ずっとずっと先へ

 入試を終え、東京から寮の最寄り駅に降り立った利桜は手にしたままのマフラーを巻き直した。新幹線に乗っていた間は邪魔だったし、乗り換えの時はさほど気にならなかったのに、最寄り駅に着いた途端に外の寒さが身にしみた。
「遠野君?」
 改札を出て寮のほうへと歩き出したところで、少し前を歩いているのが、見覚えのある背中で思わず声をかけた。
 男女の寮は別棟で徒歩圏内なのでこの辺りを歩いているのは珍しくない。
「白崎さん、寮に戻るところ?」
「うん。でもルームメイトに頼まれ物もあるからコンビニ寄るんだけど、遠野君も一緒に行く?」
 出くわしたから誘っただけだが、郁弥と一緒にいる時に日和と話す機会が多いだけに、二人だけで話すのは今まであまりなかった。
「じゃあ、行こうかな。白崎さんのルームメイトって、うちのマネージャーだっけ」
「そうだよ」 
 道沿いに植えられた銀杏の木は、きれいにレモンイエローに色づいていた。少しずつ葉も落ちかけてはいるが、まだまだ葉が木々についている。
「今日は郁弥と一緒じゃないんだね」
「そういう日もあるよね」
 利桜も常に誰かと一緒ということでもないので、気にも留めずコンビニまでの道を歩いていく。無言でいるのも微妙な空気で、何とか話をしようかと考えるが、お互いの共通の話題が、どうしても郁弥になってしまう。話そうにも、日和のほうが利桜よりもよっぽど詳しいだろうと思うと、利桜から口にする気にはならなかった。
「白崎さん、今日学校いた?」
「ううん。入試行ってたんだよね」
「ああ、それで見かけなかったんだ」
「遠野君は入試まだだっけ」
「再来週だよ。……白崎さんはやっぱり、大学でも弓道続けるの?」
 終始穏やかな日和に、利桜はすぐに言葉を返すのを躊躇った。続けるよ、と何事もなく言うつもりだったのに、隣を歩く日和と目を合わせたら言えなくなってしまった。
「あー、もしかして僕まずいこと聞いたかな」
「そうじゃないの。ただ、遠野君や郁弥が思っているような続け方じゃないから、どう言おうかなって」
「僕が先に聞いたら郁弥に悪いよ」
「ううん、大丈夫。いつかは話そうかなって考えてたから」
 日和が気にしないようにフォローをいれた。日和は口にはしないが、そっと郁弥のアシストをしていることが多いのを、利桜は側で見かけていた。すっと他人との距離を埋めるのに、絶対に深いところには入ってこないように線引きをしてくる。日和のそういったところに、利桜はまだ深入りしてはいけないような気がしていた。
 まだ、自分は彼には許されているようには思えないのだ。
 それでも、進路のことを話してもいいのは、郁弥の良き友人であるからで、何となく長い付き合いになりそうな予感がするからだった。
「今日、受けてきた学校は、弓道で推薦がきてるから受けたわけじゃないんだよね」
 利桜が三年間積み上げた成績ならば、推薦がきていた大学はどこも欲しがっただろう。それでも利桜はそういった大学には進学しないことにした。これは利桜が弓道を始めた頃から師事している父の友人にも相談して決めたことだった。
 相談したのは、師と両親と顧問だけ。他の友人には誰にも聞かなかった。そもそも聞くようなことではないと考えていたのもあり、熟考を重ね、自分の意志を真っ直ぐに貫こうと決めた。
「説明が難しいんだけど大学は、自分がやりたい弓道とは違うから、せめて環境が整っている場所でやりたいなって思ったんだよね」
 元々、利桜の的中率から言えば、大学弓道でも通用するだろう。競技性の強い場所でも十分力を発揮していける。けれども、利桜の本来のスタイルからは乖離していく。
 その矛盾は四年もやれば尚のこと強くなってしまうのも理解していた。そういうこともあって、スポーツ要素の強い場所ではなく、長く自分らしく続ける道を選ぶことにした。どちらがいい、というのは個々人のスタイルによるので一概に言えるものではないが、それでも利桜は自分のやりたいスタイルを選ぶことにした。
 人によっては、大学でもやって欲しいという人はいるかもしれないが。
「でも続けることには変わりないってことだね」
「関わり方は変わるけどね。しばらくは、後輩に混じって練習だけど、環境が変わっても好きなことができるのが嬉しいよ」
 苦笑混じりに笑う利桜に日和は、やはり郁弥よりも先に聞いてはいけない気がした。本当なら、郁弥が一番に聞いて、それから郁弥伝いに聞いたかもしれないのに。
