つり目の生活
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▽2023/01/04(Wed)
新年とお別れ
お久しぶりです。
また半年近く空いてしまった、

父が亡くなった。
きっちり年越しはしていって、父らしいなと思った。
1日2時7分、静かに、眠るように息を引き取った。

一年半前から、胆管癌の余命宣告を受け、その時は普通なら半年、持って一年と言われた中、
一年半も頑張ってくれた。

一昨年の秋頃、父の実家である北海道に「最期の旅行だから」と一緒に過ごせた旅行のことは、生涯忘れないだろう


父のことをここでつらつらと最初は書こうと思っていたけど、三日経った今
ある程度の整理がつき、ここで呟いても仕方がないかなと思うようになった、

最期に、目を開けて私のことを焼き付けるような目で見て
去り際、もう動かないであろう手を振ってくれた姿も一生忘れることは無い。

思えばまともに話せたのなんて、成人して社会人として私が自立してからだった。
何もまともな恩返しはできないまま、逝ってしまった


それでも、私は最後に父と二人きりでよく話す機会があった。
母は、どんな思いなのだろう

私よりも悔いは多いと思う。

亡くなってから、これからのことが寧ろ大変で、
色々な手続きを私一人でやらなければならない。
母は何もできない人だ。
普通の同世代の人達が見たら驚く程に何もできないから、全て私が担うことになった。

それでも、父のことだから、私はいい。

初日はただただ喪失感が余りにも強くて、泣いていた。
心に余裕が無くて、ただただ色々バタバタしながらも、落ち着くと涙が出てしまって仕方がなかった。

虎さんにも、呟くように思い出語りをして、
ただ黙って聞いてもらっていた。

自宅に帰宅したのは、父が亡くなった翌日だった。




そこから、恐らく精神的に異常をきたしていたのだと思うが、
肉親が亡くなった翌日だというのに
私は彼を襲ってしまった。

性欲があった訳ではなく、遺体と対面してあまりにも辛すぎる「死」を受け止められず、
対極に居る「生」の象徴である虎さんが酷く「美味しそう」に見えてしまったのだ。

元々カニバリズムの性癖があったので、それが爆発したのではないかと思う。
今は理性を抑えられるほどの余裕が無い。

セックスは正しく生きること、生を産むことに直結する。
父の死を受けて、少しでも生を実感したかったのだと思う。

親不孝な娘でごめんよ、今こうして抱かれてる姿も父に見られてるのだろうかと思いながら、
私は彼に必死にしがみついていた。

彼の首筋やお腹のあたりがやたらと「肉」に見えてしまって、食いちぎりたい衝動を抑えるのに必死だった。

精神的な支柱を失い、もう仕事でどれだけの成果を上げようとも
もう間もなくの予定だった虎さんとの結婚報告も、いつかもしかしたら産まれるかもしれない孫の報告も、結局何一つ今後はただ遺影に向けて呟くだけで、

もう、「お前凄いな」とはにかんでくれる父は居ないのだ。

介護になってもいい、私がやる。そうしてでもいいから、
もう少し生きていて欲しかった。
まだ話したいことが沢山あった。

ただ、癌はやはり痛いものらしく、
最期コロナにも院内感染していて、呼吸も苦しそうだった。
だから、もうこれ以上苦しんで欲しくない、という気持ちもあって
ただただ複雑だった。

ただ、今は寂しい気持ちが残る。

もう二度と、あの喫茶店に一緒に行くことはできなくて
もう二度と、父が運転する車に乗ってあの公園に行くこともない。
花見をすることももう、叶わないのだ。

本当はやってほしかったであろうことも、何も出来なかったなあ。

もっとご飯を作ってやればよかった。
あの時ああしていれば、なんて、どれだけのことを思い浮かぶだろうか。

身近な人が亡くなって悔やむことがない人なんて居ない、傍から見たら十分よくやったというような人でさえ、後悔は浮かぶものだとお坊さんに言ってもらいました
というコメントを何かの動画で読んで、思わず泣きそうになった。

父、72歳。
私は年明けて今年で29歳になる。

ここを解説した時は、まだ25歳だったのに、早いものだ

時間が経つのは早いね、本当に。

また時間ができたら、ぽつりぽつりと呟く予定です。

たまに、思い出してくれたら嬉しいです。


いい父でした。
本当にありがとう、お疲れ様でした。


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