つり目の生活mo
▽2021/01/23(Sat)
幸福論
幸福とは何か、というものを最近考えさせられるようになった
久々にこちらを更新。いつもmeに書いてばかりだから、たまにはこっちにも書こうかなと
というのも、暇だとついつい色々なSNSを観てしまうのだけど(暇じゃないのに現実逃避)、その中でよく「〇〇になったら幸せになれるのかな」というメッセージを見かける。
結婚したら幸せになれるとか、夢を叶えたら幸せになれるとか、何か、そういうの。
私にはその感覚はよく分からない
何かの条件の上に成り立っている幸せなんて、すぐ壊れてしまう、
勿論、幸せの定義なんて人それぞれなのだけど。
私は多分、かなりの幸福者だと思う。
季節の変わり目や、天候による空気の匂いの変化を感じている時に、この上ない幸せを感じられる。好きなものに触れていれば幸せだし、好きな人が居ればただただ幸せだ(勿論、喧嘩だったり辛くなることもある)
散歩をしていれば大体幸せだと思うし、喫茶店に入っても幸せ。
好みの文章を書く人に出会えれば幸せだし、好みの曲を見つけると幸せ。
要は、ほぼ無条件、というより、周りに既に存在しているものに触れることによって、勝手に幸せになれるおめでたい奴なのだ。
自己肯定感はそこまで無いものの、最近は割と何でも飲み込めるようになった。受け入れてしまう自分に落胆することもあれど、それでも生きやすい、というのは思いの外有難いもので
生きづらい人間こそ、何か至高のものを手に入れられるのではないか、特別な存在なのではないかと思っていたけど、決して自分の才能は特別なものではなく、ありふれたものとなっているような
そんな現実に気付き始め、最早拘らなくなった最近。それでも、諦めだったり、妥協するのとはまた違うのだと、いい方向に転換させていっているのも、今日此頃で
透明なものだけが全てではない、とはいえ、透明なものに囲まれて居られることもまた、幸せであり、
雨の音、濡れたアスファルトの匂い。
そして部屋と外との温度差と、空気の違いに包まれながら、淡いカラフルな水玉模様を思い出す。
静かな都会の一角で、私は息をしている。
昔見た、あの時の東京とは、全く違ったけれど。
それでも、あの時の光景を思い出しながら、今を愉しく、透明に生きていけたらいいなと思うのです
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