ひたり
誰かの足音が聞こえる。
ひたり
ひどく静かで何も見えない暗闇の中で何かが近づいてくる。
おねえさま
幼い声が骨の髄までグズグズに蕩かしてしまいそうなほど甘くねっとりと全身に絡みつく。
くふ
ふふふ
あはは
笑い声がクスクスと幾重にも反響する。
ねえ
おねえさま
おねえさま
へんじをしてくださいな
わたくしを呼ぶ、幼い声が、
おねえさま
ああ、嗚呼、――、
「主君!」
幼い声に伸ばしたはずの手は節くれだった男らしい手に握られた。その瞬間、自分が眠りから目醒めたのだと自覚した。寝ていたはずなのにどっと疲れが押し寄せる。ぼやぼやと視線が定まらず虚ろなまま握られた手の先を見上げる。
「主君、そのまま呑み込まれてはならん。戻ってこい。"ソレ"は妹君の皮をかぶったバケモノだぞ。主の為にも迷わずここに帰ってきてくれ。」
「……ひざ、まる……?」
「……!ああ、俺だ。膝丸だ。ここがどこで、今まで何をしていたか覚えているか?」
「……?」
ここがどこで、何をしていたか?どうしてそんな簡単なことを真面目な顔で聞くのだろうか。わたくしは確か、……確か、わたくし、…なにを……?
「主は執務室で寝てしまったんだ。……疲れてだよ?」
パチンと目の前で何かが弾けた後、霞がかった視界と思考がすっきりと晴れる。そうだ、わたくしは寝付けないのなら書類整理がてら事前に書類を終わらせてしまおうと思い執務室にやってきたのだった。しかし何故か書類に手を伸ばす前に意識が飛んだのだ。
「ここに居るという事は、近侍は青江か?なら、丑三つ時に主君を部屋から出すなと言われているだろう?」
「そう言われても、この時間はあの人の時間だからねぇ。……近侍の話だよ?」
「数珠丸は何をしているんだ!」
「その彼に目を離した隙に主が寝所からいなくなったと言われてね、一緒に探していたのさ。彼なら今頃厨の方を探していると思うけど?」
「縁を辿れば早いのに辿らず探したのか?」
「刺激を与えたくないしね。もちろん"あの子"の方にだよ?」
わたくしを放ってポンポンと飛び交う会話に目を白黒させる。なぜ膝丸と青江がここにいるのか。なぜわたくしがこの時間に部屋を出てはいけないのか。なぜココにはいない数珠丸が話にでるのか。それ以外にも聞きたいこが山ほどある。
「膝丸、青江。とりあえず、起こしてくれてありがとうございます。そして膝丸、いつまで手を握っているつもりかしら?」
「はっ…!す、すまない!悪気はなくてだな…!?」
「ええ、わかっています。わたくしを起こそうと必死だったのでしょう?……どんな夢を見ていたかは、思い出せないけれど……。」
「あんなモノ忘れて正解だ、主君。それよりも体が冷えきっている。これを着てそのまま寝所に戻ってくれ。」
パサりとかけられたのは膝丸がいつも寝衣の上に身につけている羽織だった。そしてそれに続くように青江が廊下は暗いから気をつけてと、手を引いて離れまで案内してくれた。
結局その連携によって何も聞けず終いで大人しく就寝したが、もう1度あの幼い声も近づく足音も聞くことはなかった。