「真田、今日姓先輩が来るんだろ?」
「ん?あ、あぁ」
「姓先輩?」
休憩中のプール近くの水道。
水泳部の羨ましい水音が聞こえてくる。
部長と副部長が先輩って言う不思議な存在。
そりゃ、先輩たちにも先輩がいるわけで、俺だって先輩なわけで、部活に入った頃には部長も副部長も上級生より強かったから、先輩って言ってるところを見たことがなかった。
「あぁ、赤也は知らないかな。一つ年上の先輩なんだ」
「真田の彼女ぜよ」
「副部長、彼女いたんスか!?」
「仁王!いらんこと言うな」
俺が一年の時の三年の先輩なんて知らないこともないはずだけど、副部長の彼女だなんて。
副部長が告白されたなんて聞いたことなかったけど、彼女がいたから寄って行かなかったんだ……。
どんな人なんだろう。
テニス部のアルバムに乗ってる女子マネの人なのか?だったら俺も知ってるかもだし。
部長たちも知ってるし、何かしら関係がある人なのか?
『弦一郎!』
向こうで手を振る女の人。
肩にバスタオル掛けて、水着姿の……水着!?
そのままこっちまで走ってきた。
副部長は帽子を深く被って、耳を赤くしている。
「名!はしたないぞ」
『あはっ、ごめんなさい』
肩からタオルを下ろして、身体に巻く。
それでもなんだか目のやり場に困る。
「相変わらず、水着でウロウロするんですね」
『変な人みたいに言わないでよ、幸村くん。トイレ行ってただけだよ。プールの近くにトイレいい加減できてほしいよ。ねぇ、なんとかできない?柳くん』
「他の水泳部や授業でのことを考えて意見が多ければ議題にしてみます」
俺の中で《先輩》といえば、厳しく逆らえない存在だけど、姓先輩は先輩たちと友達のように接している。
部長たちも部活じゃなければ、弟のように可愛がってくれるけど、姓先輩は厳しくなさそう。
『君が赤也くんだね。弦一郎から聞いてるよ』
差し出された右手。俺はその手を握り返す。
「な、なんて言ってました?」
『手のかかる弟みたいだって。君のおかげで楽しいみたいよ』
「あまり言うな、赤也が調子にのる」
副部長がそんな風に思ってくれていたのかと少し感動。
他の先輩が敬語の中、上下関係に厳しい副部長が先輩にタメ口で話してるし、仲が良いんだな。
『昔は部員が少なくて、君らの体力作りを兼ねて一緒に泳いでたのに、こんなに活気のある部活になってびっくりだよ』
「そんなことがあったんスか!」
水泳部は顧問や3人以上部員が居ないと危ないから出来ないらしく、姓先輩が二年の頃には5人しか居なかった。
だから、予定を合わせないと部活ができないし、困っていたその時に自主練していたテニス部に声をかけて、一緒に泳いでたらしい。
今となっては、そんな面影もないくらいの部員がいる。
「あっ、思い出した!水着で壇上に上がった人ッスよね」
『うっ、覚えてたか』
「そんなことしたのか」
そうだ、入学したての部活勧誘のスピーチでユニフォーム代りに水着を着てた人だ。
あの時の男子のザワつき方がすごかったな。
副部長はそれを知らなかったらしく驚いている。
「部員が増えたんだ。そう顔をしかめることはないんじゃないか?」
「しかしだな、幸村……」
「その頃には付き合っていたからな、仕方ないだろう」
「俺、去年も泳げると思って楽しみにしてたんだぜぃ?」
丸井先輩が駄々をこねれば、もう部員じゃないのに謝っまていた。
『なら、今度の水曜午後から高等部に泳ぎに来る?』
「水泳部は使わないんですか?」
『次の日メンテでプールの水を抜くから掃除だけのつもりだったの。君たちがしてくれるなら貸してあげる』
交換条件を出してきたけど、部長は快諾した。
「掃除も嫌じゃが、慣れない練習できっとキツイぜよ……」
「水泳部の練習量で来るもんな」
仁王先輩と丸井先輩は顔を青くさせる。
プールサイドから呼び掛けられ、姓先輩はプールに戻ろうとしたとき、副部長に呼び止められた。
「肩紐が捻じれてるぞ」
前からは気づかなかったけど、背中の方が捻じれていたらしく、副部長がそれを直した。
ああやって女の人に触れられるんだ。苦手そうなのに。
『ありがと。トイレに行くと脱いじゃうから仕方ないよね』
「あんまりそういうこと言うべきではないぞ」
先輩の濡れた髪をくしゃりと撫でる。
見たこともない表情で副部長がなんだか別人みたいだ。
手を振って別れると、副部長はいつもの堅い顔に戻った。
「なんだ、赤也。外周10周するか?」
「えっ、遠慮します!」
俺は先に進んでいた部長たちを抜いて走ってコートへ戻った。