ぷらぷらと歩いて辿りついた場所は、薄暗く硬質な夜が広がっていた。乱れる気持ちを落ち着かせたくて、夏の生温い空気を深く吸い込んでみたけれど、あまり意味はなかったように思う。とにかくアイツが戻ってくるまでに、間違いなく酷いであろう自分の顔を少しでもマシにしておかなければならない。
 冷たい壁に背を預けて目を閉じる。脳裏には試合終了の瞬間が何度も繰り返し流れていた。トリプルスコアの得点板に、勝利を諦める澱んだ空気。細々と流れていた希望がぶつりと切れた感覚。圧倒的な敗北だった。
 仰ぎ見た空には、街中の人工的な光に照らされた星が頼りない瞬きを放っていた。その情景に肋骨の奥が軋む。遠くから聞こえる会場の騒めきさえ耳に障った。
 全部捨てられたら良いのに、と思った。負けた時の悔しさや、やるせなさ。圧倒的な力を前にした時の絶望感。嫌だと思うものの全ては、全部捨ててしまえば――積み上げてきた努力や皆との思い出さえも無くしてしまえば、きっと消えるに違いない。楽になって、自然と呼吸が出来るに違いないのに。
 意味の無い深呼吸をもう一度繰り返したそのとき、砂利が擦れる音がして私は目を凝らした。
「よぉ、久しぶりだな」
「…青峰」
 低く掠れた声の先に、黒いジャージを着た男の姿があった。彼は一人だった。いつも一緒にいるさつきは居ないらしい。気怠そうにこちらに向かってきた青峰は、私の正面に立つとハッと嘲笑を零した。
「ひでえツラだな」
 そう言って私の頬に伸ばしたその手を、肌に触れる寸前に手の甲で振り払う。パシッと乾いた音が立って、けれど彼はそれが面白いと言わんばかりに笑みを深めると、払われた方の手で私の手を強く掴んだ。
「…誰のせいだと思ってんの」
「俺のせいだって言いたいのか? ただお前らが弱かっただけの話だろ」
 もう片方の手を私の顔の横の壁に押し付けて、遙か高い頭上から青峰が私を見下ろす。
 轟いていた黒い感情が、元よりも濃く暗く色づいて、胸の内で広がった。私はそれを悟られまいと、眉を寄せて青峰を睨みつけた。
「…次は、負けないから」
 振り絞るように言った私を、青峰は耐えられないとばかりに鼻で笑った。
「たった今負けたばかりのくせに、めでてぇ頭だな」
「確かに今日は負けたよ。でも次は負けない。絶対、あんた達に勝つ」
「ハン、どっから湧いてくるんだ、その自信は?」
「信じてるから」
 ぴくり、と不快げに彼の眉が動いたのも構わず、挑発的に口角を上げる。精いっぱいの反抗と、この半年で培われた確信だった。例え絶望しても、全てを投げ出して逃げてしまいたくなっても、彼らは――――私達は、必ず勝利を手にすると。
 プルルル、と電子音がスカートのポケットを震わせた。青峰の体を押しのけて、着信に出ると『もしもし』と少し掠れた低い声が聞こえた。
「お疲れさま。もう帰る?」
『ああ。カントク達は先帰るって。「火神をよろしく」って言ってた。ったく、皆んなお前を俺の保護者か何かだと思ってんのか?』
「あはは、多分気を使ってくれたんだよ」
『…だろうな。んじゃ、会場の入り口のとこで待ってる』
「分かった、今向かうね」
 ふ、と息を吐いて通話終了画面に目を落とした。少し落ち込んだ声色だったけれど、いつものアイツであることに私はほっとしていた。
「……お前、アイツと付き合ってるんだってな」
 携帯をポケットに仕舞い込んだとき、不意にそう落とした青峰に私は顔を上げた。
「アイツっていうのが大我のことを指しているんだったら――そうだよ」
 私は彼の目を見てはっきりとそう答えた。もの悲しい藍色の瞳は、複雑な暗い感情が轟いて鈍い輝きを放っていた。この瞳を見かける度、私はいつも喉を締め上げられるような苦しさに駆られた。それは帝光中時代も、今も変わらない。
 フッと唇の片端を上げて、青峰は私に向き直る。私の内側をも覗き込むようにグイと顔を近づけて、その距離のせいで吐息が唇に触れてしまえそうだった。
「結局お前も、テツと同じで俺から逃げたんだよ。負け犬のくせに、俺ら倒して日本一になるとか笑わせんな」
「……逃げたのは私達じゃない。あんたの方でしょ」
「…あ?」
 トン、とあの頃よりも大きくなった体を押して、私は鞄を手に立ち上がった。
「信頼を裏切って、捨てたのはあんたの方。私とテツヤは、あの頃から何も変わってない。変わったのは、皆んなの方だよ」
 私は微笑んで、彼に背を向けて歩き出した。きっと、私の声が、テツヤの思いが、彼に届くことはない。どんなに頑張っても、あの頃のように無垢に笑い合える日はもう来ない。それでも、彼だから――私達の愛した彼だから、いつかこの想いを認めて欲しいと思う。
 だから、勝つしかないのだ。勝って、孤高の王様の世界に、彼だけしか居ない世界に足を踏み入れたその時、仲間と分け合えることの喜びを、痛みを、バスケを愛していることを思い出すのだろう。
 私は駆け出した。アスファルトを蹴って、人々の合間を縫って、全速力で世界を回した。
 そうして視界に飛び込んできた燃えるような赤と目があって、私は渾身の想いをぶつけるように抱きついた。
「お、来た…って、ちょ?!」
「大我、私、大我と会えて本当に良かった!」
「は?! さっき電話で、会場の入り口に居るって言っただろ?」
「うん、私、大我が好き! 大好きよ!」
「うおぉ?! バカ! 分かったから、デカイ声出すんじゃねえ!」

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