声を聞かせて

 利桜たちが自販機のある共同スペースで会話をしていると、新たにやってきた寮生が飲み物を買いながら、話しかけてきた。
「白崎さんたちは帰省しないの」
 毎年冬休み時期になるとなにかと話題にあがる。というのも、寮生のほとんどが部活推薦で潮音崎高校に入ってきたからだ。運動部のメインシーズンは主に夏が多く、冬に話題の種目もいくつかあるが、三年生も参加するかといえば、人によるところが大きい。
 というのも、高校で部活を辞める人と、大学以降も続けていく人が出てくるためか、頑張っている人は頑張っているという構図になりがちなのだ。
 そういうこともあってか、今年は帰省する人も心なしか多い。残る人は、よっぽど家に帰りたくないか、大半は部活が理由である。そんな中でも利桜は歯切れ悪い声を出したので、隣にいたルームメイトがもしやと気づいた。
「利桜、もしかして今年も帰らない気なの?」
 呆れたように言ったのは、利桜のルームメイトだ。彼女はそれなりにタイミングを合わせては帰省していた。
 一方で利桜はこの三年間あまり帰省していない。理由は様々だが、両親にも煩く言われなかったせいか、帰るのは退寮する時だなと頭の片隅に置いているほどだ。
「うるさく言われなかったから……。あとは先生の知り合いにバイト頼まれてるんだよね」
「白崎さんバイトするの!?」
「先生の知り合いの神社のお手伝いするんだ。お正月は三日までは去年もやってたよ。今年は二日でいいみたい」
 にっこりと笑った利桜にさすがに何か言う気も起きないのか、お土産買ってくるわ、と利桜たちから離れて部屋へと戻って行った。
「私たちも部屋戻る?」
「そうしよっか」
 廊下から自分たちの部屋まではわりと近い。なんせ真っ直ぐ歩いて数部屋先が利桜たちの部屋である。
「いつから帰るんだっけ?」
「三十日には向こう帰るよ」
「じゃあ、お見送りするね」
 彼女を見送るのは今回に始まったことではない。一年の頃から何となく続いている恒例行事みたいなものだった。
 ちなみに年明けに帰省組がお菓子を配ってくれるのも、お正月行事だったが、利桜はただもらうだけでは忍びないので、親から送られてくる銘菓を配っていた。
「利桜のご両親、よく心配しないよね」
「うちは放任主義なんだよ。でも、大会見に来た時は久々に会えて良かったよ」
 何でもないように言う利桜はペットボトルのミネラルウォーターを飲み込んだ。確かに、利桜から親と仲が悪いなんてことは聞いたこともないが、それにしても放任である。それでこのマイペースさが加速しているのではないかと、同室の友人は少しだけ心配していたりもする。
「お正月はのんびり過ごしてきなよ」
 自分はのんびりするつもりがないのか、利桜はそろそろ電気消すよと立ち上がった。帰省しない組で、部屋に遊びに行ったりすることはあるだろうから、その辺は心配ないが最後の冬休みなのにいいのだろうか。
「ねえ利桜、初詣誘ってみたら?」
 誰を、とは言わない。
 誰を示しているのか利桜も察したのか、照れ笑いしながら、聞いてみると言う。
 利桜は自覚してからと言うものの、恋をしているという感情を受け入れている。一見すると今までと変わりないのに、ふとした拍子に覗きでる表情が、声音が恋をする女の子になるのだ。三年も同じ部屋で過ごしてきたのにもかかわらず、利桜のそんな表情を見るのは初めてだった。
 幸せそうな顔をしている利桜には、やはり郁弥が必要だ。郁弥でなければ、幸せそうに顔を綻ばせる利桜は見れないのだ。
「そろそろ電気消そっか」
「うん、おやすみ」
「おやすみ」
 あと何度利桜とこのやり取りをするのだろう。卒業まであっという間だと思うと、少しだけ寂しい。
 それでも、季節は巡る。何度でもやって来て、自分たちは新しい日々を重ねていく。重ねた日々は、少女たちの軌跡になっていく。
 高校三年間のいろんな思い出が部屋のあちこちに沁み着いているのに、こことはもうすぐお別れをしなければいけない。
 一緒にお揃いで買った雑貨、街で話題だと聞いて一緒に食べたパンケーキ。体育祭で一緒に走って、友人たちにもみくちゃにされながら撮った集合写真。写真はお互いの机の真ん中にあたる壁にかけたコルクボードに飾ってあった。
 重ねて、重ねて、覚えきれないくらいに膨れ上がった思い出が、二人の中にも部屋にも存在している。
 真っ暗になった部屋には二人の寝息だけが静かに横たわっていた。
 
 
