『あ!乾ってば超手に粉吹いてるじゃん』
「ん?ああ、冬になるとこうなりやすいんだ」
『テニスしてるときに割れると痛いよ。ハンドクリーム塗ってあげるから手を出して』


カバンからポーチを取り出して、ピンク色の可愛らしいチューブが出てきた。
乳液から甘い花の香りがして、姓さんと答案を交換したときにする香りはこれだったのか。

俺の手より姓さんの手の方が冷たくて、彼女の手で片手ずつマッサージをするように丁寧にハンドクリームは塗り広げられた。
さっきまでマットどころか白くカサついた手の甲が滑らかになっている。


『男子はあんまり気にしないと思うけどさ、むず痒いとか、渇いてるとか気にした方がいいと思うよ』


姓さんはタコになった指先まで、ハンドクリームを塗り込んでくれた。

自分の肉体のように俺の手を握る姓さんの瞬きの数を数えて待つことしかできない。


しかし、姓さんがハンドクリームを持ち歩いてることは少し意外であった。

制服に妙な折りシワが付いていたり、寝癖が跳ねていたり、無頓着なのだと思っていた。
ほかの女子たちも使っているところを見たことがないだけで、ハンカチとティッシュと同じく割と持っているものなのかもしれない。


「そうだと思うのだが、ベタつくのが苦手でね。ペンやラケットを握るにも不便なんだ」


手に何か覆われる感覚が妙に苦手だった。

特に正月の帰省で祖母に塗られるワセリンが特に苦手であった。
戦後の配給としてあったのかわからないが、甘いだけのさくらんぼのキャンディのような香りの輸入品を愛用していた。


『これはあんまり気にならなくない?』
「確かに。最近はこういうものが多いのかい?」
『概ねそうじゃないかな。ここのメーカーしか使わないからあんまり知らないけど』


女子にこんな風に手を握られることは今後ないかもしれない。

姓さんの手は柔らかい。それに指先にはあまり力がないようだ。
両手で俺の片手を包み塗り広げている様子が母の手を思い出させた。


『乾の手ってやっぱり大きいね〜』
「そうかもしれないね」
『厚いし、筋肉って感じが鶏ムネ肉っぽい』
「面白い例えだね」


どこか得意げに彼女は笑った。


姓さんの手が離れた頃には10代らしい瑞々しく艶のある手になっていた。
ハンドクリームの先入観とは異なり、ずっと握られていたせいかまだ彼女の指先の感覚があるのか温かくて心地のいいものだ。
いや、まだ彼女の手の中にいるみたいだ。


「どこのメーカーか聞いていいかい?」
『いいよ』


どこかこの彼女の温もりを手放したくなくて、メーカーだけでなく香りも記憶した。

お揃いにするつもりはない。が、おそらく店頭で手に取るものはこれだろう。
気持ちが悪いと思われるし、これを俺が日常的に使うには少々恥ずかしさもある。

後に店頭で価格に尻すぼみし、姓さんが持っていたものは、今春に発売された限定品であったことが判明する。
彼女が教えてくれなかったことに少し恨みつつ、レモンリーフのハンドクリームを買い、姓さんがそれに気付くのは俺が一本目を使い切った頃であった。