初めてこの水族館に来たという姓は興奮しはしゃいでいた。
着物と草履というのに、人混みでもすいすい動けるのは日頃からこのような格好をしているせいだろう。


基本的に水棲生物が好きなのだろう。夢中でアクリルケースを覗き込む。

着物を纏えば姓も年齢よりも落ち着いていて大人びて見えていたが、水槽の前では小学生と何ら変わりない。
今にも手を振りほどいて水槽に張り付きそうだが、興奮のせいかより強く手を握りしめてくる。

気のせいだと思っているのだが、姓が水槽を覗き込むと魚が寄ってくる。
臆病な魚には内側にマジックミラーが仕込まれているらしいが、明らかに彼女を捉えている気がする。


『ここの海獣たち、海を知らないんだよなぁ』


一通り水槽の展示を見終わった姓と吹き抜けからペンギンの水槽を見下ろしていた。
彼らは条約により、人間の管理下で繁殖した生き物だ。


俺は姓の心が読み取れない。
彼女に限っては読み取れなくても構わない。その口からきちんと話してくれるから。


「脅威がないと言えばかなり幸運な命だろうな」
『管理されて、お腹いっぱい食べることは出来ないことは不幸かも』
「姓は物足りないことは不幸か?」
『一度でも知ってしまったら不幸かな』


貪欲だなと言えば、口をへの字に曲げた。
では俺も貪欲になってみようじゃないか。


再び館内を見て回ろうと歩き出す前に、姓の手を指を絡めるように握り直した。
嫌だったのだろうか、その手を姓はジッと見つめていた。
スルリと指から抜け出し、彼女は俺の腕に抱きついた。


『恋人繋ぎも魅力的だけど、これもいいよね?』


いたずらっ子なその顔が俺を見上げる。
ほんの数時間で急接近しすぎではないだろうか。


姓が見たがっていた特別展示室へ向かう。
格子や涼やかな夏をイメージさせる照明。風鈴の音。その真ん中に主役となる金魚たち。
種類も模様も様々だ。
俺の腕を引いて、姓は水槽を覗き込む。


「先ほどから思っていたのだが、姓に魚が寄って来ていないか?」
『昔からそうなんだよね。ご飯に見えるのかな?』


自分より大きな生きているものに近付いて行くだろうか。
俺たちが移動すれば魚も追いかけるように移動するから、それを見ていた子供達も真似をする。


「Excuse me.」


声をかけたのはカメラを持った外国人旅行客。
聞けば写真を撮らせて欲しいとのこと。姓に聞けば、こくりと頷いた。


金魚の水槽の前でシャッターが切られた。
他の展示室のように暗くないこの部屋はフラッシュがなくとも綺麗に顔が写っただろう。


『ありがとうの他に何か言ってたけど、なんて?』
「いい日本土産になったそうだ」


本当はもっと嬉しいことを言われたが、恥ずかしいから意訳して伝えた。
姓はよかったねと微笑んだ。