「ああ、幸村くん。帰るついでに工芸室にいる姓に帰るように声をかけてくれないか」
「はぁ。いいですよ」


退院後のリハビリの合間に新学期から遅れを取らないために学校に来ては課題と部活の監督をしていた。
その課題の提出をしたついでに担任に頼まれてしまった。

三階にある職員室から一階の工芸室まで階段を降りてすぐ。下足室の手前。
ついでと言われればついでなのだけど、その脂肪をしこたま抱えたお腹は運動しないと消費できませんよ。嫌味は胸の内に秘め職員室を出た。


なんで授業ですら滅多に使わない工芸室に誰かいるんだ。俺と同じく課題が出されているのだろうか。


廊下の電気は消されていて薄暗い。西側の窓からの朱い光がリノリウムの艶のない廊下と白く塗られたベニヤ合板の壁や天井に反射していた。
一室、すりガラスの廊下に向いた窓が明るい。あそこが工芸室。


「失礼するよ。もう帰れって」


無遠慮に工芸室の扉を開けた。
夏だというのに窓を閉め切って工芸室の隅でガスバーナーに向かっている女子がいた。
片手には金属の棒、もう片方には青いガラス棒を持って、赤く色の変わったガラスを棒に巻きつけていた。


『火が揺れるから、扉閉めて』
「あ、うん」


声をかけたのだから帰ればいいのに、俺は工芸室の扉を後ろ手に閉めた。


彼女は器用なものだ。巻きつけたガラスが偏らないように金属の棒を指先で転がしながら、白いガラス棒も熱し始め、またそれを巻きつけた。
出来上がったものは、砂の入ったブリキ缶に棒ごと押し込みバーナーの火を切った。


『もうそんな時間なんだ。ありがとう』
「ついでだったし。とんぼ玉?」
『うん。海原祭で売るの』


砂の中には十数本の金属の棒が刺さっており、その1つを彼女は取り出した。
水色のガラスに花の模様が入ったものだ。
それを器用に剥がしとり、俺の手の中に転がせた。


綺麗だ。直結1.5センチくらいの玉を蛍光灯に透かせて覗き込む。細かくできた気泡がキラリと輝いた。
俺がこうしている間も彼女は棒からとんぼ玉を剥がしていた。

綺麗に外れたもの。くっつかないように塗られた泥のようなものがうまく作用せずにペンチで割って剥がされたもの。歪なもの。彼女いわく、この砕いたものもまたとんぼ玉に埋め込まれるらしい。

完成品となったものは、三分の一程度。大きさも色もバラバラだ。


『いる?』


ストラップでも作ってくれるのか、彼女は蝋引きされた紐を取り出し、別の作りためたとんぼ玉も出してくれた。
こうもたくさん、しかも全て違うものを出されると目移りしてしまう。

これ。特別目に留まった、水色に濃い青と白の模様が入った大きな玉を手渡した。
慣れた手つきでそれと、黄色と黄緑と水色の小ぶりの玉を三つ通してストラップにしてくれた。


「ありがとう、大切にするよ。姓……であってる?」
『うん。幸村だっけ?』
「正解。もう帰らなきゃ」
『あ、そうだった』


片付けなきゃと立ち上がった姓の首筋は汗粒に濡れていた。無理もない。締め切った夏の教室でバーナーの火に向かっていれば。
それを吸った制服もぺたりと張り付いていて、背中や肩のシルエットがよく見えて顔を背けてしまう。

手際よく棚に道具を片付け終え、カバンを肩にかけた彼女が首を傾げた。あ、俺がいつまでも座ったままでいるからか。
カバンをひっ掴み姓より先に工芸室を出る。


「いつもいるの?」
『気が向いた時に。今は海原祭が近いから頻繁にいるけど』
「俺も作ってみたいな。簡単?」
『簡単、かな。模様が入ると難しいけど』


鍵をかけて、その鍵を返しに職員室へ向かうのか階段に行く後ろ姿を追いかける。
帰らないの?と目が訴える。気付かないフリをして、何食わぬ顔で隣を歩く。


「ねぇ、さっきの御守りにしていい?」
『いいけど、神社の物より気休めにもならないよ?』


わかってるさ。病気の完治も立海三連覇も見守ってくれるような力はない。でも、なんとなくそう思って持ってるのっていいじゃん。
彼女が炎にも太陽の熱よりも熱く想いを込めた物なんだから。