「先生」
『ん?はいはい』
幸村くんが退院してから病院からの依頼で決まった時間に体温と脈拍と血圧を測りに来る。
幸村くんがお薬を忘れた時の分も預かっている。発作の鎮静剤も。
わたしが赴任してきたのは幸村くんが入院した後だった。
そういう子がいることはなんとなく聞いていたけど、テニス部の不在の部長だったのかと驚いた覚えがある。
彼も彼で養護教諭が変わっていて驚いていた。
随分な美少年で、悲劇のヒロインのように病室が似合いそうな子。
でも、やっぱり運動部の子なので体格がいい。
「先生って、おいくつなんですか?」
測定の間、彼と短い世間話をするのが日課だ。
女性に年齢を聞くなんてと言いたいところだけど、短大をでて研修と試験を経てようやく派遣でここにやってきたのでシビアになるほど歳はまだ取っていない。
正直に年齢を答えると、幸村くんはにこにこと笑った。
「じゃあ、名ちゃんですね」
『じゃあになってないけど。先生年上だからね、幸村くん』
「いいじゃないですか、名ちゃん先生」
血圧を測った後、脈拍を測るために二人して静かになる。
今時、機械で血圧も脈拍もまとめて測れるのに、学校はいつまでもアナログだなぁ。病院じゃないから仕方ないんだけど。
幸村くんはスポーツをしているせいか、心臓が強くて鼓動が早い。平均値より高いけれど、健康に影響が出るほどではない。
『体温も平熱みたいだね。気分が悪かったらいつでもいらっしゃい』
「ありがとうございます」
幸村くんはお行儀がいい。いつも頭を下げてカルテを受け取る。
「先生、変なことを聞きますけどいいですか?」
『どうぞ。答えられる範囲でだけど』
「もし俺が余命幾ばくもないからお願いとして、付き合ってほしいと言ったら付き合ってくれますか?」
彼の顔は真剣だった。
この質問はわたしの立場で答えていいのだろうか。茶化すべきでないことは伝わってくる。
わたしは少し悩んだ後首を横に振った。
幸村くんはひどく傷ついた顔をして俯いた。
『最期だからって同情で付き合ってもらって嬉しい?』
「嬉しくないです。だから、今の俺と付き合って欲しいんです」
『ん……?』
今この子なんて言った。
わたしの顔が引きつっているのも御構い無しに、幸村くんはわたしの両手を取ってニコニコと笑っている。
「先生と生徒だからってつまらないことは言わないでください。卒業するまで我慢するし、名ちゃんも派遣だから期限が必ず来ますよね」
一歩退けば、一歩近づいてくる。一進一退を繰り返す中で幸村くんは身を乗り出してくる。
どういう状況なのよ、これ。
幸村くんは毎日顔を合わせるし、患者だから優しく接するけど、それ以上も以下のこともしない。
それにどんなに美少年であっても子供に変わりないから相手にもしてなかった。
「先生言いましたよね、俺の心拍が高いって。当たり前じゃないですか。手を握られて一分間も目の前にいれば。ドキドキするのは無理もないです」
幸村くんは随分前からそういう風に見てたのか!
詰め寄られてめまいがしてきた。
積極的というか、無鉄砲というか、評判で聞くよりずっと子供っぽい。
『あー、幸村くん。君とはお付き合いできないよ』
「なんでですか。彼氏いるんですか。俺の方がずっといい男ですよ」
『彼氏はいないけど……。いい男だとは思うけど、現実的なところでね』
「お金ですか」
『そういうことです』
そういう事ではないけど、就労できない幸村くんにとってそこそこ効果のある言い訳だろう。
養護教諭が生徒に手を出すなんて懲戒免職ものだ。
彼が成人してからわたしを選んだならきっかけに過ぎないだろうけど、今でも半年先でもことの重大さは変わらない。
そのあたりは幸村くんは理解した上で交渉に出ている。
今日のところは幸村くんに帰っていただいた。
その場しのぎでしかなくて、明日も来るし、体調不良として10日に一回くらいでサボるようになってきた。
「名ちゃん、そろそろ観念しませんか?」
『しません』
幸村くんは我が物顔で保健室のお菓子屋コーヒーを片手に、事務仕事をする隣に座っている。
「生徒を十分たぶらかしているので、今更付き合っても一緒だと思うんですよ」
『そんな事してません』
「してる。俺をこんなに夢中にさせてさ。十分だよ」
わたしは大きなため息を吐いた。
幸村くんは天然たらしなんだろうな。
女の子がコロリと落ちちゃう言葉を大量に心得ている。恐ろしい子。
「先生」
『何でしょう』
「好きです」
『うん』
「あしらわないでください。俺は本気です」
『本気だったら何ができるの?』
幸村くんは言葉を詰まらせた。大人だってわからない。
恋人にならなくちゃできないことはないとわたしは思っている。ならない方が気が楽だと言う人もいた。
「俺が欲しいたくさんの幸せのために名ちゃんの幸せが必要なんです」
真っ直ぐな目がそう言うから、グッと胸の内から込み上げてくるものがあった。
派遣の更新が来たらこの学校は辞退しよう。
ここまで聞いてしまったら、わたしが幸村くんのお願いを聞かなくちゃいけない。
『わかったよ、幸村くん。君の幸せを彩らせてもらうよ』
「じゃあ……!」
『でもお願い。君が高三になるまで待つこと。わたしの契約が切れるまで。いい?』
「待つ絶対に。だから先生は俺に惚れて」
『それはもうとっくの前になってるよ』
そう言って顔を上げると耳まで顔を赤くして、少し泣きそうな顔の幸村くんがいた。
え、幸村くんが普通にかわいい。どうしよう。