「王子様」
「……」
「あの…」
「……」

 …空気が重たい。この星の建物内は全て、人間が過ごしやすい完璧な環境を最新のテクノロジーで作り上げている。というのに、この部屋はどんよりと重たく冷え切っている。
 私は努めてため息を吐きそうになるのを堪えながら、ベッドに腰掛ける王子を見上げた。
悠々と寛いでいるようにも見える姿は格好だけで、実際の王子の眉間にはシワが何本も刻まれている。
 酒場を出てからこの部屋までの道中、王子は一度も口を開かなかった。それは暗に彼が怒っていることを示しているが、私にはその原因の検討がさっぱりつかなかった。
 困り果てて、意味もなく部屋を見渡した。毎夜訪れるこの部屋に大きな変化が見られるわけがないが、一つだけ変わったことがある。

 ベッドの側まで寄り、天井から垂れる幕に指先を滑らせる。この天蓋を、王子が私のために用意してくれたのは明らかだった。きっと使用人に頼んでくれたのだろう。あの夜からそう時間は経っていないのに。
 新たに取り付けられた天蓋は、見たことのない材質で作られていた。しっとりとしていて軽い手触りの生地は、見事なブルーに染まっている。こんなに深い色合いの青は見たことがなかった。なのに光に反射すると、半透明な白や金色の輝きを放つのだ。
 私は気まずい空気だったことも忘れて、「ねえ王子様、これは…」と尋ねようとした。けれど鋭い眼光がこちらを見据えたので、ぱくんと口を閉じた。

「…お前は、自分が何をしたか分かっているのか?」

 一語一語に不穏な感情を滲ませて、王子は言った。彼の拳の中で、クシャリと紙擦れの音がする。それは私が王宮を出る直前に残していったメモだった。
『城下の酒場に行ってきます』という風に書いたはずだ。
 狼狽えながら、「もしかして、待たせてしまいました?」と訊ねた。王子はさらに苛立ったように「違う」と吐き捨て、「どうしてあんな場所へ行った」と続けて問うた。
 難しい質問だ、と私は思った。どうしてと聞かれても、行きたかったからとしか答えようがない。けれどそれで彼は納得しないだろう。
 考えあぐねて、どうにか回答を絞り出した。

「興味があったからです」
「…興味だと?」
「違う種族のことをもっと知りたいんです。イーアイ人とは真反対のサイヤ人のことも。イーアイ星では外交が活発に行われていましたが、サイヤ人のような種族とは関わったこともありませんでした」

 私はかつてのイーアイ星を思い浮かべた。あの星の主な産業は農作物の交易で、民から貴族まで関係なく田畑を耕し、生活を養い、国の基盤を担っていた。イーアイ星産の農作物はその安全性と品質から人気が高く、頻繁に宇宙の星々から船がやって来ていた。私は王女として彼らと関わりがあったが、皆穏やかな者たちだった。
 
「サイヤ人というのは不思議ですね。血と戦闘を好み、家族や恋人という概念もほとんど無い。けれど仲間意識は人一倍あるように思えます」
「……」
「それに野蛮で残忍なだけかと思えば、接してみるとそうでもありません。少なくともここに来てから関わったサイヤ人達は親切な一面も…――」
「…なんだと?」

 低く冷たい声が私の言葉を遮った。
 私は顔を上げて、王子の顔を見た。王子は目を見開き、打ちのめされたかのような表情をしていた。
「あの場所へ行ったのは今日が初めてではないのか?」呆然と王子が問う。私がそれに恐る恐る頷くと、みるみる彼の顔が歪んだ。

「――ふざけるな!!」

 ガンッと大きな衝撃音が鼓膜を震わせた。反射的に閉じていた目を開ける。すぐ傍にあったサイドテーブルが粉々に砕け、粉塵が舞っていた。

「お、王子様、」
「それがお前の導き出したサイヤ人への答えだというなら、お前は俺たちのことを何一つとして分かっていない!」

 怒号に肩を竦める私に、王子の手が伸びる。彼は私の服の襟をつかんで、強く引き寄せた。
 黒い瞳は、怒りの炎でギラギラと燃えたぎっていた。

「いいか?俺たちは優しさなどという甘ったれた感情を持ち合わせてはいないんだ!お前に親切にしたというサイヤ人は、お前がイーアイ人だからそうしたんだ、単なる好奇心からだけだ!」
「…っ」
「お前に興味を失ったら、そいつらは簡単にお前を殺す!今ここで、俺がお前を殺してやってもいいんだぞ!」
「お、王子様、苦しい…っ」

