ててしまうかもしれない。


見上げる星空の中から織姫と彦星、おそらく強く光るあの星のどれかだろう。ロマンチックな物語をつけてもらってよかったね。よくはないか、悲恋だし。


『夜空を見たら恋しくなった?』
「……はっ」


一人部屋に戻った景吾は飲みかけのシャンパンを飲み干し、ベッドに転がった。
開け放たれていたバルコニーの扉を締めて、覆い被さるように景吾に倒れこんだ。
小さく呻いたがわたしの倒れ込み方が良くなかったのだろう。けして重いとかそういうわけじゃないと信じよう。


景吾の大きな手がわたしを形作るように優しく頭を撫でた。


「お前のほうが寂しかったんじゃないか?」
『あたり。しばらく会えなくて寂しかった』
「悪かったな。俺もだ」


二人して寝返りをうって、わたしは景吾の温もりが残るシーツに背中を預け、暗くなった視界に目を閉じた。