広大で荒れ果てた地、惑星ベジータは私の第二の故郷だった。

 生まれの星であるイーアイ星は宇宙の地上げ屋フリーザ様のご指示で、サイヤ人の手によって攻め落とされた。豊かな土壌や美しい自然に価値を見出されたのも勿論あるが、なによりも“恵の術”を彼らは欲した。この特殊な能力は、私たちイーアイ人――とりわけ女の性のイーアイ人が持って生まれる。それはつまり男の性を持つイーアイ人はフリーザ軍にとって不要なものであるということで、彼らにそう判断された者の末路は決まりきっていた。
 女のイーアイ人は捕虜として惑星ベジータに連れて来られた。最愛の恋人や家族、友人が惨殺された当時の彼女たちは誰もが悲壮に明け暮れ、サイヤ人を恨んでいた。例に漏れず私だって、王であるパパや、私と一つ違いの弟が見せしめのように殺された時は憎しみに囚われた。

 とても苦しかったし、悲しかったけれど、ママだけは気丈にみんなを励まし続けた。

――恨んではいけません。憎しみに支配されてはなりません。私たちは“慈の心”を継ぐ一族なのです。

 そう言い放ったママの横顔は一人のイーアイ人ではなく、滅びた星の運命を背負う女王であった。
細いけれど堂々と逞しい背中。イーアイ人の証である銀色の髪。私はママの娘であることを誇りに思った。そしていつか、その王座を譲り受けることになった時には、ママのような女王になろうと心に誓ったのだ。

 “恵の術”を持つ私達は、医療班としてサイヤ人の下で働くことになった。はじめの頃は慣れない生活や凶悪な戦士たちに怯えていたけれど、年月を重ねるうち、悪いことばかりではないことに気がついた。赤茶けて戦いの匂いがする土でも花や木は育つし、粗暴だと思っていたサイヤ人は気さくな一面もある。それに、私にとって気の置けない存在も出来た。


 近づいてくる気配に、畳んでいた制服から手を離して顔を上げた。

「おい」
「お帰りなさい、王子様」

 自動扉が開くと同時、現れた黒髪の少年をにっこりと笑って迎え入れた。
 ベジータ第一王子。惑星ベジータの名を継ぐ王子の彼は、王子にあるまじき煤けた姿で広い部屋を闊歩してベッドにどかりと座った。戦闘服を汚していた土埃が真白のシーツを赤黒く滲ませる。
 私はそれを咎めようと顔を上げたけれど、彼の着ていたインナーが破けていることに気がつき「怪我をしたんですか?」と問うた。

「見ればわかるだろう。クソ、忌々しい奴らだった。木っ端微塵にしてやったがな」

 王子はそう吐き捨て、苛立たしく舌を打つ。私は血が滲んでいる彼の腕にそっと触れた。彼と私は同い年だが、弛まないトレーニングの成果なのか、彼が天才であるが故か、鍛え抜かれた彼の体は既に完成されている。この腕で、指先で、一体いくつの命を奪ってきたのか。考えてみるのも不毛なのだろう。

 傷口に手を翳して、目を閉じる。何度か呼吸を繰り返すと、周囲の騒めきが水に沈むようにゆっくりと遠のいていく。やがて感じる“恵”の力に、私は意識を集中させた。
 指先がジリ、と熱くなる。目を開けると、柘榴のようにぱっくりと開いていた傷口は元どおりに塞がっていた。
 ほ、と息を吐いた私を黒く縁取られた王子の瞳が見下ろす。グローブが嵌められた指先が私の目元を緩やかになぞった。

「何度見ても不思議なものだな。お前の体はどうなってるんだ?」

 目の奥までじっと覗き込みながら、王子は興味深げに言った。
 彼は時々、こうして気まぐれに私に触れる。その手つきは彼の人柄とは裏腹なもので、その隔てに戸惑いながらもどこか心地好いと思う自分がいた。

「私だけに限った話じゃありません。イーアイ人は皆、“恵の術”を使う時は…」
「瞳の色が灰色から青色に変化するんだろう。他の奴の術を受けたことがある。だが、お前ほど顕著に変わってはいなかった。お前のは、夜明けの空を見ているようだ」

 王子は私の髪を指に巻き付けて弄んだ。視界の端でゆらゆらと銀色の髪が揺れる。その間ずっと、私の瞳が青色からもとの灰色に戻るのを彼は眺めていた。

「ふふ、褒めてくれているんですか?」

 そう口にすると、王子は一瞬眉を顰めた。けれど髪の隙間からのぞく私の耳が赤く染まっているのに気がついて、愉快そうに鼻を鳴らした。
 
 ふと遠くからやって来る複数の気配を悟った。「王子様、そろそろ…」私が切り出すと、王子はつまらなそうにベッドから降りた。

「俺はもう一度遠征に行く」
「はい。くれぐれもお怪我をなさらないように」
「余計な心配は無用だ」
「今日の夜もお邪魔していいですか?」

 入り口までスタスタと歩いていた王子は、一度こちらを振り返ると何も言わずに部屋を出て行った。
 この反応がイエスの意味であると知ったのは、以前彼の元へ訪れなかった私をひどくお怒りになられたからだ。
 王子にぐちゃぐちゃに荒らされた部屋を思い出して、なんだか懐かしい気分になった。

