『そういえば、蓮二はどうしてわたしの家に来たの?』


あの頃は児童に関わらず誘拐殺人のニュースが氾濫していた。あまりテレビや新聞を見る機会もなくハイライトだけしか耳に入れていなかったため、どれも同じ事件が連日報道されているのかと思っていた。

当時からどう考えたって聡明な蓮二からは考えつかない行動だった。
親御さんには蓮二と出会った経緯に関しては一切話していないが、人助けだったとはいえ卒倒ものだと思う。恐らく、家出も身の毛もよだつほどの出来事だっただろう。


何年経っても、性懲りも無くわたしの家に来て、予習をする手を止めて蓮二は顔を上げた。


「名に何かされても逃げれると思ったからな」
『毒でも盛られてたらどうにもならなかったんじゃない?』


蓮二は一拍置いてからそうだなと答えた。あの時は蓮二もいっぱいいっぱいで考えに至らなかったらしい。そんなバカな。


「今なら大人同士だ。俺の方が勝るものの方が多い」
『何言ってるの17歳』


コツンとあまり叩かれたことのないであろう頭に拳骨をした。口をへの字に曲げて不服そうにわたしを睨んだ。


淹れたばかりのブラックコーヒーを蓮二は一口飲んだ。随分と前から、部活が一日オフの前日からわたしの家に泊まりに来る蓮二。もうわたしの用意する食べ物に警戒心はない。


『やっぱり危ないと思うよ。変な薬でも入ってたらどうするの?』
「ほう。例えば入っていたとしよう。お前は俺をどうするんだ?」


薬を入れるつもりなんてさらさらないから、その後のことなんて想像もしていなかった。
わたしの描く漫画の中なら人質にするためだったり、手篭めにするためだったり。

首を左右に振れば、蓮二はため息を吐いた。


「名こそどうだ?俺の持ってきたものを考えずに食しているが」
『君こそこんなおばさんに何しようと?』
「それはどうだろうか」


薄く開かれた瞼から睨む蓮二のギラギラとした視線に背中が粟立った。
わたしと蓮二の年齢差。そんなことは起こらないとたかを括っていたが、どうもこれは。

チリチリと痛む首の後ろを手で押さえる。


『そういうのは同世代の女の子と、さ』


黙りこくったままの蓮二が怖い。

わたしだってそれなりだけど、でも誰とでもというわけでもない。
蓮二がわたしに対してそういう感情を持っていたって気にしないけれど、無理矢理に触れようとするなら怖い。


「冗談だ。怖がらせてしまったな」


蓮二はまたペンを握り参考書に目を戻した。ホッと胸をなでおろす。


「あの頃は俺も自棄になっていたから、お前に殺されたとしても怨みはなかっただろうな」
『話を聞いたらすぐ帰すつもりだったんだけどなぁ』
「居心地がいいから居座ってしまったな」


それはどうも。と、笑えば、蓮二の気に障ったのか口を一文字に結んだ。
わたしの家はすっかり蓮二の自習室だ。


わたしが習ったよりずっと難しい、というよりわたしは高等教育はほとんど受けていない。
よくわからない数式をわたしの手とは異なる音を立ててシャープペンシルを鳴らす。


「名、サインの話は覚えてるか?」
『覚えてるよ。欲しくなった?』
「いや。覚えているならそれでいい」


最後の問いを終えたのか参考書とノートを閉じた。


「みたらし団子を買ってきたが、食べるか?」
『何にも入ってない?』
「どうだろうか」


蓮二はわたしの家に来ると必ず夜食をとる。家ではできないからだそう。それに付き合うせいか、何となく太った気がするのだけど。
コーヒーを片付けて緑茶を淹れ直す。

多分、薬なんて何も入っていないだろう。あの中に入ってる身体に悪いものはきっと過剰な糖質だけだ。