ぱちん、と枝に鋏を入れると、管の先で成していた赤い果実が落ちた。側の籠を引き寄せて中に転がせば、他の野菜と競うようにその身が熟れているのを主張する。
昼下がり、私は城の近くにある小さな菜園にいた。もとは更地だったのを少しずつ開拓し、完成させた場所だ。
術が未熟な私は、未だ救急班に所属することが叶わない。けれど日がな一日特訓をするのも限界だったある日、疲労感を増す一方の私を見かねて、王子が王に直接進言してくださった。
そしてその数日後、育てた作物を提供するという条件のもと、農業の許可がおりたのだった。
――それにしても暑い。
頬を伝う汗を拭い、少しでも冷気を求めようと木陰に移動した。
惑星ベジータの昼間は、空にかかる厚い大気のせいで太陽が見えない。けれど星同士の距離は近いので、透明度の低い暴力的な日の光が容赦なく照りつける。
体を蒸す湿った空気にぐったりしながら、私は思わず座り込んだ。
「おい、大丈夫かい?」
「…大丈夫です。こんにちは、セリパさん」
振り返ると、「なんだ、気づいてたのか?」とセリパは笑う。アンダーウェアから伸びるスラリとした足が土埃で少し汚れていた。ちょうど仕事を終えて帰ってきた所なのだろう。
「また仕事か?」と訊ねるセリパだったが、瞳は私の足元にある籠に釘づけだった。私は笑って、採れたばかりのトマトを差し出した。
「セリパさんはどうしてここに?」
「ああ、またバーダックが派手にやってね。治療室に送り届けてきたところなんだ。暇だから外に出たら、あんたに会ったってわけさ」
セリパはトマトを豪快に齧り、「前より味が上がってるよ」と私の頭を撫で回す。私はその横顔を見上げながら、彼女が男達に人気があるのも当然だと得心した。
女のサイヤ人はその個体数の少なさから、異性を惹くために見目麗しく生まれる傾向にある。中でもセリパは格別に美人で、彼女に言い寄る者は後を絶たない。遠征の前夜には、彼女の番の座を巡って争いが起きるとかなんとか。
私と並んで地面に座ったセリパはここで時間を潰すことに決めたらしい。籠から勝手にもう一つトマトを取りだすと、世間話をし始めた。
話の大半は彼女の所属するバーダック班のことだった。バーダックは相変わらず死にたがりだとか、トーマだけが唯一のチームの良心だとか、パンブーキンは短気だとか、トテッポは食べることしか能がないとか。
彼女は彼らの話をすると毎回減らず口を叩く。けれど彼らへの態度を鑑みれば、信頼しているのは明白だった。そしてそれは彼らも同じだった。もしもチームの誰かに何かがあれば、すぐに残りの四人が駆けつけるに違いない。私はそれをとても羨ましく思った。
「遅れてすまねえ」セリパが三つめのトマトに手を伸ばしたとき、と声がかかった。振り向いた先にはトーマが立っていて、その後ろにバーダック達もいた。
セリパが立ち上がると、彼女の影に隠れていた私に気がついたトーマが「よう」と手をあげた。
「また土いじりか?こんな暑い日によくやるな」
「これ食ってみなよ、トーマ。私はもうこいつの野菜以外食えなくなちまったよ」
近づいてきたトーマに、セリパがトマトを渡す。果汁を飛び散らせて豪快に一口齧ったトーマは「これは確かに美味いな」と笑って私の頭を叩くように撫でた。褒められるのに慣れていないので、ぽぽぽっと私の耳が赤く染まった。
「そういえば、どうしてこんなに遅くなったんだ?あの程度の怪我、バーダックなら二十分もあれば回復するはずだろ?」
日の下に出たセリパが陽の暑さにうんざりした様子で訊ねると、バーダックは忌々しそうに舌を打った。トテッポやパンブーキンはあからさまに顔をしかめる。首を傾げるセリパと私に、トーマは頬を掻きながら言った。
「メディカルマシーンが満員だったんで、待ちぼうけを食ったんだよ」
「満員?治療室に入ったときは一台空いてたじゃないか」
「セリパが出て行った後に来たんだよ。上級戦士の奴らがな」
上級戦士、と言うトーマの言葉は、不穏な響きを孕んでいた。上下の関係を重視するサイヤ人の世界では、決して上司に逆らってはならない。例えそれが横暴極まりない行為だとしても、下級戦士は上級戦士に譲らなければならない。
「…チッ、あいつら」セリパが唾棄するのを横目に、私はそっと俯いた。
「どうした?」トーマが居心地悪そうにする私に気がついて問うた。残りの四人の視線が集中しても、顔を上げられないでいた。
「…やはりトーマさん達も、私たちにあまり良い感情を持っておられないのでしょうか」
「どういうことだ?」
訊ね返したトーマに、私は「…イーアイ人の治療を受けられなかったようなので」と消え入るような声で言った。
軽度の怪我を治す場合。今回のようにマシーンが定員を超えた時。想定されうる様々なケースに備えて、イーアイ人は各治療室に常駐している。彼らが向かっただろう治療室にも、勿論イーアイ人が数人待機していたはずだった。
