お茶会


東都水族館、スタッフルーム内更衣室。
鈴は、私服に着替えてからロッカーの内扉に貼り付けられた鏡で髪形をチェックする。
崩れていないことを確認し、スマホを見れば、新着メッセージが丁度届いたところだった。

「お先に失礼します。」
「お疲れ様ー、今日もデートかなー?」
「で、デートではないです!!…少なくとも、向こうはそう思ってないです」
「はいはい、藤間さんが幸せならいいんじゃないかなー」
「もー…先輩、相談に乗ってくださるなら最後まで面倒見てくださいよ…」
「ふふふ、困ったときは頼りなさい?順調なら、私は不要よ?」
「そういうものですか?」
「そういうもんよ。…というか、時間大丈夫なの?」
「あっ、大丈夫じゃないです!お疲れ様でした!!」

おつかれー。と、気の抜けた声を背中に受けながら、鈴は慌ててスタッフルームをでた。
すれ違う職員に挨拶をしつつ、走らないように、出来るだけ早く。そんなことをしながらカフェに一番近い場所に出られるように職員専用通路を通り抜ける。
カフェにたどり着けば、いつもの席に待ち合わせ相手が座っているのが見えた。前髪を軽く整え直してから、一度深呼吸。それから、鈴はゆっくりと足を進めた。

「ヴァールハイトさん。こんにちは。」
「ああ、今日もお疲れ様。」
「ありがとうございます。…今日はどうしますか?」
「俺はアイスコーヒーがあれば」
「わかりました。行ってきますね。」

カフェの窓際、観覧車が目の前に見えるカウンタータイプの席に必ずカシャッサは座っていた。必然的に左右どちらかの席に鈴はいつも座っている。今日も片側が空いていることを確認し、席に荷物を置くと、財布を持ってレジに向かった。
カウンター席の良いところは、目を合わせ続けなくて済むので顔が赤くなるのを抑えられること。心臓に悪いのは、ふとした瞬間に腕が当たってしまうこと。声が近いこと。
もう何回も同じように過ごしているが、鈴はなかなか慣れることが出来ずにいた。

「おまたせしました。今日は新作ケーキも買ってしまいました」
「…ペンギンの?」
「もちろんです!」
「…これは、今日パフォーマンスに出ていた種類だな?」
「はい!よくわかりましたね!」
「これだけずっと話を聞いていれば詳しくもなる」

他人が聞けば嫌味にしか聞こえない無表情のカシャッサの発言は、鈴にとってはただの会話の一部だった。あまり変化しない表情の中から喜怒哀楽を察知することも出来るようになってきた鈴は、先程行っていたペンギンショーをカシャッサが気に入ったことを感じ取った。

「ふふ、一生懸命説明したかいがありました」
「ノンストップであれだけ話すんだ…相当練習したんだろ?」
「ええ、まあ…でも、自分の好きなものを伝えるので苦は感じませんね」
「すごいな」

鈴とカシャッサのカフェでの過ごし方は、ペンギンの話が全体の8割を占める。
それから、鈴の大学のこと、東都水族館のこと。ほぼ鈴が話し手、カシャッサが聞き手である。お互いにプライベートな内容に触れることはない。話せる内容がないカシャッサが上手く全体の会話の流れをコントロールしているせいもあるだろう。
…ペンギンの話をしているときが一番楽しそうな鈴のせいでもある。

飲み物と、デザートをシェアしながらの二人のお茶会はたいてい1時間ほどで終わることが多い。ショーで登場したペンギンの生態について語る鈴をカシャッサが見ていたその時、テーブルの上に出したままだった鈴のスマホが短く振動した。画面に映るメッセージに、ぴくっと鈴の眉が動いたのをカシャッサは見逃さなかった。

「俺のことは気にせず、返信していい」
「あ、いえ…大した用事の連絡ではないので…」
「…何通も来ているようだが」

短い振動を続けるスマホに、鈴は小さくため息をついてホーム画面のロックを解除した。
想像通りの人物からの連絡に、そのまま電源を落とす。

「いいのか?」
「大丈夫です。いまはヴァールハイトさんとお話しているほうが楽しいですし!」
「(…から元気)」


微かな鈴の変化に、カシャッサはなんと声をかけるべきか悩む。
やろうと思えば、鈴と別れた後に通信局をハッキングし、鈴に届けられたメッセージを確認することもカシャッサには可能だ。しかし、目の前にいる彼女には、直接話を聞きたい。そう思ってしまった。
そんな複雑な気持ちでカシャッサが見つめていることには気づかず、鈴はケーキの上にのったペンギンのマジパンを大きく口を開けて一口で放り込む。口元にクリームをつけたまま咀嚼する鈴に、カシャッサは手を伸ばした。