 気道が狭っていくのに耐えきれず、途切れ途切れに訴える。首を掴む拳に手を重ねると、はっと息を呑んだ王子は私から身を離した。
 王子は、今し方自分が行ったことが信じられないとばかりに自分の掌を見つめた。そして私に目を向けて、ぐっと唇を噛む。瞬間、彼の顔に傷ついた色が走るのを確かに見た。

「…クソッ」

 苛立たしく舌を打った王子は背を向けた。部屋の中を横切り、出口に向かって荒々しく歩き出す。

「待ってください…!」

 今の彼を放っておくわけにはいかない。咄嗟にそう思った。
 これは自惚れかもしれないが、私が彼を拒否する素振りを見せたことで、彼の心が痛手を受けたのではないかと考えた。彼に悲しい思いをさせるのは嫌だった。
 慌てて後を追おうと立ち上がった私は、ベシャッと無様に床に転がった。足を天蓋に取られたせいで頭から倒れ込んだのだ。

「っ痛…」

 手をついて起き上がろうとして、腕に鋭い痛みが走った。どうやら床に散らばったテーブルの木片が皮膚を傷つけたらしい。
 仕方なく傷口の確認をしようとすると、私より先に腕を手に取った人物が居た。この場でそんなことが出来るのは一人しかいない。
 私はほっとして顔を上げ、驚いた。

「王子様、」
「怪我をしたのか?!」

 切羽詰まった声で尋ねられた。王子は腕の傷口から流れ出る血に目を止めると、くしゃりと顔を歪ませる。
 王子の行動は迅速だった。私が呆けている間に、私の体を軽々と持ち上げてベッドに座らせた。天蓋の裾をビリビリと細く破く。それを止血用の布にして、私の腕に強く巻きつけた。美しかった青色が血に染まって暗く濁っていった。
 王子は弱々しい力で私の腕を掴んだままだった。伏せられた顔は酷く強張っている。信じ難いことに、彼は動揺していた。いつも平静を崩さず、冷酷とさえ言われるあのベジータ王子が、だ。

 そのとき、まるで天啓を受けたかのように、頭にある仮説がよぎった。彼は何故、私が外に出ていたと知っただけであんなにも激昂したのか。多分これは、勘違いなんかではない。

 私は空いている方の腕を彼の首に回して引き寄せた。不意のことでバランスを崩した王子は、私につられて倒れ込まないように片手をベッドに着いた。

「なっ、何をする!離せ、」
「気がつかなくてごめんなさい。見た目ほど痛みはないし、大した傷ではありません」

 王子の肩に顎を乗せてそう囁くと、王子はじたばたともがくのを止めた。
 目を閉じて、王子の胸に額を寄せた。どくん、どくん、と生きている振動が音となって伝わる。
 王子は一度静かに息を吐くと、「…イーアイ人は、自然治癒でしか傷が治らないのだろう」と言った。
 抱きついたまま彼を見上げた。「心配してくださったんですね」と微笑むと、王子は苦々しげに目を逸らした。

 恵の術を操り、癒しの力を持つイーアイ人だが、その術をイーアイ人本人に使うことはできない。なぜならイーアイ人には全ての医療が効かないからだ。メディカルマシーンは勿論、他の星の住人が使う治癒の力も。
 だがそれこそが、イーアイ人が“慈の一族”と呼ばれている所以でもあった。イーアイ人は文字通り、“すべて”を受け入れる。それで例え、命を失うことになったとしてもだ。

 掴まれていた腕は離され、腰に手が回された。私を深く引き寄せて、「…ああいう場所へは、もう行くな」と囁く。懇願するような響きに、胸の内がじわじわと熱くなるのを感じた。
 私は「はい」と頷き、王子の背中に手を回した。王子は私の反応に驚いて目を見開いた。