 畳み終えた医療班用の制服をクローゼットにしまい終えたところで、再び自動扉が開いた。
 スタンド襟の白いシャツドレスに身を包んだ数人の女性が、ぞろぞろと入ってくる。一様に銀色の髪を翻す彼女達こそ、同胞のイーアイ人たちだ。

 そのうちの一人が側によってきたので、私は彼女を見上げた。

「おかえりなさい」
「ただいま、良い子にしてた?」
「はい。戦士の皆さんは大丈夫でしたか?」
「今回の遠征、あいつら手こずったみたいね。もう大変だったわよ、メディカルマシーンをフル稼働させても病人が溢れちゃって…ほら」

 彼女が視線を向けた先を見ると、数人が一人のイーアイ人を囲んでいた。その彼女の頬は痛々しく腫れ上がっていた。

「サイヤ人の一人が暴れてね、もう大騒ぎよ」
「…イーアイ人に治療されるのを嫌がったんですか?」
「それもあるけどね、一番はメディカルマシーンに私たちの能力が劣ることよ。仕方ないじゃない、術は万能じゃないもの」

 悔しそうに吐き捨てた彼女は腰に手を当ててため息をついた。

 恵の術は一般的に治癒の能力として知られるが、正確に言えば少し違う。全ての生けるものは、体から一定のエネルギーを放出している。それは例えどんな武術の達人だったとしても無意識の内に溢れる、力とは似て非なるものだ。イーアイ人はそれを“恵”と呼び、それに干渉できる力を持つ。そして干渉したエネルギーを熱に変え、血や肉の成長を促進させることができる。
 けれどそれは再生とは異なるため――つまり無理やりに力を加えているのと変わらないので、表面的に傷口が塞がっても新しい組織と元の組織が結合するのには時間がかかる。
 今日の王子のような怪我ほどであればなんら問題はないが、負傷が大きいほどに結合する期間は長く、本人の体力も必要だ。もとから戦いで削がれた気力をさらに失うことになるのだから、患者側からしたら余計に悪化したように感じてしまうかもしれない。

 悪態をついて髪を乱雑にかきあげた彼女だったが、その瞳を不意に私の背後にやった。すると途端に居住まいを正し、恭しく頭を垂れて去っていく。
 振り返ると、そこには一人の女が立っていた。他のイーアイ人と同じように銀髪で、燻んだ灰色の瞳をもつ女性。けれどその立ち居振る舞いも、放たれる威厳も、目を見張るような美貌も、唯一無二に君臨する頂点の存在。

「お帰りなさい、お母様」
「…また部屋で力を使ったようだけれど、誰か来たの?」

 私は下げていた頭を上げ、「いいえ」と答えて花瓶に視線をそらした。下ぶくれの白磁には、茎の細い緋色の花弁の花が一輪挿してある。

「あの花に練習相手になってもらっていたんです。今日はうまくいかなくて、あんな風になってしまいました。恵を注ぎすぎたみたいです」
「……そう。ならいいのよ」

 艶々と命を輝かせる赤い大輪を一瞥した女王は、サイヤ人に傷つけられたイーアイ人の元へ向かった。
 後ろ手で花の方に向けていた掌をそっと下ろす。繋がっていた恵の力が指先から引いていくのを感じながら、密かに胸を撫で下ろす。
 女王は、私がサイヤ人――特に王子のベジータ様と関わりを持つことを殊に嫌がる。女王である彼女は、礼儀や秩序をなによりも重んじている。滅びた国の王女である私が、栄華の只中にある国の王子であるベジータ様と親しくするのは無礼に値するとお考えになるのだ。
 もしも私が王子と隠れて会っていて、あまつさえ私の未熟な恵の術を施しているなんて露呈した日には、きっと鞭打ちだけでは済まされない。

 ごめんなさい、ママ。私は悪い王女です。

 負傷したイーアイ人に氷嚢を渡す女王を見つめながら、私は心の中で謝罪した。


 ステンドガラスを透過した薄明かりが、長く広い廊下を照らしている。地面に敷かれたベルベッドの絨毯を踏みしめながら私は窓から見える欠けた月を残念に思った。
 惑星ベジータでは八年に一度しか満月が見られない。例え見れたとしても、サイヤ人が大猿に変身してしまうのでそれどころではない、とは城下で知り合ったサイヤ人の一人が教えてくれたことだ。
 イーアイ星では、満月は約一ヶ月の周期で観測された。空気が澄んでいたイーアイ星の夜空はまるでチープな表現だが、宝石箱をひっくり返したかのような輝きを放っていた。
 もしも王子様がサイヤ人ではなかったら、二人だけで空を眺めては、星座占いや新星発見コンテストなんかを開催できたのだろうか。ぼんやりと考えかけて、私は慌てて首を横に振った。
 王子様はサイヤ人であることに誇りを持っている。星々を食い尽くし、破壊し、時には消滅させることこそが彼らの営みであり、正しさである。“慈の心”を持ち、種を愛おしむイーアイ人は、どんなことにも善悪を持ち込んではならない。

