元日からの神社でのお手伝いを二日間こなした利桜はやっと解放されて上機嫌だった。今日は郁弥と約束をしている日だ。ルームメイトに言われて、自分から誘ってみようと連絡をしてから数日。年明けに電話で声を聞いて、時間の約束をしただけだった。
一日外にいるかはわからないが、真冬らしい一桁の最高気温を思い出してなるべく寒くないようにと着込んだ。手袋までするか悩んだが、寮に残っている友人たちにいらないと言われて、部屋の片隅に置いてきた。
友人らはこぞって、なくても大丈夫だからと念を押してきたので、そうかなと言いながら利桜は渋々バッグから出してきたのだ。友人らはその場に利桜のルームメイトがいないことを悔やんだろう。彼女も同じ光景を見たならば、同じように手袋をおいていけと言っただろう。
利桜が待ち合わせ場の最寄り駅の改札前に行くと、郁弥はすでに待っていた。利桜が来たのは時間よりも五分ほど早いのに。
「ごめん、待ったかな」
「ううん。行こう」
利桜たちの住んでいる付近にも神社はいくつかあったが、二人は少し離れた場所にある神社に初詣に行くことにした。
単に、地元の神社に行くと知り合いに出会す機会が多いからだ。
電車に揺られながら数十分。二人でいるからと言ってずっと会話をするわけでもなく、ただ隣同士に座っていた。久々に会ったせいで会話ができないというよりも、秋口から度々この現象は起きていた。
例えば、一緒に学食に行った時。不意に合った視線に声が出ななってしまった。適当に笑ってごまかしたけれど、郁弥は不思議そうにしていた。しかし、視線が合った時の郁弥の表情が穏やかで柔らかすぎて、自分に向けられているのだと自覚した途端んい、恥ずかしいような、嬉しいような。それでいて、本当に自分に向けられているのか不安になったりもして。
他にも、授業中にプリントを回しながらした、他愛ないやりとりが変に記憶に残っていて。授業が終わってから、この間教えてくれたアーティストの話をしようとしたけれどできなかったこともある。たまに胸がいっぱいになって、頭の中に言葉は浮かんでいるのに、声にはならなかった。だから、時々無言の時間がある。
それがもどかしいとか、嫌だと思ったことはなく、ただ静かな時間が二人きりの時にも起きていた事実だけがあった。
今も同じように、隣にいて、同じ空間にいるのに少しだけ息を潜めた空気だけが二人の間に漂っていた。
「郁弥は今日まで何してたの」
利桜は自分のことは話していたけれど、郁弥がどう過ごしていたのか知らない。
「日和が気になってたカフェに行ったり、聞き損ねてたアルバム借りたりとか、あんまり変わんなかったかな」
「遠野君、カフェ好きなの?」
「うん。こっち来てから結構行ったんじゃないかな」
郁弥は珍しく、スマートフォンから写真を見せてくれた。日和がカフェにいくたびに写真を撮るから、つられてなんとなく撮っているのだと教えてくれた。その証拠に、たまにピンぼけしている写真があってくすりとしてしまった。
「利桜は写真撮るの上手いよね」
「スマホのおかげだよ。ちゃんとしたカメラ使ったことないもん」
「そう? 利桜が撮った写真、好きだけどな」
結局、目的の場所に着くまでお互いのカメラロールに保存されている写真を見ながら、ぽつりぽつりと会話が続いた。
電車が降車駅に着いて改札を出る。さすがに観光客もいるような駅に降り立つと人も多かった。
「まだ三日だから人多いね」
「うん」
「並ぶかな」
神社までの道を歩きながら、すれ違う人の多さに、どのくらい並ぶのかと予想し合ってみる。
利桜はやっぱり外は出歩くと寒いなと思いつつ、隣の郁弥も寒そうに背中を丸めていて、猫みたいだと思った。その様子を見すぎていたのか、視線が合った。
「どうしたの」
「郁弥が猫みたいだなって」
可愛いと思ったが、それは口にはしなかった。こういうことを言われるのは郁弥は好きそうではなかったからだ。なにそれ、と言いながら郁弥はふっと気の抜けた笑みを零した。
「この先、人多そうだから」
そう言って差し出された手のひらがあまりにも自然で、利桜は数度目を瞬かせた。それからゆっくりと己の手を出すと、離さないと言わんばかりにしっかりと握られてしまった。何歩か歩きだしてから、寮を出る前の友人らの言葉を思い出した。友人たちが一様に手袋を置いていけと言った理由をやっと理解した利桜はただ黙って郁弥の隣を歩いた。
神社の鳥居が見えたあたりで、郁弥は利桜が黙っているのが気になって、隣を見ると珍しく視線が合わなかった。
「利桜、大丈夫?」
「大丈夫だよ」
反応はすぐに返ってきて安心した。けれども、電車にいた時よりもぎこちなさそうで、なぜだろうと首を傾げた。でも、握った手のひらから感じる体温は高くない。むしろ郁弥のほうが温かい。
「本当に?」