 冬休みになってから数日。ルームメイトは最初に話していた予定通り、地元へと帰省していった。駅の改札まで見送った利桜は、一人になってしまった。一人行動は気兼ねないが、年末の人が忙しなく歩く街はあまり得意ではない。一年中人の多い場所に住んでいる利桜でも、この時期は色々な人が集まる場所のせいか落ち着く気がしないのだ。
 早く寮に帰って、今日は誰の部屋に泊まろうかと思案していた。普段はこんなことをしないが、帰省する人が増える長期休みならではの遊びで、利桜もその遊びに乗っかっている。流石に後輩の部屋には行かないが、実はこっそりと誘われていたのを断っている。
 弓道部で寮生はほとんどおらず、利桜と後輩二人の三人だけだ。珍しいが、そこまでして環境を選んだ人間にはそれなりに事情があるのも利桜は理解している。自分自身がそうだったように、満足できる環境を追い求めた結果が今に繋がっていた。
 部屋に泊まるのは止めたけれど、年始の部活には顔を出す約束をしているので、一緒に行く予定だ。
 寮までの道のりを歩きながら、意外と予定が詰まっていることに気がついた。
 少し前にルームメイトに聞かれて、郁弥を初詣に誘っていて、返事もすんなりとOKをもらっていた。メールの文面もすっきりとした郁弥らしい短い文面で「いいよ」と返ってきている。そもそも、郁弥も利桜もメールの文面は短く簡素なので、人によっては少し素っ気なく見えてしまいがちだ。それでも、二人には内容もニュアンスも通じているから問題なかった。
 郁弥も日和も帰省しないらしく、年末も寮で過ごすと聞いている。とはいえ、年内に会う予定がない。今更誘ったところで、利桜も元日から神社のお手伝いという名のバイトに行くので、あまり遊んでもいられないので、仕方ないと自分なりに消化することにした。
 利桜が寮に戻ると、寮に居残っている組でセンター試験を受ける人もいるので、昼間の寮内は静かだ。そもそも寮に残っている人数自体が少ないので、いつもに増して静かだ。この時期が一年の中でも一番静かな時間でもある。
「利桜ちょうどいいところに」
「どうしたの」
 階段を上がっていくと、ちょうど同じクラスの友人に引き止められた。
「バレンタインどうする?」
「早くない?」
 寮生といえどイベントごとは浮き足たつものだ。寮で作りたいなら、許可をとった時間内にやるか、自宅から通っている友人の家で一緒に作るかが定番である。
 利桜の場合は、毎年許可を取っていたので、今年もルームメイトと一緒に申請をするつもりだ。三年生は自宅学習の時期に入るので、一、二年と日をずらすこともできる。逆に下級生にとっては申請が混み合うせいか、買うか、作らない選択肢をとる人も半分くらいいる。
「作るの見て欲しいんだけど」
 友人の泣きそうな顔になんとなく察しがついた。友人の恋は応援したい。同じ寮生で、クラスメイトだ。どの人に渡したいのかも知っている。
「うーん、今年は自分に専念したいなあって」
 でも利桜も目の前の彼女と一緒なのだ。最初で最後になるかもしれないバレンタインを決戦にするか決めかねていた。
「利桜もしかして」
「……まあ、一応」
 何故か利桜が自覚するより前から、勝手に憶測を立てる人は絶え間なかった。だから、隠したところで無意味なのだろう。本音としては、好き勝手に吹聴されるのは好ましいとは言えないが。
「でも、利桜にしか頼めない」
「クラスの他の子とかは」
「だってみんな受験終わってないじゃん」
 なかなかに痛いところを突いてくる。受験方法が多様化したとはいえ、まだまだ受験終わっていない友人も多い。クラスによって割合もまちまちだが、利桜たちのクラスは、三分の二はまだ受験中である。 
 利桜も目の前の友人も早々と進路が決まっていたので、妥当な選択だった。
「私も自信ないから……」
「そう言いながら、毎年ちゃんと作ってるでしょ」
 部活に所属している女子ならではというのもあってか、利桜は毎年大量生産できるもので勝負している。
「全面的には見れなくてもいいならいいよ」
 ここが妥協点だ。ルームメイトにも言っておけば、大丈夫だろうし、だいたいこの時期は使うメンツも決まっている。同じ場所に居合わせた人の中にも、見てくれる人がいるはずだ。
「ありがとう利桜」
 途端にキラキラとしだした瞳に、利桜は彼女に弱いのを思い出した。利桜自身、人にとことん懐かれるというタイプではないが、こうして頼られると引き受けてもいいかなと思ってしまうのだ。
