始まり





 私は平穏を知らない。私は日常がわからない。否、この環境で分かるはずもない。暗闇で生きる私にとって普通も平穏もない。母親に殴られ蹴られ時には火かき棒やタバコを押し付けられる。そんな絶望の中で生きてこれたのは私のことを褒めてくれるあの人がいるからだ。
 母の機嫌を損ねなければ出会えるその人はいつも包帯だらけで怪我をしていた。私とお揃いだねと冗談を言われたこともあった。その人の名は太宰という。母の弟子、らしい。彼らが何かをしているところは直接見たことがないので確証はない。太宰さんと会えるのは私が訓練中の時だけだから。
 母が鞭なら太宰さんは飴だ。その2人によって私は苦痛を覚えていく。より明確に、そして敏感に。時折それに耐えきれず自身の異能力で燃やしてしまうこともあるが母はともかく太宰さんには異能力は効かない。今思えば火消し要員とも言えるのだろう。だからこそ彼は必要以上に手を出すことは無かった。
 太宰さんと過ごすうちに異能の使い方と体捌きを覚えていった。それらが完全に使えるようになる頃には太宰さんは幹部になっていて直属の部下もいた。時折私の部下より優秀だなあとか部下にならないかと嘆くように誘われる事もあったがなぜか母が断っていた。……あんなのでも親心があったのだろうか。もしかしたら、もしかするのかもしれない。あんな人でも母には違いないのだから。そう思っていた。けれど現実はそうもいかなかった。
 太宰さんと出会って4年が経った頃、私は初めて人を――母親を殺した。いつの間にか私は母の異能力を受け継いでしまったらしいく自分の元々の異能力と混じってしまったソレは瞬く間に母を飲み込み焦がしてしまったのだ。
 その日は運悪く太宰さんが居なかった。助けてくれる人がいない状況で、燃え盛る炎に包まれた母が笑っていたのは覚えている。そして気がつけば私は太宰さんに手を引かれ外を歩いていた。滅多に外に出してもらえなかった私にはどこかは分からない。公園、だろうか。

「雪乃ちゃん、君はここで"福沢諭吉"という人を待つんだ。」
「太宰さんは……?」
「私は少しの間身を隠す。頃合いを見て、君に会いに行くよ。それまで、」
「いや!そんなの嫌!私も……、私も連れて行って!」

 これが私にとって初めての我儘だった。私にとって知っている人は太宰さんしかいない。知らない世界に1人置かれるのは怖かった。

「雪乃ちゃん……。」
「私を置いていかないで!なんでもする!こ、殺しでも、なんでも……!」
「……ごめん。」
「太宰、さん……、」

 トンと首あたりに衝撃が走る。悲しそうな顔をした太宰さんを最後に意識は闇に飲まれた。




「ごめんね、雪乃ちゃん。風乃さんと約束したんだ。君を外に出すと。けれども、今の私と居てはろくに外も歩けないだろう。それでは意味が無いんだ。……置いて行ってごめん。必ず、迎えに行くよ。」



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