「先輩、今日もよろしくお願いします」


赤い髪の後輩はガムを噛みなら頭を深く下げた。


立海には姉妹制度がある。
ごく一部の学力が怪しい後輩にボランティアの先輩がつきサポートするシステムだ。

ボランティアは部活代わりとして認定され、部活に入ることを必須のうちの学校では、放課後を好きに充てたい生徒には割と人気だ。

何故かって、木曜の7時間目の自習時間にボランティアが行われるからだ。
その分、ある程度の成績が必要なので登録するには生徒会の審査が必要だ。


『今日はどの勉強するの?』
「物理がちょっと無理っス」


廊下に作られた憩いの場に並んで腰を下ろした。
丸井くんはノートや参考書より先にポッキーを机の上に置くのだから呆れる。


『……これがエネルギー保存の法則。いい?』
「ずっとは絶対動いてないだろぃ。おかしくね?」
『ぶつかった時に音エネルギーや空気抵抗、衝撃で熱エネルギーが出るから地球上では不可能だけど、最初のエネルギーが100なら、この分散したエネルギーの合計も100になるのよ』
「は?は?」


この子は単純に勉強する時間が足りてないんだろうなぁ。
計算を間違えることはないんだけど、法則や用語はあまり理解していない。


さっきから閃いた顔をしては、首をかしげることの繰り返しだ。
ペンを動かしてはお菓子をかじり、頭を掻きむしっては参考書をめくる。


『丸井くんもうちょっと頑張らないと、次のテストで赤点だとわたしが姉妹制度外されちゃうよ』


前回のテスト結果から全く上昇が見えず、丸井くんと相性が悪い、もしくはわたしの教え方が悪いという理由で生徒会から通達がきた。

丸井くん本人にやる気がないことがおそらく失敗の原因だろうけど、復習さえできれば何とかなるだろうというわたしの考えが甘いのも大きい。

もしここで姉妹制度を取り消されても、時期が時期なので受験勉強という名目で部活に入ることは大目に見てもらえる。


「マジ?」


手を止めてまんまるの目がわたしを見ていた。
そんなにびっくりするところ?


『マジだよ。どの道そろそろ受験勉強だから引き際なんだけどね』


終礼のチャイムが鳴った。ホームルームだし戻らなくちゃ。
広げていた2年の時のノートをカバンに押し込もうとした手を丸井くんが掴んだ。


少し焦った顔をして、自分の成績がどの程度危険なのか自覚したのかもしれない。


「せ、先輩のノート借りていいですか!?俺、今回頑張るんで!」
『う、うんいいよ。持っていって』


全部のノートを丸井くんに渡すと、パラパラとめくって頭を抱えた。


『……範囲のところに付箋貼ろうか?』
「お願いします……」
『とりあえず丸写しから始めてね』


各科目の範囲に付箋を貼り付けて、教科書のページも書いた。
最低でも30点は取れるように覚えててほしい場所もマーキングした。

次の自習時間にわからないことが必ず出てくると思うし、質問責めして理解しているか確認しなくちゃ。


「姓先輩、お願いがあるんですけど。ご褒美があるほうがもっと頑張れるかなって」
『わたしが君にご褒美あげるのは違うくない?お母さんに言いなさいよ』
「正論!先輩がいいんですって」
『う〜ん。じゃあ、言ってみなさい』
「はい!おっぱい触らせてくださイッッテ!!」


思わず手が出た。


丸井くんのほっぺたが若干赤くなってる。けど、失礼なのはそっちなんだもん……。

そんなオヤジみたいなご褒美は可愛くないので受けられません。
食いしん坊だから奢れとかお菓子をねだると思ったのに。
同級生の下ネタばっかりの男子と同じことになんだかガッカリしてしまった。


赤くなった頬をさすって唇を尖らせた丸井くんは大人しくノートを自分のカバンの中に押し込んだ。


「じゃ、ハグしてくれるだけでいいんで……」
『下手に出たつもりであんまり変わってないな?』
「じゃ、じゃ!75点取るんで!ね?ね?お願いします」
『う〜ん、そこまで頑張れるなら考えてあげる』
「よしっ!」


諸手を挙げて大喜びしているけど、本当に頑張るつもりなのだろうか……。

と、言う心配は他所に、次の週の自習は去年の過去問をサクサクと解けるくらいになっていた。
やればできる子って褒めれば、天才なんでと返ってきた。


「先輩!やりました!」


返却されたテストは数学以外は75点を超えていて、これはよくやったと褒めてあげなければいけない。
ちょっと両腕を広げたら、大きな犬のように丸井くんは胸に飛び込んできた。


『これで姉妹制度は終わりだね』
「へ?」
『知らないの?成績が回復したら姉妹制度は終わるのよ』
「どの道先輩と一緒に勉強するのは最後だったてことっすか」
『そういうことだね』
「まじかよぃ」


力が抜けたのかわたしにもたれかかってきて重い!
立ってられないと判断して、丸井くんを支えながら座り込んだ。


『たまに教えてあげるよ。頑張れることがわかったんだしね』
「へへっ、よっしゃ」


丸井くんはヘラヘラと笑って強く抱きしめてきたので、横腹をつねってやった。
それでも嬉しそうに引っ付いてるから、無理やり引き剥がした。
あんまり調子に乗らないでよね。


『部活なんでしょ。行きなさい』
「へーい」


締まりのない笑顔の丸井くんを見送り、またいらない約束をしてしまったなぁとぼんやり後悔している。はぁ。