 ある部屋の前で立ち止まり、取り付けられた液晶にパスワードを打ち込んだ。私と王子だけの秘密のナンバーだ。
 機械音と共に開いた扉の向こうに足を踏み入れる。ベッドの上で胡座をかいた王子が、窓の外に広がる夜空を見つめていた。先ほど捨て去った思考が脳を掠め、私はそれを振り払うように勢いよく王子のもとに駆けた。
 王子が振り返ると同時にベッドに飛び乗る。勢い余って王子の膝に頭を突っ込みかけたけれど、それを咎める者は誰もいない。(王子は片眉を少し上げただけだった。)
 ベッドボードに立てかけられたクッションに背中を預けた。ぴったりと王子に体をくっつけて、彼の肩に自分の頭を乗せる。石鹸の甘い匂いがふわりと鼻をくすぐった。

「今日はどんな星へ行ったんですか?」
「フン、戦闘力がカスばかりの大したことない星だった。一つ目と二つ目の星は荒れ果てていて売り物にもならないだろう。三つ目の星はまだマシだ。植物が星全体を覆っていて、希少な動物が住んでいた。あれは闇取引で高値で売れる」
「珍しい動物?どんな姿なんですか?」

 思わず身を乗り出した私に、王子はその動物の特徴や生態系をぽつぽつと語り出した。
 宇宙中をあちこち駆け回る戦士でも、やはり彼は王子である。普通ならば知りもしないようなことを知り尽くしていて、私は毎晩彼の披露する冒険談や未知の生態系の虜だった。

 王子の指先が私の髪を梳く。話に耳を傾けながらその手つきの心地良さに身を委ねていると、不意に雲が途切れ、月の光が王子の横顔を照らした。
 それを眺めていた私は、そういえばと口を開いた。

「王子様の部屋の天蓋は、どうして取り払ってしまったんですか?つい最近まであったのに…きゃっ!」
「なっ、お前…!」

 疑問を口にした途端それを聞いた王子が跳ね起きたので、完全に体重を任せていた私は彼の太ももの上に転がり落ちた。
 眉を寄せて私を見下ろす王子は、頬を薄らと赤く染めて憤慨していた。と同時に、動揺しているようにも見えた。

「ど、どうしたんですか?」
「お前が言ったんだろう!」
「な、何を?」
「『鼻がむずむずする』と…!」

 言い放った王子に私は思考を巡らせ、思い当たる節があった。
 惑星ベジータはその土地柄ゆえに動植物は少なく、大気も淀んでいる。そのせいか咳やくしゃみが止まらなかったのだ。この星に移り住んでまず直面した問題だった。体調の悪い日も続いたので、ある時ふとその不満を彼に零した記憶がある。

 手をついて王子の上からむくりと起き上がり、彼の顔を覗き込んだ。「気遣ってくださったんですか?」問うと、私の口元が笑っているのが気に食わなかったのか、後頭部を強めに叩かれて顔ごと枕に埋もれた。

「玩具が壊れては困るからな」

 王子は単調にそう言い放ち、柔らかなベッドに寝転がる。
 私は微笑んで、彼と向かい合うように体を横たえた。

「でも、残念です」
「…何がだ」
「あの天蓋は、この大きなベッドを覆い隠せたでしょう?あれがあれば満月の夜も王子様は空を見ないで済むので、二人で一緒にいられます。あ、でもそしたら大猿になったサイヤ人の方々に食べられてしまうでしょうか?」
「…ふん、くだらん」

 吐き捨てた王子に腕を引き寄せられ、頭ごと胸に抱かれる。強い鼓動は私を慰め、その熱は温もりを分け与えた。

「俺様はエリートなんだ。下級戦士とは格が違う。例え奴らが大猿になったところで、この俺に敵う相手など居ない」
「でも協力してかかってこられたら?」
「仕方ないから俺も大猿になってやる」
「それだと今度は王子様が私を食べてしまいます」
「あり得ないな。俺は理性を失ったりしない」

 ほくそ笑む王子に、どういうことかと首を傾げた。けれど私が疑問を口にする前に、彼は一度私の頭を撫でると目を閉じてしまった。
 私は少し残念に思いながら、王子に倣って大人しく目を閉じて、明日こそは聞き出そうと密かに意気込んだ。


夜もすがら