「女の子って花の名前を知ってると思ってたけど、君は意外と知らないみたいだね」
幸村くんは泥で汚れた軍手で萎んだ花を摘みながら、わたしの顔を見ずにそういった。
時折、顔を伝う汗を邪魔くさそうに肩で拭い花壇を整備している。
『ちょっとぐらいならわかるし』
不貞腐れ黙ってしまったわたしを幸村くんは冗談だったのかくつくつと笑った。
「これはわかる?」
肩を組むように茎を摘み、よく顔を見ろと言わんばかりに花がこちらを向いた。
立派な茎に多弁の濃い赤い色の大振りな花を幸村くんは尋ねてきた。
『……わかんない』
「だろうね」
あんまり街中や花屋でも見たこのない。
和柄の菊みたいな……。もしかしたら菊の仲間だったのかもしれない。
幸村くんのやっぱり知らないねと、小馬鹿にしてるみたいな言い方にムッと口が歪んだ。
当てずっぽうでも言ってみるべきだった。
「ダリアだよ。聞いたことない?」
『知らないなぁ』
「姓は本当に花に興味がないんだね」
可笑しいのか幸村くんから笑顔が消えなかった。
『ダリア』
「ん?」
あの日からダリアだけは鮮烈に頭に残っている。
時折、今育てている花の名前を教えてくれるのに、物覚えの悪いわたしは歌詞や物語と紐付けばようやく理解できる。
格段に精市が好きだと言うわけでもないその花の名前をずっと覚えてるなんて少し不思議だ。
わたしが一言呟いたものだから、目的の場所へ行こうとしていた精市が振り返った。
「いるの?」
わたしの手の中を精市は肩口から覗き込んだ。
わたしの手の中には新作らしいアイシャドウが握られている。
ピンク色のラメのそれはダリアと名付けられ、華やかで鮮やかな色をしていた。
『ちょっと派手かな』
化粧はするけどあまり派手な色はつけることがないので少し勇気がいる。
値段は手頃だから試す価値はあるかもしれないけど。
やっぱりこの色をつけてるビジョンが見えない。
「悪くないんじゃない?」
テスターを指に取った精市はわたしの手の甲に塗りつけた。
精市が魔法をかけたかのように、指先からキラキラとした一筋の光が流れた。
見慣れないピンク色に、見慣れないラメの量に目がチカチカする。
「俺の方が似合うな」
もう一度指に取った精市は自分自身の手の甲に塗ってはしゃいでいる。
同じ色が同じように塗り広がったのに精市の方が肌に馴染んでるなんてムカつく。
内腿よりも日に焼けて濃い色をしている手の甲なのに、それでも色白なんだから生まれ落ちた瞬間から待遇が違いにがっかりする。
『やっぱり派手だよ』
「名が買わないなら俺が買うよ。それならつけてくれるでしょ?」
精市はあの日花の名前を教えてくれた時と変わらない笑顔を浮かべた。
わたしの手からアイシャドウを抜き取り、目的の品よりも早く精市の中で買うものが決まってしまった。
衝動買いをしない精市にしては珍しい出来ごとだ。
「今日は二人で好きな匂いの柔軟剤を決めにきたんだろ」
『そうでした』
「名はフルーツ系?フローラル系?無香料派?」
精市は手当たり次第テスターを鼻に近づけ黙々と吟味している。
普段は目的のものだけ手にしてを時間をかけて買い物しないくせに。
多分わたしより一緒にいる時間が長くなることを楽しみにしてる。
住むところもわたしに不満が一つも残らない所を選んでくれた。
「これいい匂いだよ」
『ちょっと甘すぎない?』
「これは?」
『うーん……。あ、この匂い好き』
「あはっ、それ俺が今使ってるやつだよ!」
自分で手に取ったテスターが精市の匂いだなんて、無意識に精市のことが好きで心の底から彼を覚えているなんて、急に一緒にいることが恥ずかしくなってきた。
恥ずかしくて、恥ずかしくて、人前で泣いてしまいそうだ。
「柔軟剤はこれで決まりだね。洗剤も俺のでいいかい?」
『うん』
「シャンプーは分けて、ボディソープは名のかな。お風呂上がりの匂い好きなんだよね」
精市は何の迷いもなくわたしが使っているボディソープを何気なく手に取りカゴに入れた。
『よく覚えてるね』
精市の身体がびくりと跳ねた。
お互いの家にお泊まりをするからお風呂を貸し借りして知っていてもおかしくないんだけど、わたしが精市の柔軟剤を選んだ時とはなんか違う。
かといって精市が使ってるボディソープでもない。
何か隠すように振り返り笑った。
わたしの顔を見て、目を逸らし、また様子を見て何か観念するように口を開いた。
「名を思い出したくて、シャンプーとか洗剤を一式揃えようとしたんだけど、流石にキモいと思ってやめたことがあるんだよね」
『引く』
「だよね……」
『これから一緒のやつ使うんだし大目に見てあげる』
すると精市は一瞬で顔色が明るくなりご機嫌に戻った。
そこそこの長い付き合いだけど、変態まがいなことをしていたなんてこれ以上後に知ったら喧嘩になるか、呆れて物も言えなくなるかのどっちかだ。
まぁ、花の名前一つでこんな関係になるんだから、大した揉め事にならないんだろうな。
ご機嫌な後ろ姿を眺めていたら腕に抱きつきたくなってきた。
飛びついてきたわたしを窘めることはせず、嬉しかったのか精市は破顔させた。
毎日この匂いで眠って目が覚めるんだ。こんな幸せなことは他にないとわたしは思う。