『僕、こんな時間にどうしたんだい?早くお家に帰りなよ』
「子供扱いしないでください」
『中学生じゃん。子供よ』


夜の帳が下りた公園。コンビニからの帰り道でブランコに腰をかけた学ランの中学生男子。
髪は男の子にしたら長く、地平線からの僅かな夕日に輪郭を強く金色に照らしていた。
19時過ぎ。彼はまだ未成年でそろそろ巡査さんに声をかけられるんじゃないだろうか。


「ねぇ、お姉さん。ボクを泊めてよ」


彼の乗っていたブランコが悲鳴を上げた。


『明日には帰るんだよ』
「いいんだ」


カバンも財布すらも持っておらず、わたしの後ろをついて歩く彼は不二周助というらしい。
家の場所だけ伝え、着替えを近くのスーパーに買いに行かせた。その間に夕飯を作って待つことにした。
補導されて帰ってこなくてもいい。わたしは刻んだハムと玉ねぎと冷やご飯をケチャップで和えるのだ。


「ただいま」
『おかえり。手を洗って待ってて。もうすぐ出来る』
「オムライスか。いいね」


食卓に座って待つ周助は本棚をジッと見つめていた。読んでていいよと言えば、また後でと彼は答えた。


「英二が好きそうだ。いただきます」


育ちがいいのかきちんと手を合わせてオムライスを食べ始めた。細身のせいだろうか。腕や肩に筋肉がやたらと目立っていた。

周助は買い物に行った先の公衆電話で家族に連絡を取り、お金が尽きたフリをして許可が下りる前に切ったらしい。
明日中に帰さないと捜索願が出そうだ。周助のような目麗し男子は人の目に留まり、すぐにわたしが誘拐犯にでもされそうだ。


「名さんのお仕事ってなに?」
『漫画家。本棚に同じ本が何冊も並んでるでしょ?それがわたしの』
「これ?桃がよく読んでるよ」


時折、彼の口から溢れる名前は友達なのだろう。特にその辺りで逃げたくなるようなことがあったわけでもないのだろう。
ならば家族のことだろうか。どちらにせよ、わたしはあまり深く入り込まないほうがいいな。


「ボクにも名さんと同じくらいの姉がいてね、なんだか少しだけ甘えたくなるよ」


お米一粒残すことなくオムライスを平らげた周助。わたしの分の食器も下げて、少ない食器を洗う。さらさらの髪を耳にかけ、楽しそうに家事をする。


『何言ってるの。早くお風呂に入って寝なさい。お布団持ってくるから』
「うーん。嫌、かなぁ。ちょっと悪い子していいよね?」
『好きにすれば』
「名さん投げやりだね」
『二階の仕事部屋にさえ来なければ、勝手に食べてくれていいし、夜更かししてくれても構わない。自由にしていいよ』


わたしは周助の淹れてくれた紅茶を飲み干し、二階に上がるついでにシンクに置こうと立ち上がる。
ソファに座り、わたしの描いた漫画を読んでいた周助は顔を上げた。


「名さん、一緒に寝ようよ」
『子供ね』
「3歳だからね」
『はぁ。おネムになったら呼んでくだちゃいね』


周助の言葉に首を傾げたが、後に聞けば2月29日生まれだからだそう。あんな口の減らない大きい子供は今も先もいらないな。


わたしは原稿に向かい、下から周助の声がかかったのは深夜2時を回った頃だった。
軋んだ板張りの階段を鳴らし、集中力でごまかした眠気に襲われながら、二組敷かれたお布団に倒れ込めば、青い目がわたしを見つめていた。


何と訊ねれば、強気だねと返された。
悪いけど君に何をされても、わたしはそれなりに大人にされてしまったんだ。


『捕まりたくないから、何もしないでね』
「大人ってそうやって逃げるんだね」
『身を守るために逃げるのは大事でしょ。君だって、心の柔らかいところ守りにきたんでしょ』


周助は力なく笑ったあと、わたしの隣に寝転がる。
わたしの手を取り彼は泣き始めた。何があったか知る由もないが、長い髪に顔を隠し、嗚咽を漏らす周助に空いた手で枕元のティッシュを差し出す。
涙を拭う瞳は、真っ赤に青く乾いていた。


「抱きしめたりしないんだね。ひどい人」
『酷い言い草だね。……その負けず嫌い、とても尊敬するよ。向き合うために環境を変えたいなら旅行にして欲しかったね』
「はは……ひとりで彷徨うのはもう飽きたんだ」


一頻り泣いたあと、しゃっくりをあげながら周助は眠った。
相変わらず手は彼のもとにあって、眠りづらくて天井を見上げた。

痩せたベニヤの木目が、わたしの仕事は恥ずかしくないと言った父の顔を思い出させた。
周助とわたしは少し似ている。残念なくらいに才能を否定されずに、それが抜きん出たものと自覚しながら王道を行き、行けども壁はなく見上げた場所に強者がいた。
相手が降りて交わることはない。登るしか相手とぶつかる手段がないのだ。


『君は吹き上がる風だよ。おやすみ』


目が覚めたら跡形もなく周助の姿はなかった。
テーブルに朝ごはんとメモが添えられていた。


「また来るから、オムライスよろしくね」


メモがおかしくて画鋲で壁に貼り付けた。少年のいつかわからない約束に付き合いましょうかね。