ええ、ヤバ。どうしよう。

通学列車に揺られながら向かうは当然学校なんだけれど、運良く確保した座席の隣に幸村くんが座った。

彼は何気なく空いていたから隣に座ったのだろう。

多分、わたしが制服の上から部活のジャージを羽織っているせいか同じ立海生と気付いていない。


朝練がある日に幸村くんと同じ電車になることは度々あった。
わたしがいつもギリギリに電車に乗り込むせいか、最寄り駅の階段近くだったり、学校の最寄り駅の階段近くだったり車両が違うから会わないだけかもしれない。

幸村くんは背が高いからよく目立つから気付くけれど、彼はおそらくわたしに気付くはずがない。
まぁ、わたしと幸村くんの関係はその程度だ。


それはまぁ、置いといて。

ヤバイのはこれからで、一駅も着かないうちに幸村くんはわたしにもたれかかって寝始めたのだ。

幸村くんの脇腹にはわたしの肩が刺さっていて、頭同士が揺れるたびに軽くぶつかる。
耳のすぐ近くで寝息が聞こえてどういう状況なの。

幸村くん好きに見られたら、幸村くんと距離ができた途端に背中から刺されちゃうよ。


『幸村くん、幸村くん』


朝の電車は人は多くても活気はなく、新宿駅ほどの人口密度なのに妙に静かで不気味だ。
声を潜めても一帯に聞こえてるんじゃないかと思うぐらいだ。


叩いても揺すっても、身動ぎもせずお休みになられてる。

待ってもう次の次が学校なんですけど!
テニスしてるし、学校でも誰かが触ろうとしたら機敏に反応するくらい気を張ってるのに、今ばかりは鈍感なんだよ!


ごめん!心の奥で幸村くんに前もって頭を下げた。
高く通った鼻筋を指でつまんだ。


「むっが……」


わたしの手を払って、今世紀最大の幸村くんの不機嫌な顔を見た。想像以上に目つき悪い。


学校の最寄りに着いたアナウンスに頭が冴えたのか、幸村くんは立ち上がり人を掻き分けドアへ向かった。
わたしもその後ろに続く。


あ、やば。乗り込んできた人で降りるの無理かも。

仕方ない次の駅で折り返そうと諦めかけたその時、人の間から伸びてきた手に腕を掴まれた。
駆け下り下車だ。カバンのキーホルダーが一つも置き去りにならなくてよかった。


腕を掴んでくれたのは幸村くんだった。
あまつさえ勢い余って、幸村くんの胸に飛び込んでしまった。
これは今日中に背中を刺される。


「おはよう、姓さん」
『お、おはよう幸村くん』
「もう少しまともに起こして欲しかったな」


なんで名前って思ったけどジャージか。

適当に愛想笑いをして、幸村くんと距離を作り離れて歩こうとした。


「行く先が同じなのに離れて歩くことあるかい?」
『逆に一緒に行くことある?』
「隣で寝た仲じゃないか」


無視しよう。
歩き出すと共に幸村くんも隣をついてくる。行く先は同じなのだから当然なんだけど。
気まずい。学校までが遠い。


「姓さんっていい匂いするよね」
『はは、そうかな。幸村くんもいい匂いしてるよ』
「うん。とってもいい匂い」


幸村くんは鼻をわたしの首筋に寄せた。わたしは素直に幸村くんから距離を取った。
恐らく匂いの原因であるシャンプーと柔軟剤を伝えたら、柔軟剤は同じなんて呑気なことを言っている。


幸村くんは高嶺の花だと思っていた。しかし、彼は思った以上に距離を詰めるのが下手くそだ。


幸村くんは開けた距離をほどほどに詰めてわたしと同じ速度で歩く。
もうそろそろ飽きて追い抜いてほしい。それが難しいと思うくらい気まずいならわたしが走り出すから。


「そうだ。また肩貸してよ」
『刺されそうなので、嫌です』
「刺すような子はいないよ、おそらく」


平和ボケしているのだろうか……。結構、幸村くんのことを話しているグループ同士は殺伐としている気がする。
幸村くん本人にそんな情報渡った瞬間に相手にされなくなるのわかってるから、みんな取り繕うのが上手だ。


「刺す気持ちにもならないくらい、俺が君を大切にすればいい。そうだろ?」
『そんなことないと思う……。幸村くんコートに着いたよ』
「残念。またね」


幸村くんと朝練を区切りに別れた。
けれど、約束もしていないのにまた彼と同じように会う気がする。
学校とか電車とかじゃなくて、大会に見学に来るとか、休日にばったりとか、そういうあても目的もないタイミングに。


幸村くんに優しくしなければよかった。後悔を背負って、部活に行く気にもならない。憂鬱だ。