つり目の生活
mo

▽2021/07/10(Sat)
不変と普遍
6月29日で27になりました

何だかんだでこのサイトも一年以上続けてるんだな……。
去年の今頃は、無事に引越しを終えて、改めて正社員としてバーテンダーを始めた頃だったかな。銀座や有楽町を闊歩していたのを思い出す。


ちなみにもう一つ、タトゥーを増やした。
何となく、デザインを探していた所 一目惚れしたものがあったので、デザインに手を加えてオリジナルにし、少し大きめのワンポイントを増やした。
一つ目のものより少し大きいそれは、色も濃くくっきりと私の左腕に住み着いている。
もう何年も前から居たように、すっかり馴染んでいるが、会社の職務規定にはガッツリ違反するので何とか隠して上手くやっている。

誕生日、起きると彼におめでとう、と言われ、その場で数々の誕生日プレゼントを渡された。
どれもとても素敵なもので、一番普段使いするものはホワイトカラーの素敵なショルダーバッグ。仕事にも持って行っている

それから、ホタルガラスのブレスレットに、首にかけるタイプのマッサージ機。
ホタルガラスのブレスレットは、私も勿論だが、実家に帰った際に母親が一番羨ましがっていた 笑

その後焼肉を奢ってもらい、バーに行こうとしたのだが、バーはどこも20時までには閉まってしまっていて、結局帰る頃にはゲリラ豪雨に見舞われながら、二人とも濡れネズミになりながら帰った。

彼は傘をさす時、必ず私を入れて自分は濡れてしまう。
私はいいから、もっと入ってと言っても、傘の軸を変えない。
そんな優しさに改めて惹かれる、


虎さんからのお祝いはとても嬉しいものだった。まだ入って3ヶ月の会社なのに、沢山の先輩方からお祝いのメッセージやプレゼントを頂いたり、かつてのバーの常連様からメッセージを貰ったり、ギフト券などを貰ったりもした。

誕生日自体はとても素敵だった、いい誕生日になったけれど、今年は手放しでは喜べない事態が発生してしまった。




父親が、高確率で癌の可能性がある、と告知を受けた。

29日から1日まで三連休を貰っていた私は、30日から実家に急遽帰省した。
二週間前にも一度顔を出していて、その時見ていたはずの父親の姿はまるで別人だった。
恐ろしい程に痩せ落ちて、顔つきがまるで違っていた。
ある程度話を聞いて、まだ検査をしていないから、と言う。
採血などはしたらしいが、MRIや癌細胞なのかどうかの検査はまた別日だと言う。
でも、飲み薬を切らしたらしく、病院にはこれから行くと言うので付き添った所、その検査日というのは何と一週間近くも先だった。
こんな病状が諸に出ている人間を一週間も放置するのかとブチ切れた私は、翌日父親を連れてその大病院に怒鳴り込みに行った。
即日、検査を受けて緊急入院する事になった訳だが、その際の手続きや入院準備など全て私一人で行い、実家で待っている母親と祖母はもう使い物にならなかった。

そして私は、本当に十数年ぶりに、丸々一日、父が入院室に消えていくまで、二人で話をした。

ひたすら実家の家庭内状況の愚痴を聞かされ、その有様は私の想像を遥かに超えた惨劇だった。

母は残りわずか、一割程度の父への愛を信じ、父は母への愛はとうに消え失せていた。
私が実家に居た頃から家庭内環境は決して良くはなかったものの、まだ私もどこか「愛」とやらを信じていたつもりだった。
が、その最後の砦にも似た愛「もどき」は、完全に私の中で崩れ去った。
不変は無いのだ。
見返りのない愛もない、無償の愛などありはしない。
それがはっきりと分かった瞬間だった。

思っていたよりずっと、父と母の溝は深く、また祖母もそこに関わっていて、私は自分が実家を出ることでそこが収まるものだと思っていた。
現実はそれどころか、より悪化させていただけだった。
統失の気がある母、様々な障害があり、そして思考に潔癖さがあるので、父は母のことを理解できなかったようだ。そして認知症の祖母……

もしかして今回の癌はストレスから来たものだったのか?と疑ってしまうくらい、私の知らない所で家庭は崩壊していたようで

それでも父も人だから、口ではそうは言っても僅かなものでまた振り返る時が来るだろう。


それでも、私のまだ僅かに残っていた人間に対する、否、愛に対する希望は潰えた。



帰省する前日、焼肉で少し酒が入った虎さんは、父がガンかも知れないと伝えると、「すぐに会いに行ってやれ」と言ってくれた。

今後どうなるか分からないが、度々帰省したりして迷惑をかけることになるかもしれない。
そう伝えた時、大丈夫だよと笑ってくれた。


「貴方が25になるまでに、父に万が一のことがありそうだったら、その時はどうか顔を出してやって欲しい」

と言うと、彼は勿論、とすぐさま頷いてくれた。その時はちゃんと休みも取るから、と付け加えて。

その言葉が何よりも嬉しかった。
良かった、この人はちゃんと私の家族も未来も考えてくれていたと、心底嬉しかったのだ。

もし、それすらも断られていたら、この人との未来は無いと思っていただけに、とても嬉しかった。


私は幸福者だ、と呟くと、そう言ってくれると嬉しいけどね、と笑う。

「こんなぐうたらしてる奴と」と笑う彼。
一緒に居てくれて、そう思ってくれるなら嬉しいと

「一緒に居てくれるだけで有難いよ」と返すと、「その歳でそう思ってくれるのは珍しいよ」と苦笑いをする。


そのやり取りが一番の誕生日プレゼントだったかもしれない。

父と母は昔から話し合いをして来なかった。
どちらも思いや考えがあるのに、それを共有しようとはしなかった。
意地を張る人達だったから、コミュニケーション不足によるすれ違いなのに、手遅れな所まで来てしまった。
まさか父も、自分がこんな老後を迎えるとは思っていなかっただろうに


人と人は難しいね。
期待をしなさ過ぎるのも虚しく、期待をし過ぎても辛いだけだ。
何もかも諦めているに近い、全てを受け入れてしまう私は、やはり他者から見ると空虚な人間に見えるのだろうか

せめて、せめて私は、彼との愛は諦めないで抱き続けたいと思う。


27、ぼんやりと先を眺める大人になりました


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