「心配しなくても大丈夫だよ」
 利桜の言葉に、日和は自分の心を見透かされた気分だった。時々こうして利桜の奥底にある、他人の感情の察知の仕方が優しくて困ってしまう。他人に優しくできる人は、他人に興味がないか、自己防衛だ。そして利桜の場合は恐らく後者である。
 優しく感情をすくい上げるには、自分の中の許容と諦めと、善意と様々な気持ちが入り乱れる。人は善人か悪人かと問われると、日和には何とも形容し難いところではあるが、大方善人だ。利桜は善人であるが故に、日和が真っ直ぐに引いた境界線を無闇に土足で踏み込むようなことをしない。踏み込みはしないけれど、意外と度胸があるから躊躇がないところもあった。
「私、遠野君ともう少し仲良くなれたらいいな」
 ふっと笑った顔が、あまりに優しくて温かいから、木枯らしが吹き始めた今の季節に似つかわしくなくて、日和は言葉を失った。
 こうやって利桜は、他人の小さな隙間に入って、氷った場所を温めて溶かしてしまう。きっと郁弥も同じだったのだ。知らない間に、彼女の陽だまりに温められて、絆されていく。
 コンビニまでの道のりは遠くないのに、途中にある信号に引っかかった。その取っ掛りと同じように、利桜は日和が引いた境界線を踏み越えないようにしながらも、境界線の向こう側から少しずつ伺っていた。
「僕と仲良くなったら、郁弥に怒られない?」
 違う、少し寂しいのは自分だと日和は喉元までせり上がりそうな気持ちを溜飲した。
「郁弥はそれくらいじゃ怒らないし、郁弥は私と遠野君が仲良くなったら嬉しいんじゃないかな」
 利桜は日和よりも半歩早く、歩行者信号が青になったのに気がついて歩き出した。利桜の一歩は小さい。日和が半歩遅れても簡単に追いつけるくらいだ。
「白崎さんが言うなら、そうだろうね」
「そうだよ。それになんでも人数が多いほうが楽しいよ」
 それは大ざっぱすぎないかと思った日和だが、朗らかに笑う利桜につられて、何だか納得してしまった。郁弥が前に言っていたことを思い出す。いつの間にか利桜に引っ張られているとぼやいていたことがあった。その時は、郁弥がいつもマイペースだからかと思っていたけれど今は違う。利桜もマイペースなのに、こちらのペースを保ちつつ手を引いてくれてしまうのだ。だからいつの間にか乗せられてついていく。それが決して嫌なものではなく、ペースを合わせつつ狂わせてくるのだから、自分ではコントロールのしようがないのだ。
 信号を渡って見えたコンビニに入った。
「郁弥?」
「利桜に、日和? 二人が一緒なの珍しいね」
「改札でたすぐの道で会ったんだよ」
 そうだよね、と利桜が相槌を促してきたので、日和はそれに従って素直に頷いた。
 郁弥はすでに買い物を終えていたが、そのまま付き合ってくれた。利桜がすぐに買い物を済ませるというので、店の外で郁弥と日和は待つことになった。
「日和、何か買うの?」
「買わないよ。白崎さんが用事あるっていうから、帰り道だし一緒に来ただけ」
「……ふうん」
「白崎さん、入試だったって」
「知ってる。昨日連絡きた」
 知ってたのか、と驚きつつ日和は郁弥の顔を見たけれど、視線は遠くを見ていた。さっき利桜は、自分で伝えると言っていたけれど、郁弥の様子を見る限り、何となく察しているのではないだろうか。親しい人となら進路の話になるだろうし、日和が知らないだけで、どこかで耳にしてしまう機会もあるかもしれない。
 利桜は本人が思っているよりも、その他大勢の中に入ると少し目立ってしまうのだ。高校に入ってからそれがずっと続いていれば、誰かの口から漏れるなんてことは珍しくもないことだった。
「日和、利桜からなんか聞いたの」
「え?」
「さっきから変な顔してる」
 くすりと笑った郁弥は、たまに見せる無邪気な表情をしていた。
「聞いたけど、白崎さん本人から聞くといいよ」
「そうする」
「そういえば郁弥、何買ったの」
 コンビニで買い食いをあまりしない郁弥にしては珍しい気がして尋ねると、郁弥は袋からビビットカラーなパッケージを一つ取り出した。
「兄貴が新作のグミが美味いから早く食えって連日メールくるから買った」
 郁弥は、あとで食べようと言ってくれて、それからしばらくすると利桜がコンビニから出てきた。
「ごめん、お待たせ……って、二人ともどうしたの」
