誰にもそんな時はある



「笹森の話を聞く限り、それはやっぱり遊ばれているんじゃないか?」
「ですよねぇ……。」
「そういう男は早く見限りつけた方がいいぞ〜?次の出会いもその年齢じゃ少なくなるだろうしな?」
「うるさいですよ!既婚者だからって調子乗らないでください!」

 禁煙とでかでかと書かれたシールを無視して社有車でタバコを吸う隣の男は私の先輩であり、何かと相談にのってくれるいい人だ。今日は偶々退勤時間が同じになったので家まで送ってくれるという言葉に甘えて同乗させてもらったのだ。

「はい、どうぞ。」
「……ありがとうございます。」
「気晴らしには丁度いいでしょ?」
「体に毒な気分転換ですけどね。」

 手渡されたのは彼が持ち歩いているもう一つの電子タバコで電源もタバコもセットされた状態で渡される。手慣れた様子に呆れながらタバコを口に咥え深く息を吸い込めばなんとも言えない独特な味が広がった。ああ……。

「これもばれたら終わりだろうなぁ……。」
「だから喫煙者と結婚すれば?って言ってるじゃん。」
「会社の人だから気にしてないんですけど?常日頃家で吸われるの嫌なんですけど?ていうか私だって渡されてなきゃ吸わないですし?」

 私は付き合いで吸っているだけでタバコ自体は好きでもなんでもない。むしろ一生吸わないだろうと思っていたくらいで、なんで付き合いで吸うようになったかと言えば前の上司のせいだった。

「はい、到着。お疲れ様。また明日ね。」
「いや、明日私休みですから。電話も絶対出ませんからね。」
「いいなぁ、俺も有休取ろうかなぁ。」
「仕事が終わるならどうぞ。……ありがとうございました。気をつけて帰ってくださいね。」
「はいはい。じゃあね、また来週。」

 男には気をつけて、なんて最後まで先輩は茶化すので車のドアを思いっきり閉めて車から少し離れればゆっくりと車が離れて行った。そよそよと少しだけ吹く風に靡く髪がタバコ臭い。きっとスーツも同じ状態だろう。

「糺?」
「え、あっ!キヨ!嘘、もうそんな時間!?」
「いや、俺が偶々早く来ただけっつーか……それより今の男、誰?」
「え?会社の先輩だけど、……なんで?」
「いや、なんとなく。っていうか糺めちゃめちゃタバコ臭いんだけど!まさか吸った?」
「一本だけもらったけど、」
「まじ!?糺ってタバコ吸うんだね?」
「付き合い程度にね?自分じゃ買わないよ?」
「へえ、じゃあその吸ったやつはあの人からもらったんだ。」
「意外やな。糺ちゃんが吸うなんて。」

 背後から最近よく聞く声が二つ。振り向かなくてももう誰だか分かるのでじとりと目の前のキヨを睨む。

「……キヨくん?聞いてないんだけど?」
「え?LINEしたじゃん。うっしーとレトさんも連れて行くからね、って。」

 仕事中に私用携帯を全く見ない事を知っていての確信犯だろう。よくよく見ればキヨの両手には大きなレジ袋が握られており、長居する気が見て取れる。

「最初に言っておくけど、最低限しか片付けてないから部屋汚いよ。」
「糺のことだし、大丈夫だと思うけどなぁ。」

 そう呑気に呟いた牛沢さんを見て、ふと車の中で先輩に言われた言葉を思い出し、もうどうにでもなれと思うあたり相当疲れているようだ。もしこれで牛沢さんの態度が変わるのであれば、まあ、そういうことだったのだろうと勝手に決意してエントランスのロックを外す。

「とりあえず私は申し訳ないけどお風呂優先させてもらうからいつも通り好き勝手していいからね。」
「ういーっす。あ、冷蔵庫貸して?」
「お好きにどうぞ。何も入ってないから詰め放題できるよ。」
「いつものことじゃん!」

 キヨからレジ袋を受け取ってエレベーターに乗り込めばキヨは慣れた手つきで5階を押す。その様子にレトさんと牛沢さんが何かを話していたがキヨとの会話のせいで聞こえることはなかった。
 エレベーターから降りて家の鍵を開けるためにビニール袋をキヨに渡そうとしたところ牛沢さんが何も言わずに私の手からビニール袋を掻っ攫っていき驚いて見上げていれば「早く開けて」と言われてしまったので大人しく鍵を開けた。

「何もないですけど、ゆっくりしていってください。それじゃあ、申し訳ないですけどキヨから色々聞いてください!」

 それだけ言ってバタバタと自室へ急ぐ。歩くだけで鼻につくタバコの匂いを早急に落とさねばということだけを考えてその後のことについて何も考えていなかった事について思い出すのはシャワーを浴びている最中であった。

       ***

「なあ、キヨ。」
「何?」
「お前、本当糺のなんなの?」
「男の嫉妬は見苦しいですよ、牛沢さ……嘘です!嘘だからそんな顔でこっち見ないで!普通に怖いんだけど。」
「あれはキヨくんが悪い。糺ちゃん家に手慣れすぎやろ。」
「まあ、俺はよく来てるからなあ。」
「あー、しかも糺に新たな男の影あるしさー。流石に焦ってきたわ。」
「それに関しては俺も知らなったからびっくりしたわ。」
「早よせんと糺ちゃんとられるで、うっしー。」
「うるせーな。言われなくても実感してるから追い討ちかけないで!」
「いや、でも、いつもと違う香りがするだけでちょっとドキッとしねえ?」
「キモくん、めっちゃキヨいで。」
「名前と感想が逆ぅ!」


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