「…お前、本当に分かっているのか?」訝しげに眉が顰められる。
「?はい、これからは大人しく王子様の帰りを待ちます」
「……俺は、王宮から出るなと言っているんだぞ?」

 迷うように視線を彷徨わせた王子が、ぽつりと言う。私は二度、三度と瞬いて、思わず笑った。
「そうですね、仕事が出来なくなってしまいます」軽口を叩くと、「そういう意味ではない」王子は口を曲げた。
 不機嫌になる彼を見つめ返して、私の出したサイヤ人への答えはやはり間違っていなかったと考える。

「確かにそれは少し残念ですが、大した問題ではありません。王子様がそう望むなら、私はそれに応えます」
「…なぜだ」
「王子様が私に、そうしてくださったからです」
「俺が?」

 私は考え込む王子に「お気づきになりませんか?」と笑って、破れた天蓋を見上げた。

「…こんなもの、ただの気まぐれだ」眉をひそめた王子に、「違いますよ」と笑いかける。

 王子が私に与えてくださったものは、この美しい天蓋だけではなかった。
 彼は私がこの星に来て、一番最初に私の存在に気づいてくれた人だった。そして私を常に側に置き――その時の王子にどのような意図があったとしても――ただのイーアイ人の子供だった私が、殺されないようにしてくれた。
 滅びた一族の私と一緒にいる事を周囲から咎められるようになると、人目を盗んで私との時間を作ってくれた。こっそり半人前の術を自身に施させ、私に存在価値を与えてくれた。
 いつしか王子は、私の生きる意味そのものだった。

「そうでしょう、ベジータ王子様?」

 私の語りを聴き終えた王子は、微かに頬を赤らめて私を見つめた。
 束の間、沈黙が私たちを包んだ。この部屋に戻ってきたときとは裏腹に、とても柔らかで居心地の良いものだった。
 腰に回した手とは反対の手で、王子は私の頬を包んだ。戦闘でカサついて、皮の厚くなった指先が肌の上を滑っていった。体温に身を委ねるように目を閉じる。

 逡巡の終末を迎えた王子は、「…俺の側にいろ」と一言そう言った。命令というには躊躇いがちで、あまりにも穏やかな声色だった。

「例えこの先、俺がお前の意にそぐわない事をしても。俺を恐怖に思い、どんなに離れたいと願っても。俺がいつかベジータ王になり、正室を迎え、子を成したとしても。若い時代を終えて、ヨボヨボのジジイになったとしても。ずっと俺の側にいろ。そうすれば、お前が死ぬまで、俺がお前を守ってやる」
「…ふふ、では王子様が先に死んでしまわれたら、誰が私を守ってくださるんですか?」
「安心しろ、俺は死なん」

 堂々と言い張った王子は、私を持ち上げてベッドの上に横たえた。私は隣に寝そべった王子にすり寄り、額を彼の肩口に押し当てた。

「…泣いているのか?」
「泣いてません」
「ほう、ではなぜ俺の服が濡れていく?」
「…王子様のせいです」
「なんだと?」

「聞き捨てならんな」呟いた王子が、私の髪に指を通した。輪郭を伝い、優しく逆らえない力で頤が持ち上げられる。優しげな眼差しの瞳と目が合った。
 私の睫毛を垂れていた透明な雫が、ポタリとシーツに染みた。頬を流れる涙を、熱がこもった王子の親指が拭いとる。
 この人はなんてずるいのだろう、と思った。彼の生涯を約束する代わりに、女としての喜びを捨て、私の全てを差し出せと言うのだから。
 
「お側にいます」

 泣いたせいか、体中を激しく巡る血流のせいか、頭がぼうっとする。霞む視界で王子を見上げると、王子もまた静かに私を見つめていた。
 空間に、二人の息遣いだけが響く。意識するとなんだか恥ずかしくなって、私は苦し紛れに話題を変えることにした。