念押しに郁弥が聞くと、利桜はこくこくとしっかり頷いた。それならいいかとまた歩きはじめた。
境内に向かうと、予想通り長蛇の列を成していた。人が密集しているせいか、駅から歩いていた時よりも、心なし暖かい。
「利桜、神社のお手伝いって何してたの」
「社務所で巫女さんのお手伝いだよ」
大きい神社ではないが、さすがに一年の始まりとなれば地元の人が押し寄せるらしい。
「学校別だけど、神社の娘さんと写真撮ったんだ」
そんなことを言いながら利桜は巫女装束姿の写真を見せてくれた。いつもの利桜らしい笑顔で映っていた。
「楽しそう」
「楽しかったよ。毎年お手伝いさせてもらってたけど、昨日が最後かな」
初めは帰省しないから暇を持て余していただけだったが、たった数日でも楽しかった。おかげで知り合いも増えた。普段生活している場所以外で、知り合う人はなかなかない出会いだ。
列がのんびりと牛歩のごとく進んでいく。並んでから数十分後、ようやく賽銭箱の前までたどり着いた。本殿の中では祈祷をしている祝詞が外の喧騒に混じって聞こえてきた。
ほぼ同じタイミングで賽銭箱に小銭を投げ込んで、お祈りをする。
郁弥のほうが先に列から外れた。ほんの少し遅れて一礼をしてから利桜が郁弥の元へとやってきた。
「このあとどうする?」
「せっかくだからおみくじ引きたいな」
利桜の提案に郁弥も頷いて歩き出す。社務所近くに置いてあるおみくじの箱からひとつ引いた。
人の多くない端によけて一斉に開封した。小さく畳まれた紙をぺりぺりと広げる。吉凶を占うおみくじの運勢に一喜一憂するのはこの開封する瞬間が最大のピークだ。
「郁弥なんだった? 私は中吉」
郁弥が利桜の広げたおみくじを覗き込みつつ、自分のを利桜が広げている手の近くに広げて見せた。
「すごい、大吉だね」
「いいことありそう」
「きっと起こるよ。神様にはお願いしかできないけど、私たちは自分自身の力で実現することができるからね」
利桜の言葉に、郁弥はまただ、と思う。 時々、利桜にははっとさせられることがある。言葉の端々から、クリアな現実が見えていて、その現実の先には、明るい未来が待っているのが見えているかのようだった。
絶対に叶えられないことを簡単に口にはしないけれど、努力すれば手が届きそうなことには、利桜ははっきりとできるよと言えるのだ。それはまるで言葉の魔法のようで、きらきらとしているのに、ちゃんと自分から掴んでいないと見えなくなってしまうような蜃気楼にも思えた。
けれども、利桜の言葉を聞くたびに大丈夫だと感じていた。安心しているということは同時に、自分の中に不安があり、その正体の答えがでず、郁弥には引っかかったままだった。答えはでないけれど、今の自分には支障がなくて、そのままでいいやと置き去りにしたままだった。
「利桜は、やっぱりすごいや」
「じゃあ、そう思える郁弥もすごいってことだね」
利桜はただ簡単には、同意してくれなかった。郁弥のことも一緒に肯定してくれる。郁弥が利桜の側にいるのが心地良い理由の一つだった。
おみくじを専用の場所にくくりつけた。利桜の身長で届きそうな場所にはたくさんのおみくじがくくられていて、変わりに郁弥が利桜の分を少しだけ高い場所につけてくれた。「郁弥とまだ新年明けてから写真撮ってないや」
「撮ろうか」
利桜といる度に何度かツーショットを撮っている。神社の鳥居を背にして利桜は器用に画面に収まるように腕を伸ばした。
「じゃあ、撮るよ」
「うん」
上手いことシャッターを切る利桜は楽しそうだった。シャッターが切られる間際、元々近かった距離がより近くなった。その距離感が、いいような悪いようなもどかしい気持ちになった。
きっと今の関係だから、この距離なのだ。近づく度に、利桜の器用に移り変わる表情がたくさん増えていく。今日みたいな嬉しそうな笑顔がたくさん見れると郁弥も嬉しくなる。一緒にいる時間を手放したくなくて、帰るのが惜しくなってくる。
少し前に日和の前で意地を張ってしまったことが懐かしかった。
こんなにも、利桜を大事にしたくなっていたのかと郁弥はこの瞬間にやっと意識できた。今まで胸の内で燻っていた気持ちに名前をつけないでいた。知っていて、名前をつけなかった。
幸せの足音が、すぐそこまで来ていて、幻聴のごとく聴こえてきそうだった。
「ねえ、もう一枚撮っていい?」
「いいよ」
再びカメラのシャッター音が響く。
これが新年最初の二人の思い出だった。この時のお互いがどう思っていたのかは、お互いに知らないままだ。
郁弥が別れ際に言った「今年もよろしくね」がどこまでも続いていくような気がして、同じように返してくれた利桜もきっと同じな気がした。
思い出が増えていく。お互いのカメラロールに同じ景色が増えていく。
ゆっくりと、けれども着実に二人の思い出は同じだけ増えていった。