仕事帰り、あと少しで家だと踵を引きずりながら歩いていた。
子供の頃から住んでいる町だ。少々建物が変わりマンションが増えたが道は一つも変わっていない。
もちろん、わたしの家も友達の家もだ。


中学生まではよく遊んでいた友達の家の前を通ったとき、赤ちゃんを抱えた友達に出会ったのだ。
お互い数年前会っていないが顔を覚えていた。
嬉しいのだが、自分にはいない、自分にももういてもおかしくない赤ちゃんと母親の姿がそこにあるのだ。
急に遣る瀬無さも押し寄せてきた。


「え、名、彼氏いないの?いい人紹介しようか」


一歳の息子を抱えた友達の言葉が深く突き刺さった。

わたしだって好きで恋人がいないわけではない。
言い返してやりたかったが、お互いをよく知る友達がいい人と言うのだ。信用できる人に違いない。


「初めまして幸村精市です」


彼女の仕事先の後輩だと言う彼はわたしの高校時代の後輩でもあった。


幸村さんは昔から輝いていた。容姿も才能も一目置かれ、彼の隣に立つ友人以外は全て一線を引いているように見えた。
当然二つ上の先輩になるわたしはより外側の枠の中にいるので、外野からはそう見えていた。


わたしたち二人を会わせた友達は無責任にも子供を理由にお茶も飲まずに帰ってしまった。

お互い大人であっても、知り合いの知り合いは他人だ。しかも、学生時代の幸村さんは小耳に挟む程度に知っている。
気まずい。

会社同士の付き合いという割り切りもない。
やっぱり帰りましょうかというほど薄情な報告はしたくない。


「カフェにでも行きましょうか?」
『は、はい』


気を利かせてくれた幸村さんが提案をしてくれて助かった。
わたしはこの辺りの土地勘はあまりないのだ。


いいお店があると言って15分ほど歩けば、駅からも離れ少し人が疎らになってきた。
それでも商業施設があるので路面の店は空席があるように見えなかった。


「ここです」


煉瓦造りの古い倉庫をリノベーションした商業施設の中に緑の多いカフェがあった。
幸村さんは店員さんに声をかけ、そこそこ混んでいそうなのにすぐに奥へ案内された。
奥の席の天井はガラス張りで太陽が明るく照らしていた。


「いいところでしょう」
『心地がいいですね』
「俺がプロデュースしたんですよ。自分の仕事が口で説明してもピンとくる方が少ないので連れてきちゃいました」


友達は設計事務所に勤めていたっけ。
幸村さんは誇らしげに店内を見渡して、屈託のない笑顔を見せた。

テニス以外にも力が発揮できる人だなんて羨ましい。


幸村さんはよく喋る人だ。気まずい時間を埋めようとする空回りの会話ではなく、聞き出すことが上手な人だ。
驚くほど嫌味もなく、情報交換をし合って、よく笑って、ただジョークを言うことは苦手なようだ。

学生時代の存在だけを知る人物から彼の印象が変わっていった。
これからもたまにお酒を飲みながら話すくらいになっていけばいいなと思い始めていた。


幸村さんのコーヒーが空になって、何かに気付いたのかわたしの顔を見た。


「すいません、俺ばっかり喋ってるみたいで……」
『いえ。興味深くて面白いですよ』
「昔からそういうところがあって」


恥ずかしげに幸村さんは顔を掻いた。
次はわたしから話してくださいと促されている気がした。


仕事も幸村さんほど特殊ではないし、上司の愚痴を話すこともない。面白い趣味を持っていることもない。
どうしようかと悩んでるうちに会話が止んで、白けた時間を作ってしまった。


「姓さんって立海出身ですよね?」
『えっ』
「カマをかけてみたんですよ。立海くらいしかしない風習を当たり前に流したので」


幸村さんは策士だ。テニスでもゲームメイクが上手かったのだろう。

わたしは一つ頷くと、幸村さんはやっぱりと笑った。


「俺、実のところ姓さんのこと知ってるんです」


血の気が引くような感覚になった。
関わることも、委員会や部活の役職や名声を持つようなことをしてこなかったので、意外を通り越した違和感があった。


「あ、でも紹介してもらったのはまたまたですよ。先輩が立海出身じゃないことは知っているので、繋がりがあると思ってませんでした」
『そうじゃなかったらちょっと怖いですよ』


幸村さん自身も目の前に知っている人が現れたから驚いただろうな。
友達がすぐに居なくなったから、お互い知らないふりを取り繕わなくてよかったのかもしれない。
運命だと茶化されでもしたらたまったものじゃない。


『それでいつわたしを……?』


生徒数が多すぎて同級生でもピンと来ないのに、ましてや学年が離れるのだから尚更一般モブはわからないだろう。
学年は隔てようとも人間の繋がりはあるのだろうから、どこかで一本線があるのかもしれない。

それらをひっくるめたとしても、幸村さんがわたしの名前と顔が一致していて、大人になっても認識したことはすごい出来事だ。


「学生証を拾ったことがあるんですよ。あなたに直接渡すことは無謀なので先生に預けましたけど」
『あの時!ありがとうございました。定期券を買う前だったんで助かりました』
「いえいえ。それ以来ですね、姓さんを見かけるようになったのは」


群衆の中からお目当ての人を見つける絵本の気持ちだ。

幸村さんは両手で頬杖をついて、揺蕩う思い出にわたしを重ねているのか遠くを見ているようだった。

見られてるわけじゃないのに首の後ろがくすぐったい。
あれ、この感覚昔にもあった気がする。


「姓さん、今度は捕まえるので隠れないでください」
『え、』
「昔は抵抗がありましたけど、今は違うので。俺はあなたに近付きます。必ず」


そう言った学生の感覚で年下に見ていた彼は、生まれてからわたしと離れていた時間を詰めるほど大人に見えた。