「姓、水族館のチケットがあるんだけど一緒に行こうか」
『え。当たり前にわたしと行くことになってる?』
嘘でしょ?と言うと、嘘に聞こえたかい?と聞き返されてしまった。なんて奴だ。
そして手渡されたチケットはペアチケットの片割れ。
自分の顔の真ん中に漫画のように紫色の影が落ちた気がした。
再来週のテスト最終日の放課後に行くことにスルスルと幸村くんに決められてしまった。
幸か不幸か、午後から予定のないため行けない理由を問い詰められれば普通に詰む。
嘘が下手というか、意味のない嘘というか、幸村くんはロジックに強いから一瞬の矛盾も許さない。
『彼女とか妹と行きなよ』
「彼女は居ないし、妹も最近お兄ちゃんとは嫌期なんだよ」
突き返したチケットを彼は受け取る気がないので、全身で押し付けているが幸村くんに片手で押し返される。
両足が力に負けてずりずりと滑る。
この〜!暖簾に腕押し、糠に釘〜!なんだこの皮肉は。
「お、幸村、モテる男は違うね〜。姓も押し付けてるようじゃダメだぞ」
『違います!幸村くんが強引なんあぶっ』
「力比べですよ」
幸村くんが急に力を抜くからバランスを崩して彼に飛び込んでしまったところを先生に見られてしまった。
その上、わたしを支えるために背中に手を添えたままで起こしてくれない。
顔が幸村くんのみぞおちで潰れて苦しいんですけど。
先生も何故か納得してどこかに行っちゃうし、幸村くんの思うままで腹が立つ。
「ドキドキしたね。ほら」
幸村くんはわたしの頭を胸に押し付けた。
頬に鼓動を感じる。だけど、
『これって速いの?』
「速いよ。指先までドキドキしてるのがわかるよ」
グッと身体を抱き寄せて、彼曰く早い心臓の音を暫く聞く羽目になった。
落ち着いたのか、幸村くんは離れてくれた。
幸村くんは何か叫び出したい衝動を抑えた口元で、顔にかかっていた髪を耳にかけた。
幸村くんは周囲の男子と比べたら、一歩引いた落ち着いた男子に見えていたんだけど、接してみると真逆の行動をするなぁ。
意外と女子と距離が近いことにもびっくりしたよ。
ちょっと手汗でヨレた水族館のチケットを見つめる。
冗談抜きで幸村くんと二人で水族館に行くのだろうか……。
わたしは幸村くんの恋人でも、特別仲のいい友達と言えるかもわからないところだ。
一緒にいてやりとりをすることは珍しくないけれど。
水族館のチケットって結構高いよ。
懸賞にしても幸村くんがペアチケットを選ぶようには思えないんだけど。
「水族館嫌いだった?」
『そんなことはないよ。ただ、やっぱり、なんか……』
「だったら行こう」
幸村くんは強く、わたしの意思を固めるようにそう言った。
一つ頷くと幸村くんは笑った。
彼の中にも不安のようなものがあったのか力を抜くように微笑んだ。
「寝不足で楽しめなかったとか言ったら怒るからね」
『だっ……!ギリギリまで勉強してるだけだし』
「一夜漬けしても結果的にテストの点数は変わらないらしいよ。じゃ、水族館楽しみにしてるよ」
ひらひらと手を振って幸村くんはわがままにも去っていた。
わたしはまたチケットを見つめて廊下に立ち尽くしていた。
行くんだ、本当に。
妙に緊張して胸がくすぐったい。けど、身体が痒いくらいの焦ったさもある。
幸村くんと二人きりじゃないといいな。
でも、ペアチケットだし二人きりじゃないかな。
どうしよう。どうすればいいんだ。
幸村くんが居なくなった廊下を睨んでも答えはなくて、テスト勉強は早々に放り出してしまいたいくらい、いっぱいいっぱいだ。
もう、テストもデートも時間に委ねてしまおう。それがいい。
チケットを大事にお財布に仕舞い、その日が来ることを待つことにした。