「でも、もしかしたら暫くは、その機会が減ってしまうかもしれません」
「…なに?どういうことだ」

 片眉を跳ね上げた王子に、「最近気づいたんですけど」と内緒話をするかのように私は話し始めた。

「夜になると、イーアイ人の皆は自室に戻りますよね?でもそれぞれの部屋には彼女たち以外に、もう一人の誰かの気配があるんです」

 つい数日前のことだった。いつも通りの一日を終えて、王子の部屋で彼の帰りを待っていた。
 早く戻ってこないかと外の気配を探っていると、周囲を探れる範囲が広がっていることに気がついた。今まではせいぜい数百メートルが限界だったのに、王宮の中ならば大体どの位置に誰がいるか分かるようになっていた。彼女達の部屋の中の気配について気が付いたのはその時だった。

「不思議ですよね」笑って王子の顔を見ると、空気があからさまに張り詰めた。表情を硬直させた王子の瞳は揺れ、なにかを恐れているようにも見える。
 思わずどうしたのかと訊ねると、彼は素知らぬ体を取り繕い、話の続きを促した。不審に思いながらも、私は言われた通りに続けた。

「それで、お母様の部屋にも違う人の気配を感じて、他の人たちは分からなかったけど、その人の気配だけは覚えがあったんです。多分、部屋にいらっしゃるのはベジータ王です。この前お会いした時と同じ気配を感じました」
「…そうか」
「毎晩二人だけで会うなんて、すごく仲が良いですよね。きっとそう遠くない内に恋仲になられるんじゃないかと思って」

 王子はなんとも曖昧な表情をした。呆れているようで、どこか安堵したのを隠し切れていない様子だった。
 
「そうだとして、なぜ俺の側にいられなくなるというのだ」
「もしもお母様が王の側室になるとしたら、私たちは義理の兄妹になって、より複雑な関係になります。政治的な意図も絡んでくるでしょう。周りは王子様と私を今よりも遠ざけようとするだろうし、王権をより強固にする為に、私もどこかの星の一族と婚姻を結ばなければならないかもしれません」

「なので、私がお側に居られる時間は減ってしまいます」締めくくりながら、それはなんだか寂しいなと思った。私はその気持ちを表現するように、彼の首筋に顔をうずめた。

「…兄妹なら、」王子が不意に呟いた。
「王子様?」

「兄妹なら、こんなことはしない」

 時間が止まる。例えるなら赤子をあやすように、私の首元に手が添えられる。
 顔を上げると、次の瞬間に王子の顔は鼻先まで迫っていた。間近で見る王子の顔つきは可愛らしく整っていて、いつもの余裕っぷりからは想像できないほどに緊張していた。

 天蓋で閉ざされた狭い空間は、一瞬の非日常をつくりあげた。まるでこの世界は二人だけで在るのだと錯覚が起きた。
 示し合わせたように自然と目を閉じる。互いの体温を感じて、唇に吐息が触れて、私たちはキスをした。小鳥のような、拙い口づけだった。
 薄暗がりに、濡れた黒色の瞳が輝く。辺境の星で取れる黒曜石という石を思い浮かべた。

「…王子様、」

 じわじわと正気を取り戻すうち、頬がカッカと火照るのを感じた。とっさに寄せた自分の手の甲はひんやりと冷たかったが、すぐに溶けてしまいそうだった。
 対照的に、王子はじっと何かを考え込んだままだった。それを見た私は一人で狼狽えているのが少し馬鹿らしくなり、彼の下から這い出ようともがいた。
 けれど王子はそれを許さず、いとも簡単に私を押さえつけて、見下ろした。向けられた真剣な眼差しは、彼が力を込めなくとも、蝶の標本のように私をベッドに縫い付けた。

「…俺は決してお前を手放さない」
「王子様…?」
「だからお前も、俺を諦めるな。…いいな?」

 目を見開くと、王子は意趣返しのように微笑んだ。私は、涙腺が再び緩んでしまうのを堪えきれなかった。
 この星にやってきた時、お世辞にも良い境遇とは言えなかった。イーアイ人の明確な立場が定まるまで、酷い仕打ちを何度も受けた。その度にイーアイ人としての誇りだけを支えに、ただ耐えて、受け入れた。
 けれど今、その苦しみを遥かに凌いでしまえるものを、彼は私にくれた。それは宝石やお金、星まるごとよりも価値のあるものだ。

「――はい、王子様」

 二人だけの小さな王国で、私は一人、彼のくれた約束を胸に抱き、幸せを噛みしめた。

夜もすがら