トーマとセリパが顔を見合わせる。戸惑う彼らの代わりに、思い当たる節があったらしいバーダックが、「お前、まだ勘違いしてやがったのか」と呆れた顔をした。
「…勘違い?」
「店で会った時、最後まで話を聞かずに出ていっただろう」
記憶を巡らせ、数日前の夜に酒場を訪れたときのことを思い出した。店を出る直前のことだった。王室抱えのイーアイ人。そう私たちが周囲に呼ばれている理由を、そう言えば結局聞かずじまいだった。
バーダックが近づいて、私を見下ろした。大きな身体から伸びる影に暗く覆い隠される。
「“王室抱え”っていうのは要するに揶揄なんだよ。俺たち下級戦士はイーアイ人の術を受けないんじゃない、受けられないんだ」
「…受けられない?」
「イーアイ人の治療を受けることは、王族から中級戦士まで、いわゆるエリートしか許されてない」
バーダックの言葉に顔を上げて、彼の顔をまじまじと見つめた。セリパやトーマの顔も伺ってみるが、その表情に嘘は隠されていない。
「そうだったんですか…」ぽつりと零れた自分の言葉には安堵が滲んでいた。そしてそのことに気がついた途端、羞恥で頬が熱くなった。自分の無知が恥だった。将来所属するはずの組織についてさえもよく分かっていなかったなんて。
縮こまる私から目を逸らしたバーダックが、ふと口を開いた。
「…だがもしそれが可能でも、俺は受けねえだろうな」
「バーダック」
「別にイーアイ人を嫌ってるんじゃねえ。だがお前らの治療は、患者の体力をごっそり持っていくんだろ?そんなことになったら次の仕事に支障が出る。なら多少深傷を負っていても、受けない方がマシだ」
咎めるセリパに聞こえないふりをして、バーダックは私の背負っていた籠に手を突っ込んだ。肩に食い込んでいた重みがふっと軽くなる。
「まあ、その欠点が無くなれば、受けてやらないこともないな」バーダックは抱えていた野菜の中から胡瓜を選んで一口齧ると、トーマ達を引き連れて踵を返した。
目を開くと、空気が窓から流れ込んでくるように、五感を情報が支配した。
「終わりましたよ」声をかけると、王子は確かめるように手を開いたり閉じたりした。
例の如く、イーアイ人の皆が部屋を出払っている時間帯、私は術を施して王子の怪我を治していた。怪我具合からして今日は彼の言う“手応え”の無い星だったらしい。
手にグローブを嵌めなおす王子をぼうっと見ていると、それに気がついた王子が私を見遣った。「浮かない顔だな」と訝しむ。私ははっとして、宙を舞っていた視線を王子に戻した。
「…その、聞いてもいいですか?」
王子の座るベッドに腰を下ろして、上目で彼を見上げる。
「王子様は、どうして私の術を受けてくださるのですか?まだ救急班にも所属できていないのに…」
「なんだ、唐突に」王子の眉間に数本の線が刻まれる。
「お前達の種族は、力を生まれ持つ俺たちサイヤ人とは違う。年齢と共に経験を重ね、力の扱い方を覚えるのだろう。お前がまだ仕事に行けないのも当たり前だ」
「…そもそもイーアイ人の術は、皆さんのお役に立っているのでしょうか」
深い森を進んでいくように、私は自分の心が霧がかるのを感じた。頭の中は昼間のバーダックの言葉でいっぱいだった。
『治療を受ける資格があっても、受けない方が良い』そう言わしめる恵の術は、彼らサイヤ人にとって死ぬより悪いものなのではないか。
『術は万能じゃないから仕方がない』イーアイ人の一人が言った言葉が脳裏を過ぎる。
――本当に?
この現状を受け入れてしまっていいのか。それは果たして正しいことなのか。
「――何をぐずぐず落ち込んでいるのか知らないが」
陰る私の横顔をじっと見つめていた王子が口を開く。硬い指先が私の顎を掬った。
「俺がお前を選んだのは、お前が“慈の心”なんて下らないことに拘っていないからだ」
「っな、そんなことは!」
私はギョッとして、とっさに反論した。王子の目が厳しくすがめられる。
「違うというのか?今お前がそうやって悩んでいるのが何よりの証拠だ」
喉が震えた。個人的な感情を物事に持ち込むのは、イーアイ人のご法度で、それは古来から守られている絶対的な法だ。
けれど分かっていてもなお、私の思考は回り続けていた。それが、答えだった。
呆然とする私に、「一つ言っておくが」と王子が念を押すように言う。
「俺は、そもそもイーアイ人が気に食わない。受け入れるのが美徳など、俺からすれば逃げているのと同じだ。負け犬以外の何者でもない」
「だがお前はそうじゃない」顎を掴んでいた指にぐっと力が込められた。不敵で、私の大好きな笑みが彼の顔に浮かぶ。
「考えることを放棄せず、常に最善を尽くそうとする。その姿勢を、俺は買ってやってるんだ」
王子が立ち上がると、沈んでいた分だけ音を立てて、ベッドが軽くなった。離された顎は少しヒリついたが、その痛みもすぐに消えた。
「次の星に向かう」部屋を出て行く王子の背中を、私は身じろぎもせずに見送った。