「お互いに頑張ろうね」
 どうか彼女の恋が成就しますように。暖かい春がやってくるまでに、優しい花が咲きますように。友人を応援せずにはいられなかった。
 にこにこと笑う友人にそのまま部屋でDVDを観ようと誘われて、その日はずっと彼女と一緒だった。
 
 * * *
 
 利桜の年末はかなりのんびりとしていたが、毎日誰かしらが部屋にやってきては、別の部屋に連行される日々だった。進路次第で、全然違う地方住みになる子もいて、お互いに寂しいのだ。だから、近くにいる人と一緒にいたくなる。そんな周りの気持ちも察しては、利桜も嫌がらずに積極的に誰かと一緒にいた。とはいえ、女子が四人も集まれば、部屋はぎゅうぎゅうに押し込められた狭さになってしまった。
 共同の冷蔵庫から持ってきた飲み物や、持ち寄ったお菓子やら、いつの間にか充電コードでいっぱいになった電源が見受けられたり。年越しの真夜中付近になるとさすがに勉強してこもっていたメンバーも合流して、四人どころではなくなっていた。
 時々、狭すぎるなんて言いながら、怒られない程度に会話が盛り上がったりしていた。
 利桜は途中で、ポケットに入れていたスマートフォンが電話を知らせたので「ごめん」と一言断りを入れながら、部屋を出た。
 こんな時間にと思いつつも、電話の主になんだろうかと少しどきりとしながら、画面をタップした。
「もしもし」
「良かった起きてた」
 普段よりも少し固い声が気になった。郁弥の声はいつももっと柔らかい。
「どうしたの」
 この時間に言うことなんて決まってるだろうに、夏の日が急に脳裏を過った。廊下が寒くて、あの日の冷房の効いた店内の空気を思い出したせいかもしれない。
 思わず、スマートフォンを握っている手に力が入ってしまった。少し間を置いて、ぽつりと郁弥は言った。
「あけましておめでとう」 
 その一言があんまりにも、ぽつりと置き去りにしたような一言で、新年を祝うような華やかな雰囲気ではなかった。何を言い出すのだろうと身構えた手前、拍子抜けするほどあっさりとしていた。
 でも、郁弥らしいと思えて、利桜はほっとしながら返す。
「あけましておめでとう」
「なんか、間が長くない?」
 少し不満そうな声に、そうだなと思いつつも否定した。だって、何を言うのか心配したとは言えなかった。
「そんなことないよ。郁弥の声、聞けて嬉しいな」
 冬休みの間、しばらく会えないし声も聞けないと思っていたから素直に嬉しかった。
「僕も嬉しい。バイト頑張ってね」
「うん。風邪ひかないでね」
「それは利桜のほうだろ」
 呆れつつ言う郁弥が穏やかで、電話口で聞こえる声が心地よかった。今日はいい夢が見れそうな、温かい布団で眠れそうな心地よさ。
「うん、気をつけるね」
 それから少し話してから電話を切った利桜がみんなの集まっている部屋に戻ると、誰からだと一斉に聞かれた。
「郁弥からだったよ」
 聞かれた通りに答えれば、やっぱりと皆一様に同じ反応を示した。
「でも、利桜が桐嶋と仲良くなったのちょっと意外だったんだよね」
「そうかな」
「だって全然接点なかったじゃん」
 それは言われた通りで、四月の初めに同じ選択の授業で隣の席にならなかったら、顔も名前も知らないまま卒業していたかもしれない。それこそ、郁弥も利桜のことを知らないままだっただろう。
「桐嶋もあんまり喋る感じじゃないから、利桜と話してるの見てびっくりしたし」
「郁弥、結構話してくれると思うよ」
 利桜自身、話しかけるの自体、苦じゃない性格も相まって、淡々とはしていたがきちんと受け答えをしてくれた郁弥には、嫌だと感じたことはなかった。お喋りな性格ではないのは間違いないが、周りが思っているよりも郁弥は話しやすい。
「まあ、利桜が幸せそうだからいいけどね」
 楽しげに笑う友人は利桜が時々郁弥と一緒にいる姿を見ては、驚いていた。目の前にいる利桜は不思議そうにしているが、最近やっと自覚したらしいとは寮内での風の噂である。
 恋に浮かれた雰囲気でもないし、普段はいつもと変わりない、誰とでも上手に合わせている利桜だ。それが、電話をして戻ってきた利桜は、胸に抱えきれなくなったように、両手いっぱいに幸せを抱えた顔をしていた。
 日付を超えたばかりの新年から幸せそうな姿を見せられた面々は、明日からの利桜の予定を知っているだけに、部屋へと返したのだった。