「柳、そこから三歩退がれ」
「なんだ丸井。俺の真似か……っ!」
「ビンゴー!」
頭上から降ってきた大量の水と花と頭と肩を濡らされた。
悪戯に成功した丸井は走り去り、俺は恐らく共犯の仁王がいるだろうB組を睨み上げた。
『あーー!ごめん!柳くん!タオル持って行くからちょっと待ってて!』
窓から花瓶を抱えて身を乗り出していたのは姓で面を食らった。確かに彼女は丸井と同じクラスだが、このようなどうしようもない悪戯に加担するような奴ではないはずだ。
彼女が慌てて窓から去り、代わりに仁王が顔を出した。やはりお前か。
おそらく、彼女に花瓶の水を替えるように頼み、わざとぶつかるなりしてひっくり返させたのだろう。
「仁王、俺も彼女も怪我をする恐れがあったんだぞ」
酷く冷めた声が出た。仁王はそれに口角を釣り上げた。
「花瓶が落ちとったら大変じゃったの」
「ああ。夢見が悪いだろうな」
「ま、俺も丸井も何もしとらん。やったのは姓じゃ」
問いただす前に仁王は窓の中に引っ込んでいった。
丸井が去った方から足音が聞こえてくる。そちらを見ればタオルを持った姓が息を切らせ走ってきた。
『ご、ごめっ……柳くんっ!』
淡い桃色のフェイスタオルが頭にかけられ、精一杯伸ばした手でこねるように顔や髪の雫が吸われていく。
自分のタオルとは違う柔軟剤の匂いが鼻を掠める。
姓は相当焦っているのか、俺が揉みくちゃにされていることに気付いていない。まぁ、このままにされていてもいいだろうと、少しだけ腰を曲げた。
すると何かに気付いたのかその手はパッと離れた。押さえのなくなったタオルは肩に落ちた。
『ごめん!』
「謝ってばかりだな」
姓はバツが悪いと一歩退がった。
雫の落ちなくなった髪はいずれ乾くだろう。花が差してあったとはいえ、ただの真水だ。濡れた制服も大して汚れることもないだろう。
今しがたカッターシャツが肌に張り付くのは仕方ない。少し湿ったタオルを押し付け、気持ち程度に水分を拭き取る。
しかし、このタオルは真水を吸ったとはいえ他人が使ったもの。そのままありがとうと返すのは間違っている。
「すまない。このタオルは洗って返そう」
『このあと部活で使うからいいよ。気にしないで』
「そうもいかん。しかしタオルがないのも不便だろう。代わりに俺のを貸そう」
『えっ!そんな!』
首にかかったままのタオルに隙をついて抜き取ろうとした姓を躱し、タオルを後ろ手に持った。
ムクれ面の姓が崩したバランスをとりながら振り返る。
『柳くんって、意外と子供っぽいことするのね』
「子供だからな」
『屁理屈』
「結構」
『……風邪ひかないようにね』
折れた姓はそう言って来た道を戻っていった。
そうだ、と髪を揺らしながら振り返った。
『タオルは予備があるから気にしなくていいから!』
さして離れたわけでもないのに、念を押すために声を張り上げてから姓は走り去った。
彼女のタオルと、悔しいと何か別の感情が入り混ざった表情が俺に残った。
多分あの感情はそうだろう。
やはり俺のタオルを彼女に貸しておくべきなのだろう。きっとこのタオルと同じ香りのタオルが返ってくる。
-・-・-
この辺りで柳に立ち止まって見上げてもらえば姓が柳の話すきっかけになるんじゃね?俺ってば天才的!仁王が姓を上手く窓際に誘ってくれてればいいんだけど。
「お、柳じゃ」
「柳、そこから三歩下がれ」
『ホント!?あっ!』
「あー、それは予想外じゃ」
あーあ。姓のやつなんで花瓶持ったまま身を乗り出すんだよ。
ま、いっか。話すきっかけになったし。
「ビンゴー!」
俺と仁王、絶対後で怒られるわ。姓には昼飯奢ってもらおう。きっかけもやったし、冤罪で怒られるし、それくらいいいだろい。