「…ついてる。」

カシャッサは鈴の頬を片手で押さえて、親指で口元のクリームを拭う。いつもよりお互いの顔が近づいたその距離で、周りに聞こえない音量を心掛けて口を開く。

「ここでは言えない内容か?」
「え?」
「…困っているように見えた。俺で良ければ話を聞くが」
「ヴァールハイトさん…」

顔を離し、鈴から手も外すとカシャッサは親指についたクリームを舐め、何もなかったかのようにアイスコーヒーを飲んだ。
ちらっと横目で鈴をみれば、その頬は少し赤く染まっていた。それから自分もカフェオレを一口飲み、一息つくとスマホの電源を入れた。

「…あの、本当に私個人のお話で申し訳ないんですけど」
「かまわない」
「その、今度、他大学と合同プロジェクトチームを作ることになりまして…この前顔合わせがあったんです。そこで、その…みんなの連絡先をまとめたグループを作ったんですが、個人宛で私に連絡してくる人がいまして…」
「内容が、研究には関係ない…とかか」
「はい、そうなんです。最初は食事の誘いとか、水族館がみたいとか…ちょっとナンパ?されているなってくらいだったんですけど。ここ何日か、ちょっと内容が攻撃的と言いますか…過激と言いますか…」

口には出したくない。と、鈴は自分のスマホをカシャッサに渡し、メッセージを読むように促す。カシャッサは渡されたスマホを見て、自分の眉間にしわが寄るのを感じた。
若い女性を口説く形式文句に始まり、反応の悪い鈴に対してだんだん荒くなる口調。そして日を追うごとに内容が変化していく。卑猥な文章に、脅迫ともとれる言い回し。何度も何度も送り続けるその執念はまさにストーカーそのものだった。

「…ひどいな」
「プロジェクトは1ヶ月後から始動します。もともと少し距離のある大学なので…それまではこっちに来ることはないと思うんですけど。」
「このままじゃ、そのプロジェクトにも悪影響だろう。…教授には話したのか」
「いえ、まだ誰にも相談できていなくて…」
「まあ、見せびらかす内容ではないな。…ありがとう、見せてくれて。」
「こちらこそ、こんなお話をしてしまって…」
「謝らなくていい。…ひとりで抱え込むと良くない。」

頭を下げようとする鈴をとめてカシャッサがそういうと、鈴は眉をさげて笑った。
いつもの明るい笑顔ではないが、鈴の顔に笑顔が戻ったことにカシャッサはほっとした。

「すこし、気持ちが楽になりました」
「なら良かった。」
「このまま続くようなら、教授にも相談しようと思っています。」
「早めにするといい。…それから、夜道や人通りが少ない場所は避けるようにした方がいいな。念のため。」
「そうですよね…でも、今月からしばらくバイトが午後なんです。研究も遅くまでプロジェクトの準備に追われそうで…」

また困り顔になってしまった鈴を見て、カシャッサは自分の中で覚悟を決めた。
…この少女に深く関わっていく覚悟を。

「(組織の人間にあるまじき行為だな…)」

「俺に連絡しろ」
「え?」
「どうしても、一人で夜道をあることになるときは連絡しろ。…送り迎えくらいはできる」
「えっ、そんな、これ以上迷惑をかけるわけには…」
「…迷惑じゃない。頼ってくれ。」
「えっと…」
「こんな、カフェで会うだけの人間を信用しろとは言えないが…少なくとも、そいつみたいな真似はしないと約束する」
「信用しています!!ヴァールハイトさんは優しい人です!!…本当に、良いんですか?」
「ああ」
「えっと…じゃ、じゃあ、よろしくお願いします。」

丁寧にお辞儀をする鈴を見ながら、カシャッサは不意に窓の外から視線を感じて目線だけ移す。カフェスペースのある2階を見上げ、睨みをきかす男の姿を確認した。
たった今、鈴が1ヶ月後までは会うことはないと言っていたストーカー男なのだろうとカシャッサの直感が告げていた。

「(…分かりやすすぎる殺意だな)」

カシャッサは視線を鈴に戻し、何事もなかったように、これからのことを話し始めた。鈴に明るい笑顔が戻ってきていることに満足しながら、話題を元の世間話に戻すようコントロールを始めた。そのうち、外の殺意は消え、男は立ち去っていた。

…思っているよりは早く解決できそうだ。
そう感じ、カシャッサは口元を緩めた。

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