「利桜も、これ一緒に食べない?」
 郁弥が言うと利桜は面白そうだと食いついて、目を輝かせた。歩きながら経緯を話すと、利桜が不思議そうな顔をしていた。
「郁弥が前にお兄さんいるの話してたけど、お兄さんってどんな人なの」
「どんなって……自由で、僕には出来ないことが色々できる人だよ」
「しかも夏也君は弟思いだよね」
「郁弥も前に嬉しそうに話してたから、お兄さん思いで兄弟で一緒だね」
「変な言い方しないでよ。それに兄貴は、日和の分のお土産もくれるから、日和思いでもあるよ」
「お土産?」
「夏也君、あちこち海外行ってるんだよ」
 前は変なTシャツもらったよねと話してくれた。実際に寮で使っているらしい。
「お兄さんすごいんだね。グミ食べたら味の感想送るの?」
「一応。食べたかどうかメールがすごいきたし……」
 不満そうに話す郁弥は、グミを口に放り込む。度々海外に行っているのに、今回なぜ日本のコンビニで食べられるものをすすめてきたのかわからなかった。とはいえ、夏也のことだから友人である尚から聞いたとか、ネットで見たとかそんなところだろうと郁弥は思っていた。
 郁弥からグミの入った袋を差し出された利桜は、顔を綻ばせながらグミを口に入れた。
「どう?」
「おいしい。このシリーズ好きな子はよく食べてるよね」
「そうなの」
「うん。クラスにもいるよ」
 確かに新作だし、定番商品は珍しくもないなと、郁弥も日和も妙に納得していた。
 三人で歩いているというのに、道のりはあっという間だった。男子寮と女子寮ははっきりと道が別れる。
「僕は先に戻るよ。二人はまだ話すことあるんじゃない?」
 有無言わせず、にこりとした日和は利桜にじゃあねと言って背を向けてしまった。利桜も、またねと言って日和の小さくなっていく背中を郁弥と一緒に見送った。
 取り残された二人は顔を見合わせ、日和の行動に気を遣わせてしまったとお互いに苦笑した。
「遅くなったけど、入試お疲れさま」
「ありがとう」
「……日和と何か話してたの?」
 利桜から切り出そうとしていたことを、郁弥はなんとなく気がついていたらしい。少しだけね、と前置き笑してから郁弥の顔を見た。ちゃんと聞くから、という姿勢が見えて、利桜も落ち着いて話すことにした。
「弓道続けるんだよねって遠野君に聞かれたから、答えただけなんだ。……でも、郁弥にもあんまり話したことなかったから、遠野君には悪いことしちゃったかも」
 郁弥よりも先に聞いてしまうことに遠慮をしていたが、これはいつ話しても変わりようのない利桜が決めたことだった。
「それでね、弓道は続けるんだけど、大学で部に所属してやるスタイルはとらないってことに決めたの」
 だから今日受けたのは、と利桜が続けたところで郁弥はいいよと言った。最初は何故、と思ったけれども郁弥は少し困った顔をしていた。
「利桜が決めたことなら、利桜がやりたい環境でやれればそれでいいよ。僕たちは応援するよ」
 郁弥はゆっくりと言った。どこで続けるのかは、自分自身で決めることで、郁弥たちは応援することしかできない。それを自覚していて、言葉にしてくれる。利桜にとってそれは嬉しいことで、高校を決めた時と全然違っていた。自分を貫く為に決めたことなのに、色んな人が利桜の背中を押して、応援してくれるこの環境が貴重であり、この嬉しさや感じたことを忘れたくなかった。
「ありがとう。……本当にこれでいいのかなって悩んだこともあったから、郁弥がそう言ってくれて嬉しいな」
「びっくりはするけど、僕が応援したいからするんだよ。利桜はいつも僕の応援をしてくれたから」
「私もそうしたいからしてるだけだよ。結局は一緒だね」
 何だかんだ話していると同じ考えに行き着く。最初の頃は、居心地がいいなと感じているくらいだった。それが少し前に自覚してからと言うものの、利桜には嬉しくて浮かれしまいそうになるのだ。
 直接言う勇気はまだ出そうにもないけれど、一緒だと笑うくらいは共有していたい。
「郁弥も入試頑張ってね」
「うん。たぶん、大丈夫だと思う」
 落ちるなんてことはほぼ有り得ないことで、万が一がないとは言いきれないが、郁弥なら何も問題ないのだろう。全国大会の結果も出していると聞いた。何も心配はいらない。
「じゃあ、また学校でね」
 先に帰ってる日和にも悪いし、自分もルームメイトが待っている。無理に引き止めることなく、お互いに手を振って別れた。