「見事に転んだね」
『うるさいなぁ』


体力測定テストの50メートル走の測定中。それなりの成績を残して完走したのだけれど、後発の走りきったあとも勢いのついたままの陸上部に背中を押され、見事に膝を擦りむいたのだ。

ゴールテープのその先に終点を作ってそこまで走り切る陸上部の癖なんだから、ものの数秒で走りきるんだからちんたらゴールに居たら轢かれるのも無理もないんだけど、あの子は擦り傷一つもないのがムカつく。


周りに笑われるより早くすっ飛んできた幸村くんに少々引きながら、肩を借りて保健室へ向かっている。
男女、一緒に測定しているので、幸村くんが来てもおかしくはないんだけど、わたしが転んだ瞬間並走してた陸上部より速かったよね……?


「はい、靴と靴下脱いで。ゆっくり水流すからね」
『うっ……ぃた……』
「肩掴んでもいいから。我慢してね」


道中の水道に立ち寄り、傷口をとりあえず洗い流すことになった。
片手を水道に、もう片方は幸村くんの肩に。片足立ちのまま蛇口から流れ出る水で流れ出た血と砂つぶを洗い流す。晒した素足を幸村くんに掴まれていて、なんだか変な感じ。


「姓の足に傷痕が残るのは嫌だよ」
『このくらい、化膿しなければ大丈夫だって』
「だめ」


結構深く擦りむいたのか、まだ傷口がドクドクするし、濡れた足を伝う血が止まらない。
血が出るような怪我をするのはいつぶりだろう。不意打ちだったとはいえ、こんなに大きくなってからできる傷じゃないな。


「じっとしててね」
『はぁ!?ちょっと、痛っ……!』


脇の下と膝の裏に回された幸村くんの腕にグッと力が込められたと思えば、軽々と抱きかかえられてしまった。
安心感のある抱き心地と羞恥でオーバーフローした脳に膝の痛みがよくしみた。

腕の中で身悶えするわたしに気を止めることなく、再び保健室へ向かい始めた幸村くん。


「曲げると痛いし、結構打ちつけてるだろ」


いつもの彼の微笑みはなく、真剣に前を向く幸村くんの横顔は綺麗だった。保健室に到着する頃には傷口の痛みなんて忘れていた。その代わり、50メートル走りきったよりも激しく鼓動していた。


「先生ー、入れ違ったかな?」


可動式の丸椅子に降ろされ、電気がついたままの誰もいない保健室に、幸村くんがガーゼや消毒液を用意する音がよく響いた。

わたしの前にしゃがみ込んで、ティッシュで流れ出た血を軽く押さえた。傷口に触れないように、優しく扱われる様子が妙に緊張感を生んで、その様子をひたすらにじっと見つめていた。


「沁みるよ」
『待って、心の準備するから。……大丈夫』
「バイ菌はさっき流したし、剥き出しの粘膜にアルコールって、あまり良くないらしいね」
『そ……言いながらっ、やるなんて、鬼!』
「こんなに献身的な鬼はいないと思うな」


足の指を開き、丸椅子の縁にを握りしめて痛みに耐えたというのに、この男は。
丁寧に患部にガーゼをあてて、メンディングテープで固定した後、ネット包帯を被せた。絆創膏より動きやすいかも。


「はい、次はこっち」
『ちょっ!』


突然体操服の裾を捲り上げられ、脇を締めて、胸を抱きしめるように抑えた。何とか、ブラが見えないように護れた。
なんだ、キャミソールも着てるじゃないかと呟く幸村くんをギリッと睨み付けると、全く効いていないらしくにこりと微笑んだ。


「ここと肩にも痣ができてるんじゃないかい?」


軽く指先で叩かれただけでズキリと痛んだ。見えてないけど、自分の肉体何だから痛みはわかる。だけだ、傷口を目の当たりにしたらもっと痛む。
見たくないと呟けば、早く治そうねと優しく諭され、今度は美術品の薄紙を剥がすように丁寧にキャミソールはたくし上げられ、湿布が貼られた。


「傷が早く治るおまじない」


最後に貼られた肩の湿布。その上に手を重ねて、その上にキスをした。
その時に近づいた彼から汗と砂埃とシャンプーの匂いがした。湿布の匂いを嗅ぐたびに思い出しそうな目眩に襲われた。

恥ずかしさと動揺で、震えた声と思ったよりも萎縮してしまった喉でありがとうと呟けば幸村くんは満足そうに笑った。


『幸村くん、戻らなくちゃ』
「そうだね。手を引いてあげようか?それともお姫様抱っこがいい?」
『もう歩けます!』


丸椅子から立ち上がれば、ガーゼと固まりかけたかさぶたがピリッと割いて少し痛かった。
目敏い幸村くんは無理をしないでと、わたしの手を取った。


『歩けるから』
「走って逃げられないうちぐらいはいいじゃないか」


ちょっとだけ膝が曲げづらいだけじゃないと悪態をつけば、膝は甘えさせてよとジクジクと痛んだ。

にこりと笑う王子様にそっぽを向いて、痣だらけのお姫様になることにした。ガラスの靴で靴擦れを起こしたシンデレラなんて物語にいないのに。

いつもの数倍ゆっくり歩く。早くかさぶたができろ。普通に歩かせて。なんだか恥ずかしいんだ。


「でも、もうすぐ時間が来ちゃうから急ぐね」


また軽々とわたしを持ち上げた幸村くんはグラウンドへ当たり前に歩き出した。
ああ、なんかもう、はぁ。恥ずかしい。この人は羞恥の感情が表に出るようにちょっと傷をつけたほうがいいのかもしれない。