つり目の生活
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▽2020/06/14(Sun)
クーラーの匂いのする部屋
恋人と、私と同居人が暮らすこの部屋も、暑くなってからいよいよクーラーを付けるようになった。

夏にしか味わえない、部屋の匂い。閉め切った部屋に、クーラーの風が香りを掻き混ぜて漂っていく。
時に煙草の匂いが充満する、三人共、銘柄は違うが皆メンソールだ。
私も彼も、口付けの後は必ず口の中がメンソールの香りがする……。

灰がたまに飛ぶ、


今日は外は大雨だった。誰一人、外に出ることなく三人してずっと家の中。
クーラーの匂いがする、

懐かしい、と、思うのだ。


クーラーの匂いは、実家の匂いだと思っている。私がいつも小さい頃を思い浮かべるのは、小学生の頃真夏の炎天下、汗まみれでランドセルを下ろし、西瓜なんかが出てくるので食べる。

次第に夜になって、19時くらいには父親が帰ってきて、家族四人でテレビを観ながらソーメンとかを食べていた、あの、独特の匂い。
古いクーラーの匂いだ、それも、久しぶりに動かすあの少しの埃っぽい匂い。

大抵チャンネルの権限は父が持っているので、野球がやっていれば野球になる。にも関わらず、父以外は総じて野球に興味がなく、私も大人になった今でさえ、野球のルールは一ミリも分からない

ハイテーブルなんかじゃなく、低い、冬になると炬燵に変わるあのテーブル。
テレビを観ながら、私はアイスを食べて、父はビールか何かをよく飲んでいた。食事の片付けをする母と、何かしら喋っている祖母。
置かれたランドセル、散らばる夏休みの宿題のプリント

クーラーの匂いがする、


外から聴こえる、花火の音。
クーラーの匂いが、する。

そんな断片的な思い出が、とても強烈に残っている。

あの頃にはもう二度と、戻れないと分かっている。
それに、あの独特の匂いは、実家でなければ味わうことは無いと思っていた。し、事実、無論色んな屋内を生きていれば当然行く訳で、夏が来るその度に、その匂いを探してしまう訳だが、全くあの実家の匂いと同じ部屋は一つとして無かった。

一応自分とて、二十数年伊達に陰キャをやっていないので、色んな屋内の匂いは知っているのだ。
広い所から、個人の部屋まで。それはそれは、色んな屋内の「夏の匂い」を知っている。

匂いと、空気感なんだろうか。空間そのものなのだろうか、

恋人と同居人と三人で暮らすこの部屋で、実に数年ぶりのあの実家の匂いがやってきた。

全く同じだ。
あの頃の、あの時の実家の、あの夏の匂い。

実家は大変田舎で、ここは東京。違うはずなのに。クーラーの機種みたいなものが同じなのか?
多分、いやほぼ絶対に違う。あの家のクーラーは、とてつもなく古い……。


恋人と食事をする時、ふと視線を顔から外して身体だけ見る時がある。

もう何度も洗濯をして着古された、草臥れた白い肌着。柔軟剤と、彼の体臭。愛しい、いい匂い。そしてほんの少しの汗の香りと、染み付いた煙草の匂い

筋肉が付いた腕なのに、手首だけは細い、あ、親父と似てるんだ

「物を作る手だ」


ジャンルは違うけれど、職人というのは、どの人もこうして手先の器用さと男独特の不器用さが滲み出るのだろうか。
思えば、父もそこまで口数が多い訳ではなかった。酒を飲むとたまに饒舌になり、母にも冗談で絡みに行く。素面の時は、ただただ「父」と言う男であると、そんな認識だった。

無骨で愛想がある訳じゃなく、時に口も悪いが根は優しい。そんな昔ながらの男だ。

上手く媚びるとかそういったものはしない。ただ、場数を踏んだ貫禄で、何となくその場がまとまるし、それでいて横柄な態度をする訳でもなく……


恋人と似ている。


年老いた今の父は、大分小さく見えるし、小さかった頃の私にとっては、原寸大よりも父の姿は大きく見えたものだ。しかし、私の記憶はいつだってあまり正面の印象は薄く、横向きか背中の記憶ばかりある

仕草や考え方、人を見る時の目、それらは全て男たる男であった。

恋人に似ている。

あの、実家と同じクーラーの匂いがする中で、恋人と食卓を囲む時、私は初めて母の気持ちが少しだけ分かった気がするのだ。
まるでままごとのようなこの生活の中で、あの時間の中私は母になったのかと思った。



私は、その懐かしさが好きだ。
恋人と居ると、その懐かしい空気の中にいつまでも浸っていられるような、妙な心地良さと安心感がある。
それでも、つい昨日、喫茶店で珈琲を飲みながら考えていた事がある。

元々恋人と喧嘩したり、ぶつかりあったりしした時も、私は何となく恋人の主張を受け入れて納得してきたのだが、それ以上に改めてちゃんと「受け入れる」ようにしよう、と思ったのだ。


人はどうしても、相手に対して理想の相手を思い浮かべて、その理想像や想像していた人物像から離れた行動や言動をされると不快感や違和感を覚えてしまうものであるが、それをしないようにしようと決めた。

あくまで、恋人は恋人なのである、と。


父親に似ていようが似ていまいが、私は彼を一人の人間として好きになったのだ。
だからこそ、理想の彼でない事があったとしても、それを全て受け入れよう、と

本当の意味で「大事にする」というやり方を、私はこんな方法しか見つからなかった。
あくまで、本人と向き合い続けることしかできないと、

尽くすことや一途であること、何かを犠牲にすることだけが大事にすることではない。
勿論、それらも含めるが、

今まで私は多くの近しい人達に、自分の理想像を押し付けすぎていたのかもしれない。
だからこそ、その像から離れられるのが辛くて、人間関係にしなくていい失望をして来たのかもしれない。

今度こそ、自分の中に、ちゃんと人を受け入れよう。
受け止めて、中に入れることをしよう、

そんな風に、初めて思わせてくれた恋人に、改めて心からの感謝を。





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