『いいな。男子同士の距離』
向かい側で頬杖をついている姓がポツリと呟いた。
彼女はテニス部のマネージャーの一人。男前でいくら荷物が重かろうと、高い場所に備品があろうとも一人でこなしてしまう。
その淡白で外連味のない性格が好かれるのか、どの部員も彼女に懐いている。
他のマネージャーはやはりどこか女子で、男子部員に声をかけられれば少し甘えたような仕草を取る。
お互いに意識して距離感が不安定なのだが、姓には一切ない。
だから男友達のような距離感でみんなが姓に近づくから、特別羨まれる筋合いはないのだけど。
「女子同士の距離感は嫌いかい?」
『うーん、嫌いではないけど、たまに疲れちゃう』
俺は女の子ってよくわからないのだけど、姓が俺と同じ感覚ならばその気持ちはわかる。
色違いをうんと時間かけて選んだり、さっきまで友達とふざけて盛り上がってると思えば、神妙な面持ちで会議をしていたり、ダイエットと言いながらスタバやパンケーキ食べに行ったり。
彼女がいるわけでもないけど、妹や他のマネージャーを見るだけでげっそりする。
それに、ベタベタしてるなと思えば、どこかで陰口を囁き合う。俺はそれが一番嫌いだ。
当人たちはそういうことに疲れたりしないのだろうか。
『投げたペットボトルを立てる遊び、ああいう身にもならないことに全力なのちょっとだけ羨ましい』
「いつまでもガキだからね。姓もやりたいなら混ざれば?」
『変に混ざると男子に媚び売ってるって言われちゃう』
ああ、やっぱり大変だ。疲れる。
「確かに、男子に近づきすぎるのは危ないかもね」
姓はどうしてと首を傾げた。
きっと考えればわかることなのだろうけど、わざとらしさのない姓はきっと何故という疑問しか浮かんでいないのだろう。
簡単なことだ。男は簡単に勘違いするのだ。
肩を寄せてメニューの確認や、オーダーの相談をしているとき、姓は肩を寄せて話すのだ。
そのときにパチリと目が合い、あまりの距離の近さに驚くのだが、彼女はいたって普通である。誰にでもそうであることに気付かず、男は簡単に恋に落ちるのだ。
淡い恋心を抱いている部員は多いだろう。
ただひたすら、そいつらが俺にとって邪魔なのだけど。
姓は、さ。
机に手をついて頬杖をつく姓に顔を近づける。こつりと額を重ね、彼女の瞳に俺が映っていることさえも目視できる距離。
「男同士、この距離になれると思う?」
小さく聞き返す声も食べるように彼女の唇を塞いだ。
これが姓のファーストキスだろうが俺の知る話ではない。奪ったものは奪ったのだ。返せと泣き喚こうが俺にとって都合がいい。
唇を離せば、状況が掴めずに手で口を覆いただただ彼女は混乱していた。
「姓、お前を性の対象として見ている奴は沢山いる」
例に漏れず俺もね。
それから先、姓は肩を寄せて話すことはなくなった。ほんの少しいつも通り近づいて話す部員に居心地が悪そうにする。
それを俺は目を細めて眺める。
もちろん俺とも少し距離ができた。
それは大いに構わないさ。また距離の近い関係になればいいのだから。肉体も心もね。